goo blog サービス終了のお知らせ 

らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「北方領土」の国境の推移について

2009-02-07 | 時事
2月7日は「北方領土の日」です。
北方領土の日とは、「北方領土」問題に対する国民の関心と理解を深め、全国的な北方領土返還要求運動の一層の推進を図るために、1981年(昭和56年)1月6日の閣議で、2月7日を「北方領土の日」とすることを決定したものです。

この2月7日は、安政元年(1855年)伊豆の下田で日露通好条約が締結され、択捉島とウルップ島の間に国境を定め、択捉島以南の北方4島が我が国の領土として国際的にも明らかにされた歴史的な意義を持つ日であり、平和的な話し合いの中で領土の返還を求める「北方領土返還要求運動」推進の目的に最も合った日として設けられたものです。

北方領土の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島です。(北海道HPより)
       北方領土の地図

国境の取り決めの推移についてご紹介します。(北海道HPより)
①日露通好条約
 1855年(安政元年)の日露通好条約において日露両国の国境は択捉島と得撫島に決められ、択捉島から南は日本領土とし、得撫島から北のクリル諸島(千島
 列島)はロシア領土と確認しています。
              日露通好条約の際の国境線

②樺太千島交換条約
 1875年(明治8年)、樺太千島交換条約で、日本は樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島(得撫島から北の18の島々)を譲り受けました。
              樺太千島交換条約の際の国境線
              
③ポーツマス条約
 1905年(明治38年)、日露戦争後のポーツマス条約によって、北緯50度以南の樺太が日本の領土となりました。
              ポーツマス条約の際の国境線

④サン・フランシスコ平和条約
 1951年(昭和26年)、サン・フランシスコ平和条約によって、日本は千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利・権原及び請求権を放棄しました。
 しかし放棄した千島列島には固有の領土である北方4島は含まれていません。 
            サンフランシスコ平和条約の際の国境線

この北方4島はかつて一度も外国の領土となったことはなく、日本が固有の領土と主張する根拠はここにあります。