福永武彦、『塔』

 初めて読んだ福永作品は『忘却の河』でした。その時の記事を見てみたら、全集を図書館で借りたけれど手を付けられずに返却した…とあります。ああ、そう言えばそうだった…。
 その際に一番読んでみたかった作品と言うのが、この作品集の表題作なのでした。この度手にしたのは、古本の文庫本です。 

 『塔』、福永武彦を読みました。


 一歩一歩踏みしめるように、端正な詩のような文章を丁寧にたどる。心の水面を静かにして、どこへいざなわれていくのかと秘かにあやぶみながら…。
 けれど、いざなう場所などこの地上にはないと言わんばかりに、だんだんに色を失う景色の中から現われてくるのは、絶望の淵だけだ。諦めてのぞきこむ、すると、暗澹たる水底から冷たく見つめ返す虚無のまなざし、蒼ざめた顔。背筋が凍てつき、動きは差し止められてしまう。そしていつしか私はただ、沈むまなざしに魅入られているのだった。 
 いや、そこにあったのは本当は、絶望と呼ぶべきものではないかも知れない。絶望の顔ならば、もっと醜いのかも…。

 私が読んでみたかった表題作「塔」は、実際に読んでみるとこの作品集の中では異色ですが、まるで幻想文学のような作風でとても好きでした。冒頭から完全に引き込まれ、気持ちがぴたりと“僕”に寄り添ってしまって、息も吐けないような完璧な作品世界にのまれてしまっていたようです。

 “僕は塔の中にいた。塔は一つの記憶だった”。七つの鍵にすべての希望を託し、未知を解く情熱に身を委ねた“僕”。その前に開かれた扉の向こうに待っていた、塔の遍歴が“僕”にもたらしたもの、それは…。
 豊潤な語彙に繰り広がられていくイメージの連なりにうっとり溺れかけながら、最後には足を取られ引き摺り下ろされ、本当に溺れてしまう。そんなラストに愕然とする作品でした。それでいてやはり美しい。“僕”をおそった恐怖の肌触りには抗えなく、未だに魅了されています。 あの、迫って来るような筆致!

 福永作品の魅力…。私はまだ二冊しか読んでいないので何とも言い難いですが。 
 物語の流れはいつも、哀しい…虚しい…どうにもならない…すくいの見いだせない…そんな場所にたどり着くばかりなのに、それでも私は、そこにある哀しみがいつか希薄になって透き通ったら、どんどん透き通っていったなら、最後にはその向こうに何か美しいものを見つけ出せるみたいな、そんな気がしてしまいます。まるで、手に届かない憧れをしつこく信じるみたく。
 なぜだろう…。どこかしら根源的なところで胸を打たれるから、そんな風に思いたくなるのでしょうか。
 「水中花」という作品がとても好きだったのです。どうしてこんなに儚い物語に心をひかれるのか…と、少し考えてみたけれど、やっぱりちゃんとした説明にはなりませんね。 


 今日は夕方にもなってから思い立ち、三宮のジュンク堂まで出かけました。前回空振った新刊を、しっかと手に入れましたよ。もえがみぶんこんふ、ふふふ…。

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