クリストファー・プリースト、『奇術師』

 プリーストを読むのは3作目。
 驚きと興奮が最高潮に達したところでばしっと幕を引かれ、胸はどきどき頭はぐるぐる。ほんと、しばらくどきどきが治まらなかったなぁ…。心踊らせ、ふるえあがった楽しき時間。

 『奇術師』、クリストファー・プリーストを読みました。


〔 すでに、偽りを書くことなく、わたしは惑わしを開始している。惑わしこそ、わが人生だ。 〕 61頁

 醍醐味は、奇術師の“かたり”だ。章立てによって、がらりと趣きが変わってくるのがとても面白くて、長さを感じさせなかった。その章ごとの視点も、子孫(アンドルー)→先祖(ボーデン)→子孫(ケイト)…というように、今と過去とを交互に語る流れになっていて、しかもどの章にも謎が仕込まれているので、全く一筋縄ではいかない。何がどう繋がるのかわからないまま、どんどんひき込まれていく。

 いるはずのない双子の兄弟が、どうしてもどこかにいるとしか思えない。物心ついてからというもの、“ほかのだれかと人生をわかちあっているという感覚”が、絶えずつきまとっているというアンドルー。そして今また、ケイトに呼び寄せられた場所へと向かう彼に、双子の片割れからの歓迎の思念が届いたのは何故なのか。 
 偽りを書くことなく惑わしを仕掛けているとはっきり言い切る、奇術師ボーデンの手記は、何か大きな秘密を自分が隠していることを仄めかしつつ、その尻尾すら摑ませようとはしない。そもそもこんな文書が、何を目的として誰を読み手に想定して書かれていたのか…というのも、今一つよくわからないのだが。 
 ケイトを長年苦しめ続けてきた、子供の頃に見たある殺人の記憶の意味。そして、もう一人の奇術師エンジャが隠し続けなければならなかった、瞬間移動機を使う奇術〈閃光の中で〉の本当の秘密とはいったい。  

 二人の、全くタイプの異なる奇術師、デントン(エンジャ)とル・プロフェッスール(ボーデン)の対立の中心にあるのが、瞬間移動機の存在である。それぞれの瞬間移動機を使った、デントンの〈閃光の中で〉と、ル・プロフェッスールの〈新・瞬間移動人間〉(ネーミングの比も象徴的)。この、大がかりではあるが、やって見せること自体はとても単純(読んで字の如し、奇術師の瞬間移動)な二つの奇術が、客席に向けては同じことをしていながら、実は如何にかけ離れた方法によってなされていたか…という点を、私はとても面白く読んだ。 
 瞬間移動機を間に挟んで、こんなにも違う物語が繰り広げられていた。そして、どちらの奇術にも共通しているのは、それが何としても守らなければならない重過ぎる秘密の上に成り立っていたということだった。対立し合う彼らが、もしも相手の抱えていた秘密の重さを知ったなら(実際、知りたくて堪らなかったわけだが)、その執念と奇術師としての業の深さに、憎しみを忘れて驚嘆せずにはいられまい。そしてまた、業に捕らわれた人生を送らざるを得なかった者として、真に理解しあえる存在がお互いをおいて他にはいない…という皮肉に、気が付かずにはいられまい。 
 そして私には、瞬間移動機の存在を話の中心に据えながら、これほどまでに異なる趣きの物語を創りだし、それを一つの作品の中で並べてしまうプリーストの作品自体が奇術だった。ただただため息。     

 最後の章の短さにも舌を巻いた。残りこれだけのページ数でいったいどこに話がおさまるのだろう…と、気になって気になって仕方がなかったけれど、そんな読み手の懸念はお見通しとばかりに、ラストへ向けて容赦なく追い詰めていく筆致。煽られるように高まっていく怖さ…! はあ、思い出すとまたどきどきする。

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