熊野古道を歩くシリーズの最後は「熊野本宮大社」の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」をご紹介します。
「大斎原(おおゆのはら)」
熊野本宮大社は太古より、ここ熊野川、岩田川、音無川の三つの川が合流する大斎原の中州に鎮まり、第十代崇神天皇の御代に至って、社殿が創建されたと言われています。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台などが建てられていたようであり、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたようです。
ところが、不幸にして明治22年(1889年)、熊野川の大洪水によって八神殿が倒壊しました。
辛うじて倒壊を免れた上四社を現在の場所の北西の丘陵に遷し、倒壊した中社、下社と摂末社の神々は二基の石祠それぞれにお祀りしました。
下の鳥瞰絵図は江戸時代に描かれたもので、一万坪を超える境内の概要が窺えるものです。
・水害前の大斎原です(ネットより)
「日本第一大鳥居」
この大鳥居は、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原(おおゆのはら)に建立された日本最大の第一大鳥居です。
高さ約34m、幅約42mで、鳥居の中央には八咫烏が掲げられています。
・旧社地「大斎原(おおゆのはら)」の日本第一大鳥居です。(以下の3画像は2009年10月撮影)
史上有名な「熊野御幸」はこの聖地で、宇多上皇(887年~897年)より亀山上皇(1259年~1274年)に至るまで、歴代上皇、法皇、女院の行幸は百数十度に及んだそうです。
・旧社地「大斎原(おおゆのはら)」に通じる参詣道です。
・熊野本宮大社の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」の石碑です。
・観光協会に展示されていた「蟻の熊野詣」のジオラマです。
現役時代のOB会による“熊野古道を歩こう”は、4年に亘る長期企画でしたが、今回無事に本宮大社にお参りすることができ、満願成就となりました。
私が熊野本宮にお参りするのは今回が2回目ですが、より一層心のよりどころが得られたような気がします。
嘗て「蟻の熊野詣」と言われる程大勢の人々が熊野本宮大社を目指しましたが、当時の人たちの心境が分かるような気がします。
読者の皆さんでまだお参りされていない方、ぜひ一度、世界遺産の熊野本宮大社にお参りされることをお勧めいたします。