金井美恵子さん、『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』

 今月の課題本。金井さんの小説を読むのは、「兎」の再読を除けば15年ぶりだった。表紙と扉絵のフォト・コラージュが、大好きだ。

 『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』の感想を少しばかり。
 
 “それとも、いつかこの今の瞬間、今こうして見ている月と、この道と、風と、こうして今わたしの感じているすべての感覚を思い出すことがあるだろうか。” 232頁

 とても素晴らしかった。不意に始まる誰かの回想。冒頭からしばらくは、語り手の性別も判然としない。
 過ぎし日々の記憶が寄り集まり、褪色して久しいモザイク模様を成す。次々に差し出される断片を、上手く継ぎ合わせるのは容易ではないが、敢えてそれを読む楽しさが全篇に行き渡っている。滔々ととめどなく溢れ続け、思いがけない繋がりを見せては押し広げられていく、独特な語りに引き込まれた。その、うねりながら巻き付いてくる言葉の連なりの、はっとするほどの美しさ。繰り返し呼び覚まされる鮮やかなイメージにも、思わず溜め息がこぼれた。何処へ流れ着くとも知れず運ばれていく感覚が、忘れがたい。
 とりわけ、何度も出てくる、“まゆみの生垣”をめぐらし曲がりくねった狭い道の描写は、まるで迷路に足を踏み入れるような心地にいざなわれ、語り口そのものの印象とすこぶる似通っていると思う。

 始めに魅了されたのは、子どもの頃の語り手の目に映る、母親や伯母と供に過ごす洋裁室の様子だった。注文を受けたドレスが、伯母の手で仕立てられていく過程。“共布のクルミボタン”や“ピンタック”、“ギャザーとドレープ”、“ミモザ柄のローン”…という響きに、うっとりした。まだ洋服は仕立てるのが当たり前だった時代の、特別に華やいだ気分が伝わってきて、わくわくしたのだ。
 が、そんなところへ、前住人の因縁話やら古い映画のエピソードやらが差し挟まれるので、いきおい話の進み具合はぐねぐねしたものとなり、いつも何処か螺旋の途中に掴まりながら読んでいるような按配だった。主筋を見失いそうな心許なさが先ずあったけれど、だんだんそれが気にならなくなる。そういう読み方じゃなくて、意識を沿わせていけばいいのだ…と、途中からは思った。

 後半、語り手自身の不倫の恋の件も興味深い。何度も出てくる父親の相手といい、ファム・ファタルに入れ込んでしまう父子なのだろうか…。女たちの方が逞しい。
 古い映画について私は疎くて、知らない事柄も色々と出てきた。その都度想像をかきたてられたし、かの時代の女性たちの軽やかな上昇志向や憧れがうかがえて、それも楽しかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )