地元、熊取探訪(その3)、今日は「来迎寺」をご紹介します。
来迎寺のご住職にお聞きしたところ、このお寺は、元は雨山城(注)にあり、城主・橋本正高が八木龍王殿と称して朝夕に武運長久、繁栄安泰の祈願堂としていたそうです。
・来迎寺の山門です。
阿弥陀如来座像を本尊とする来迎寺は、鎌倉時代の特徴を示した三間四方(約30㎡)の小堂で、屋根は寄棟造り、行基葺、内部天井の四隅の梁がエビ虹梁という珍しい構造となっています。 (内部の公開は11月だけなので画像がありません)
・旧本堂(雨山城龍王殿)です。
日本三建築の一つとして国宝に指定されていましたが、現在は国の重要文化財となっています。
・寺の創建・沿革は明らかではないそうですが、寺伝によれば、もと天台宗であったものが、後に真言宗となり、元禄2年(1689年)に曹洞宗梅渓寺の末寺になったと
言われています。
・現在の本堂です。
・新本堂の横にある鐘楼と梵鐘です。
この来迎寺は、JR熊取駅から3.4kmのところに位置し、「くまとり観光ハイキングルート 2」に組み込まれています。
(注)
雨山城は、熊取町の南端に位置する雨山(314m)にあり、雨乞いの山として山頂には雨山龍王社がある山城です。
南北朝の時代(1346年)、楠木一族の橋本正高が築いたとされ、南朝方の和泉地方の拠点とされていました。
来迎寺のご住職にお聞きしたところ、このお寺は、元は雨山城(注)にあり、城主・橋本正高が八木龍王殿と称して朝夕に武運長久、繁栄安泰の祈願堂としていたそうです。
・来迎寺の山門です。
阿弥陀如来座像を本尊とする来迎寺は、鎌倉時代の特徴を示した三間四方(約30㎡)の小堂で、屋根は寄棟造り、行基葺、内部天井の四隅の梁がエビ虹梁という珍しい構造となっています。 (内部の公開は11月だけなので画像がありません)
・旧本堂(雨山城龍王殿)です。
日本三建築の一つとして国宝に指定されていましたが、現在は国の重要文化財となっています。
・寺の創建・沿革は明らかではないそうですが、寺伝によれば、もと天台宗であったものが、後に真言宗となり、元禄2年(1689年)に曹洞宗梅渓寺の末寺になったと
言われています。
・現在の本堂です。
・新本堂の横にある鐘楼と梵鐘です。
この来迎寺は、JR熊取駅から3.4kmのところに位置し、「くまとり観光ハイキングルート 2」に組み込まれています。
(注)
雨山城は、熊取町の南端に位置する雨山(314m)にあり、雨乞いの山として山頂には雨山龍王社がある山城です。
南北朝の時代(1346年)、楠木一族の橋本正高が築いたとされ、南朝方の和泉地方の拠点とされていました。