マークース・ズーサック、『本泥棒』

 『本泥棒』、マークース・ズーサックを読みました。

 “人は幸せを盗めるものだろうか? それともこれもまた内なる、人間特有のひどいトリックなのだろうか?
 リーゼルはそんな考えを振り払った。橋を渡り、ルディに急ぐように、それから本を忘れないで、といった。” 465頁

 この物語の語り手は死神です。とても思慮深げな大鎌を使わない死神です。そして主人公の少女は、10歳で登場する本泥棒のリーゼル・メミンガーです。そして物語は、里親の元へ送られていくリーゼルが、幼すぎる死という形で弟を失う場面から幕を開けます。
 以前読んだある作家のエッセイの中に、強く印象に残った言葉がありました。正確には思い出せないのですが、それはつまり、「死というものを限りなく身近に感じている人、死に寄り添うような状況に置かれている誰かが、その気配の中で自分の作品を選んで読んでいたと知って、嬉しく感じない作家はいないのではないか?」という内容の文章でした。そういうものか…と、心に残りました。それで言うならばリーゼルは、まさにそんな状況でいつも本を読んでいたのです。
 読みながら胸が疼くのは、リーゼルが本を盗み、本を盗み続けなければならなかったことの意味が痛いようにわかるからだ…と思い当たりました。

 リーゼルを最初の一冊へと導いたのは、突然の弟の死でした。そこにたまたまその書物があった。ただそこにあったからその本を手に取った。その書物のタイトルは、「墓掘り人の手引書」でした。まだほとんど文盲だったリーゼルが初めて手に入れた書物が、よりによって「墓掘り人の手引書」だった…。そんなところにも、この作品の凄味と深みを感じます。
 そうしてリーゼルの、常に戦争の冷たい手に首筋を撫でられながら本を読む…そんな生活が始まります。彼女の置かれた環境は金銭的にも困難でしたから、いきおい同じ本を何度も読むことにもなるのですが、その読書体験の何と豊かで濃密なことか…。

 そしてまた、登場人物たちが素晴らしいです。まず、リーゼルの里親となる夫婦がいます。彼女の父親となるのは、巻煙草をこよなく愛するペンキ屋でアコーディオン弾きで必ず約束を守る人、そして何よりリーゼルを文字の世界へといざなった人、ハンス・フーバーマンです。そして母親となったのは、罵倒言葉の宝庫で愛情深き、ローザ・フーバーマン。
 さらに、高潔で愉快な少年である親友のルディに、不屈なユダヤ人の青年のマックス。被害にあいながらもリーゼルを見守り続けた町長夫人にも、私は心惹かれてやみませんでした。
 戦争の悪夢が晴れる間際の怒涛のラストは、何度も涙で読めなくなりました。でも最後には涙が晴れるのです。
 (2007.10.17)

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