佐々木丸美、『雪の断章』

 久しぶしの佐々木作品。
 佐々木丸美、『雪の断章』を読みました。
 

〔 少女のために一月を越えて二月を越えてそして三月を越えたマツユキ草、それなら私のために春を越え夏を越え秋を越えて待っていてくれた冬に感謝しなければならない。雪が私のそばにいてくれなかったら、私はとうにその真実の冷酷さに負けていただろう。 〕 201頁

 とても好きだった。とり憑いてくる文体に引きずり込まれ、堪能した。
 でも実は、己の殻に閉じこもった主人公飛鳥の頑なさや、世間への憤り、深い恨みと思い込みの激しさ、そして裏表ある人たちの偽りへの嫌悪感…などなど、身に摘まされるというか、痛いようにシンパシーを感じている自分に気付いて、まいったなぁ…とほろ苦笑いをこぼしていた(私、まだまだ青い…?)。
 とは言え、佐々木丸美の文章が生み出す清澄な札幌の空気感に、凍てついた孤独な少女の心理は何と相応しく哀しく映ることか。だからこそまた、彼女の心の雪解けの温かさが胸に沁みたのだった。  

 ありきたりな大人たちから、ありきたりな世間での善悪の判断を刷り込まれる前の段階の、情けも容赦もない驕慢で透明な少女。そんな少女が白昼に見る夢とは、例えば、自分がみなし子になる夢だったりする。少なくとも私はそうだった。ふと、自分の家が堪らなく嫌になるとき、「本当はこの家の子供じゃないのだったらいいのに…」と、少しの後ろめたさを感じながらも思わずにはいられなかった。空想に耽ることを、やめられなかった。飛鳥には怒られそうだけれど、よくある少女の白昼夢である。
 佐々木作品は、とてもリリカルでドラマティックで素敵だが、その作風の底流には、そんな、大きな声では言えない少女たちの秘められた願望がこめられているような気がしてならず、元少女の私はそこに魅了されてやまない。自分を育ててくれた人が理想の男性で、美しく成長した乙女がその人に恋をする…という設定も、ある意味究極のロマンスかも知れないし。

 誇り高く一途な少女が愛した、清らかな雪。あらゆるものに降り積もって、何もかもを真っ白に見せてくれる清らな雪。飛鳥の雪への思いがとても美しくて、心に残った。

 それこそ本当に私が正真正銘の少女だった頃、「森は生きている」の人形劇をテレビで観て、茫然とするほどに魅入られてしまったことがある。こんなところであの魔法の呪文に再会しようとは…。嬉しい驚きだった。

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