ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

死亡通知

2006-03-19 23:57:34 | Weblog
父が亡くなって、友人関係でどこまで連絡すればいいのか迷った。
大学時代の友人の父が亡くなったときは連絡がなかった。
彼女は友人関係にだれにも連絡しなかった。
だから私もそれに準じて連絡を止めようと思った。


けれど、父の入院のことで、
日々愚痴を聞いてもらっていた人には連絡しようと思った。
今はメールというものがある。
私はメールで父が亡くなったことを連絡した。
するとメールでお悔やみのと私への励ましメールをもらった。
みんな父とは面識もない。
それでいいと思った。


父が亡くなったことを連絡すると、
暗に「通夜または葬儀に出てください」といっているようだし、
父と面識のない人が葬儀に出て、
父のためになるのかと考えると連絡しない方がいいようにも思えた。


会社の遊び友達については、
私の上司が彼女らの上司に連絡したことにより
連絡が付き、みんなが参列してくれた。
彼女らには父が倒れたことは知らせていなかった。
最近、グループの一人の父親が亡くなったが
そのときは式には参列しないで、会社を代表して
通夜に参列する人に香典を預けた。
そういう前例があったので、
みんながそろって参列してくれたことにびっくりした。


大学時代の友人については、
いつも愚痴を聞いてくれた悪友にだけに連絡した。
その彼女がみんなに連絡してくれた。
最近は年賀状だけのつきあいなのに、
電車で片道2時間の道のりを駆けつけてくれた。
なかには、年賀状のつきあいもなく、
10年も音信不通の人が参列してくれたりして。。。。
(なぜだ????)
愚痴を聞いてくれた悪友を除いて、
だれも父はおろか母とも面識はない。


しかし、いろいろな都合で式に参列できなかった人が
弔電をくれたり、香典を現金書留で送ってくれる。
式に参列できなかったからと、
式に参列した場合の交通費を加味しての
高額の香典を送ってくれた。
なんか取り立てになってしまったようで申し訳ないような
後味が悪いのだ。


葬儀は亡くなった本人のためにするものでなく、
残された人の心の整理をつけるためにするものというが。

故人との面識がなく、遺族への義理立てで参列するもので
あってはならないと思う。
遺族への励ましは別の場でもいいと思う。

なぜ、面識のないひとの通夜・葬儀に参列するのか。。
だれか答えを教えてくれ。
コメント
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