内田百閒、『百鬼園随筆』

 『百鬼園随筆』、内田百閒を読みました。
 
 お釣りで手渡されるお札もATMでおろしたお札も、上下裏表揃っていないと気持ちが悪い。…て、つまり私のことです。お札の向きが揃っていないと落ち着かない性分です。とりわけ几帳面なわけではないです…。このくらいのレベルの揃えたがりな人は、巷間で珍しいわけではないと思います。 
 そう、百鬼園先生の五月蝿さには、なかなかどうして凡人には太刀打ち出来るまい。
 1889年に生まれ、1971年に亡くなった百閒さんは、明治生まれの文士としては随分と長生きをされたことになります。漱石の門下生で、学生たちからとても慕われた教師だったこともよく知られています。でもその変人ぶりはかなりのもの。その随筆は全然とっつき難くなくて、むしろ「うひひ」と笑いがこみ上げてくる作風です。

 で、なぜ私が、お札の上下裏表が揃っていないと気になる…なんてしょうもない話をしたかと言いますと、もっと凄い話がこの中にあって、おおいに感服しつつ笑ったからです。いや~、流石は百鬼園先生。個人のこだわりもここまで妄想が広がると、甚だシュールであります。
 この「蜻蛉玉」という小品は、“私と云うのは、文章上の私です。筆者自身の事ではありません”という一文から始まりますが、恐らくそれを真に受ける必要はないかと…思われます。曰く、“一番いやなのは、物の曲がっている事です”ということから、紙幣を揃える話になります。曰く、“人が無茶苦茶な向きになっているお札を、そのまま懐に入れていると思うと、自分の懐の中まで変にくすぐったい様で落ち着けない”。えっ、自分の分だけじゃないの…と吃驚しつつ読んでいくと、そこから更に百閒先生の妄想が始まり…。うう~ん、面白かったぁ。

 また、「百鬼園先生言行余禄」では、ご自分のことが「百鬼園氏」として語られる中に、子供っぽく滑稽なところが余さず突き放した筆致で描かれ、教師時代の学生とのやりとりが大真面目な可笑しさを滲ませて再現されていますので、とても愉快でした。 

 百鬼園先生、かなり変わってるし頑固ですし、機嫌を損ねたら梃子でも動かない感じで、融通の利かなさといい加減なところ(借金魔、遅刻魔でもあり…)が渾然一体となっています。でも多分ご本人の中では、確固とした自分律のようなものがあったのでしょうね。その自分律の仕組みのわかり難さこそが、周りの人々を惹き付けたのでしょうか?
 表紙の装画は、同じく漱石門下のあの方によるもの。じっくり眺めました。
 (2007.10.1)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )