ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

風に立つライオン/さだまさし(小説)

2015-02-21 23:46:03 | 本を読みました

さだまさし著「風に立つライオン」幻冬舎文庫


さだまさしさんの名曲「風に立つライオン」を
小説にしたものです。

よーくみるとこの本、
カバーが2重になっています。
上の「映画化」のカバーは少し短め。
その下のもともとのピンクの表紙が見えるようになっています。


歌の方は、
ケニヤの野戦病院にひとりの日本人医師がいます。
その医師の元に、以前付き合っていた彼女から手紙が届く。
手紙の返事の内容か、それとも使えようとして考えていることか、
医師の語りでケニアでの生活、いろいろな思いがわかる。
どうやら彼女は他の人と結婚が決まったようだった。
「幸せになってください。おめでとう。さよなら」で
歌は終わる。


詳細はUチューブで。

風に立つライオン/さだまさし





この歌が映画になるときいて、
「ケニアでの出来事をベースに彼女との思い出を描くのかな?
 彼女よりケニアでの僻地医療を選んだ理由も加えて?
 無理がある。。。」と思いました。

それも、主役が大沢たかおとなると。。。。。

無理。。。




映画はどうなるかわかりませんが、
小説は、歌とまったくちがう内容でした。






ネタバレも含む感想です。
読んでない方はご注意してください。







小説は、序章は震災直後の石巻を
医療活動をするためにアフリカ人医師のンドゥングが訪れ、
石巻の現状を和歌子「おかあさん」にメールで伝えるところから
始まる。
「航一郎、やっとあなたの国に来ましたよ」

第1章は島田航一郎について、
上司、同僚が回顧または述懐という形で語ります。

航一郎自身は、全く語りません。

航一郎がどうして医師になったのか、
どうしてケニアに赴任したのか。
そのケニアで何があったのかが、
みなによって語られます。


第2章はンドゥングについて、
当時、野戦病院にいた人が
回顧または述懐という形で語ります。



航一郎はケニアでは
「ミスターダイジョウブ」と呼ばれるほど
楽天家でありながらも、
人々に希望を与える存在でした。

ケニアでは、金目当てに家を襲撃して
親を殺し、子供を連れ去ることは
よくあることでした。

目の前で親を殺された子供たちは
大きい子たちは、麻薬を打たれて
少年兵として使われたり、
小さい子たちは、兵士の前を横一列になって地雷原を歩き、
地雷のスウィーパーとして使われていました。

ケガをした子供たちは使い棄てで荒野に
置き去りにされていました。

そのように戦いで負傷した大人の兵士だけでなく、
ケガをし心を病んだ子供たちが
航一郎が働く病院に運ばれてきたのでした。

航一郎は子供たちが閉ざしてしまった心を
開かせるために、
いつも笑顔で話しかけていました。

ある日、12歳の少年兵ンドゥングがケガをして
運ばれてきます。
脱走しようとして撃たれたようでした。

ンドゥングは他の子供たちようには
なかなか心を開きませんでした。

航一郎の努力により、ようやく心を開いた
ンドゥングは
「僕は9人、人を殺した。
 そんな僕でも医者になれますか」と聞きます。
航一郎は
「なれるよ。
 だったら10人、人を助ければいい。」といいます。


その後、日本人看護師の和歌子は、
病院に保護されていて、
教育を受けることができないンドゥングたちのために
戦傷孤児保護院小・中学校を作り、運営するために
奮闘するのでした。


そしてその後、航一郎は、僻地の医療に向かう途中に
ゲリラに襲われ行方不明になるのでした。



航一郎が日本に残してきた女性も医師でした。
しかし、父が九州の離島で医師をしていて
その医師が倒れたため、父のあとを継ぐことになり
日本に残ったのでした。

そして幼馴染と結婚することになり、
航一郎に手紙を書いたのです。

航一郎はたった一言だけの返事を書きます。
「お願いだから幸せになってください」と。

(歌と全然違う返事なんですよね。。。。)



第3章、石巻の避難所のリーダー木場さんについて語られます。
ここでは、ンドゥングと和歌子とのメールと
避難所「明友館」に集まった人々の
回顧または述懐という形で語ります。


年月が経って、ンドゥングは医師になります。

日本が壊滅的な被害をうけたと聞いて
ンドゥングは人々を助けるために日本に向かいます。

しかし、東京も被害をうけていて、
東北への交通手段はまったくなく、
石巻で頼るはずだった医師との連絡も取れません。

ンドゥングは新潟経由で仙台に入ります。
そして石巻の病院で医療活動をします。


被災地では外国人の姿はめずらしく、
それも黒人は大変目立ちます。


ある日、お休みの日、
ンドゥングは木場に声をかけられます。

「アー・ユー・ドクターケニア?」

ンドゥングはドクターケニアと呼ばれたことに
大きく心が震えます。
航一郎はダクネリ・ジャポネと呼ばれていました。
他にも日本人医師がいたのにも関わらず。

ンドゥングは日本語で答えます。

木場は「日本語、んめえじゃん」と
ひまわりのような笑顔でいいます。

旧友に会った感じのようでした。

「そお?
 僕、ケニア育ちの日本人。
 コイチロだよ。
 姓はンドゥング、名はコイチロ。
 ケニア一の日本人だよ」とンドゥングは答えます。

ンドゥングは名前を
ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥングに
改めていたのでした。

「俺達、友達になれるか?」の木場に問いかけに
「あたぼーよ」と答えるンドゥング。

木場の運転するバイクに乗って
ンドゥングは避難所「明友館」に患者の診察に行くのでした。


木場は、航一郎に似た感じの人で、
ンドゥングは、早速和歌子に報告します。
安請け合いとしてしまうけれど、
必ずそれに応える人でした。

また、木場の人徳人脈で、
木場のいる避難所には日本中から支援物資が届き、
木場はその支援物資を他の避難所に届けたり、
自宅にて生活している人に届けていました。


明友館に「あきお」という震災のショックで
口がきけなくなった子供が保護されてきます。

ンドゥングは休み時間になると、
また時間があるときは必ず明友館を訪れ、
航一郎が自分にしてくれたように
「おめえよ」と声をかけてハグをしました。


ある日、ンドゥングが明友館の子供たちと
外出した先で、初老の男性が石段で転倒します。

誰かが「あぶない」と叫んで、
あつおが身をなげだして、
その男性が石段で頭を打つ前に下に入り込みます。

ンドゥングの応急処置で、男性は意識を取り戻します。


けれど、あの「あぶない」と叫んだのは誰?ということになり、
「あつお」が声が出たことがわかります。
そして笑えるようにもなっていました。

あつおの声が戻ったと喜ぶンドゥングと子供たち。


ある日、「あつお」は言います。
「僕もお医者さんになれますか」と。


ンドゥングの医療活動をみて、
自分も医師になりたいとおもったのでした。

航一郎からンドゥング、ンドゥングから「あつお」と
命のバトンがつながったのでした。






という話です。

大沢たかおさんが『「風に立つライオン」を小説にして、映画にして』
とさだまさしさんに直訴したそうです。

よって大沢たかおさんのイメージで島田航一郎は創られています。

大沢たかおさんはさだまさしさん原作の映画で
2回も医者の役をやっていますが、
その役とはかけ離れて
今回の役は『仁-jin-』のセンセに限りなく似た感じです。 


小説は、さだまさしさんの文章は
純文学的で理屈っぽくむずかしいところがありますが、
今回は医者などの高学歴の方々の回顧ですので、
かなりかなり理屈っぽい。。


でも、第三章の木場の
避難所の生活の場面については
みなさんに読んでもらいたいと思います。

避難所のシーンは映画では再現は難しいと思います。
震災のシーンで当時を思い出して
体調を崩す人があるでしょう。


50個しかないパンを避難民150人に配ばれない。
全員にいきわたらないから不平が起きると
もらうことを辞退する避難所のリーダーがいたそうです。

でも木場は、
「平等にするのだけがいいわけじゃない。
 だれが必要としているかみればわかる。
 その人を優先して渡せばいい」といいます。

平等に扱うことは難しいことです。
でも平等に扱えない時はどのように対応すればいいか、
また人との接し方について、教えてくれてくれます。

避難所だけでなく、生きて行くうえで
何を優先にすればいいかを教えてくれるそんな一冊です。
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