らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

熊野古道を歩く(その7)「熊野本宮大社(1)」

2013-12-03 | 趣味

熊野詣の人々が夢にまで見た聖地、熊野本宮大社は杉の木立が生い茂る静かな森の中、158段の石段を上ったところに鎮座しています。
現在の熊野本宮大社は明治22年(1889年)の熊野川の大洪水で流出を免れた社殿をそっくりそのまま移築したもので、元は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる熊野川の中州にありました。(大斎原は明日ご紹介します)

・表参道の大鳥居です。



・杉木立に囲まれた158段の表参道です。(2009年10月撮影)


「熊野本宮大社」の由来
「熊野本宮大社」の由来は、降臨神話が始まりとされています。
即ち、崇神天皇65年(紀元前33年)に熊野の連(むらじ)大斎原(おおゆのはら:旧社地)において、大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い、「天高くあるはずの月がどうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねたところ、その真ん中にある月が答えて曰く、「我は證誠大権現(家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=素戔嗚大神)であり、両側の月は両所権現(御子速玉之男神(みこはやたのおおかみ)と熊野牟須美神(くまのふすみのおおかみ)である。社殿を創って齋(い)き祀れ」
との神勅がくだされ、社殿が造営されたのが始まりとする神話です。

・拝殿です。左右には神武天皇ゆかりの八咫鳥(やたがらす)の幟が立てられています。



「神門」
熊野本宮大社は、元はこの場所の前を流れている熊野川の中州にありましたが、明治22年の大洪水で社殿が破損した為、現在の場所に遷座したものです。
本殿は神門の奥になります。

・神門です


・本殿です。左から「結宮」、「本宮」、「若宮」です。(2009年10月撮影)



「結宮」
第一殿 ・・・相殿 事解之男神 (ことさかのおのかみ)
        熊野夫須美神(イザナミ)と御一緒に御祭りされ、表に出てこない神様。
        伊邪那岐大神様が黄泉国に伊邪那美大神様に逢いに来られ、互いにあるお約束事をされた時に、発した言葉の中から生まれた神様

第二殿・・・ 速玉之男神 (はやたまのおのかみ)
        伊邪那岐大神様が黄泉国に伊邪那美大神様に逢いに来られ、互いにあるお約束事をされた時に、唾を吐き合う儀式の中から生まれた神様。

・結宮です。左が第一殿、右が第二殿です。


「本宮」
第三殿・・・ 家津美御子大神 (けつみみこのおおかみ=素戔嗚大神) 
        本宮大社の主祭神 です。
        大神は御身の御毛を抜いて、種々の木を育成させた事により、木の神と称えられ、木(紀)の国の名の起こりは大神様の御神徳によるものと伝っています。

・本宮・第三殿です。        


「若宮」
第四殿 ・・・天照皇大神 (アマテラスオオミカミ)
        伊勢神宮の内宮と同じ神様
        伊邪那岐大神様が黄泉国の穢れを禊により祓った際、左の目を洗った時に燦然と輝いた光と共に生まれ、高天原を治め、皇室の皇祖神として仰がれている
        美しい女神様。

・若宮・第四殿です。


八咫烏(やたがらす)の由来」
八咫烏は日本神話で、神武東征の際に、タカミムスビによって神武天皇の下に遣わされ、熊野国から大和国へ入る険路の先導をしたとされる3本足のカラスです。
3本足は熊野本宮大社」の御祭神・「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ=素戔嗚大神)」の御神徳である、「智、仁、勇」或いは「天、地、人」を表しているといわれており、熊野では神の使者とされています。