計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

燕雀安知鴻鵠之志哉

2011年07月02日 | オピニオン・コメント
 書き下し文は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」となります。読み方は「えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや」です。

 「燕雀」とは、ツバメやスズメのような小さい鳥、転じて度量の小さい人や小人物を指し、「鴻鵠」とは大きな鳥、転じて大人物を意味します。つまり、この漢文の意味は「小さな人間には、大きな人間の志がどうしてわかることがあろうか、いや、わかるはずがない」という事になります。

 例えば、何か新しい事や、ずっと思い描いてきたに向かって本気で挑戦しようとする時、殆どの場合、周囲の人間に(例え家族や友人にでさえ)理解される事はありません。場合によっては「お前には無理だ」「夢を見るのはやめておけ」「どうせできっこないよ」等と心無い言葉を投げつけられ、精神的には、まさに孤立無援または孤立無縁の状態に追いつめられることさえあるでしょう。その時の心境を想像してみれば良いでしょう。

 その時、重大な岐路に立たされるのです。それでも(例え、今の周囲の人々と離れ離れになっても)自分の想いを貫いて邁進するのか、それとも(自分の夢や希望を諦めてでも 今の周囲との調和を重んじるのか、の二者択一を迫られます。これは究極的には「貴方は誰の人生を生きているのですか?」と言う問いかけでもあると思います。人はだれでも、「自分の人生」しか生きられないのです。

 かつての私は前者(=想いを貫いて邁進する)を選びました。一時的に精神的に孤独になっても、自分の「想い」を守るために、自らの心に鎧をまとい、武器を携え、武装していくしかなかったのです。当時、私を支えたのは、所謂「絆」の類ではなく、むしろ強い「想い」・・・泥臭く言えば「夢に対する執念」でした。

 この選択によって、私は多くのものを失いました。地元(=故郷)に残って(or 帰って?)、普通に就職して、普通に結婚して、普通に家庭を築いて・・・このようなモデルケースのような順風満帆な?人生からは、大きく横道に逸れていきました。しかし、だからこそ私はそれとは違う、多くの別のものを得ました。モデルケースのような人生では決して感じることのできない感動、見えることのない景色、気づく事もなかったであろう新しい価値観や思想・世界観、孤独に耐え得る強さ、出会うこともなかったであろう人々経験など・・・。それらが私も確実に導いてくれました。未だ私たちの挑戦は道の途中ですが、一歩一歩、しっかりと大地に足をつけながら、日々前に向かって進んでいます。

 私は教科としての「国語」は苦手で、「古典・漢文」は正直、嫌いな類でした。しかし、この「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、好きな言葉です。いつか必ず、真の「鴻鵠」になって見せる、その想いを噛みしめています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Congratulation ! K Computer ! | トップ | 悪夢の再来か・・・。 »

オピニオン・コメント」カテゴリの最新記事