退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「無くなった本屋とあった本屋あるいはアイドルの生き方=女子が晒されている環境であることもしくは『圧倒的に貧しい現実』」について

2020-10-19 02:41:48 | Weblog
くもりときどき晴れ。おだやか。

久方ぶりに地下街の丸善に行ったらなくなっていた。

仕方なく別の本屋を探したところ偶然ジュンク堂を見つける。
新書の棚をあれこれ見たものの何も買わず。

今度もう少し時間の余裕がある時に来ようと思った次第。
量は多いのにこれといったものを見つけられず。

小倉千加子「増補版 松田聖子論」を読む。

「アイドル」に「女子の生き方」を観る内容。
山口百恵のそれと比較したのがわかりやすい。

そもそも「男子の欲望の在り様」に左右されるしかない「女子の姿」は哀しい。
とにかく「好きに生きて」もらいたいもの。

作詞の松本隆に関する分析が実に鋭く。
徹底的に「田舎」を排除することに大いにうなずいた次第。

それにしても「特定の年代」を代表する歌手の存在は今後出て来るのだろうか。
ちょっと前なら安室奈美恵がいたのだけれど。

サトウトシキ「名前のない女たち うそつき女」(’18)を観る。

吹越満が出ているのでどんなものかと思って。
とりあえず「目を背けたい貧しさ」がありありと描かれていることは確か。

2010年の佐藤寿保監督作品のリメイクなのだろうか。
もっともその作品を観てはいないので何ともはや。

少なくとも「マスコミが伝えない現実」がここにはある。
貧乏なAV女優を取り巻く「世界」がここに。

オリジナルは各国で評価されたようだけれど全く知らず。
というわけでまた観たい作品が増えることに。

広すぎる「世界」に眩暈を覚えるほど。
ひとりの人間が確認できる「世界」は「たかが知れている」。
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「好ましい酒場と数少ない『ダメおやじ』に支配される政治あるいはほぼ同じキャストなのにつまらない作品」について

2020-10-18 02:43:58 | Weblog
雨。夜になって止む。

森まゆみ「望郷酒場を行く」を読む。

写真で酒場と料理がわかるのがありがたい。
もっとも店関係の人の顔が微妙にボケていたりするのだけれど。

東京にある各都道府県の酒や食べ物を出す店の紹介。
本作は10年前に出たものなので変化の速いかの地ではどうなっていることやら。

こうした酒場を知っていれば毎日通うかも。
おそらくは地元にもあれこれあると思われるものの。

残念ながら食べ物にあまり興味を持たぬまま暮らしてきた次第。
かつてはあれこれ飲んだ日本酒からも遠ざかって久しく。

こういう友だちがいてたまに誘ってくれるとありがたいのだが。
コロナ禍でそれぞれの店がどうなっているのかが気になるところ。

マル激を観る。

今回のゲストは「格差問題」に詳しい橋本健二。
わずか1割の「新自由主義オヤジ」に操られる現実の酷さを知る。

リベラルは「正しさ」にこだわるより「動員」を考えろという指摘にふむふむ。
やはりここでも希望は「女子」にしかない模様。

立憲民主党は彼を是非ともブレーンにといった感じ。
安倍も菅も「キモい」ということでよさそう。

少なくとも「彼氏」にしたい人でないことは確かだろう。
彼らのパートナーには申し訳ないが。

「多数派」の「受け皿」がどこにもない貧しさよ。
要は野党政治家たちのマーケティングがダメなことも。

せめて室井佑月のエッセイぐらいは読んで頂きたいもの。
彼女の「真っ当さ」は「オヤジのダメさを知り尽くした結果」だと思うので。

澤田幸弘「関東幹部会」(’71)を観る。

「関東破門状」とほぼ同じキャストで撮られているのにこのつまらなさたるや。
そもそも長門勇をヤクザにするのは「とんでもないミスキャスト」。

本作に登場するほぼ唯一の女優丘みつ子のエピソードも盛り上がりに欠け。
いたずらに「男同士の友情」が持ち上げられてもといった趣き。

どうやらここでも「男のダメぶり」が。
原田芳雄が「近代ヤクザ」として登場するあたりが「数少ない見どころ」か。

何とも残念な作品。
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「非論理的で持続的な愛の結果と『典型的なヤクザ映画』における俳優たちの魅力」について

2020-10-17 02:13:19 | Weblog
晴れ。夜にポツリ。

蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」読了。

後半にやはり「数字」が来たかといった趣き。
繰り返すが「ここまで読むのか」という感想など。

「テキストにはこう書かれている」というのが重要。
論者の「思い」などとは関係なく。

「小説の読解」に「正解」などないことも。
「作家の意図」を超えた読み取りがあればいいだけ。

本書はもうフランス語に翻訳されてかの国に届いたのだろうか。
「非論理的な愛」には圧倒されるのみ。

もっとも「怠惰な読者」としては「自分にわかる部分のみの理解」で。
「モデル」に関する話が趣き深いところ。

「老年の完熟ぶり」などという「抽象的な言葉」しか出て来ない自らの「貧しさ」よ。
ここには「若年の短く激しい情熱」とは異なる「持続の力」がありそう。

小澤啓一「関東破門状」(’71)を観る。

「仁義を通す」渡哲也と佐藤慶の姿にふむふむ。
郷鍈治や長谷川明男、岡崎二朗も。

彼らを潰そうとする悪玉に山本麟一(小学校の同級生のおじさんだったはず)。
曽根晴美、榎木兵衛も確認。

女優陣は夏純子と丘みつ子。
ほぼ半世紀前の初々しさよ。

藤竜也、青木義朗、内田良平はほぼ「カメオ」。
佐々木孝丸の「親分」も忘れずに。

物語は「典型的なヤクザもの」。
要は「我慢に我慢を重ねた挙句の突出」。

86分でこれだけの内容が描けるのだから。
いたずらに作品が長くなるのは「無駄」だと思うべし。

渡哲也の表情が何とも魅力的である一方。
こんなに「やさしい」佐藤慶の姿は初めて観たような印象。
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「教育の本義を思い出すことあるいは何とも好ましい映画」について

2020-10-16 02:23:45 | Weblog
晴れ。夜にやや冷える。

前川喜平・寺脇研「これからの日本、これからの教育」を読む。

「感染」を引き起こすような人との出会いがふたりを支えている模様。
やはりそこに尽きるか。

憲法第二十六条に曰く。

すべて国民は法律の定めるところによりその能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は法律の定めるところによりその保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
義務教育はこれを無償とする。

これに反するものは憲法違反というのみ。
たかの知れた政治家が教育を「思いのまま」にするなどもってのほか。

そもそも「上からの押し付け『道徳』」は「愛国」に反すること。
その程度の「常識」もわからないのではお話にならず。

すでに「教育の機会均等」は失われて久しく。
とりわけ「経済的弱者」がそれを失っていることが問題で。

「現在の学校」がほぼ「破綻している」ことも覚えておこう。
そういう場所に「毎日通うこと」を無条件の前提とすることに意味はない。

個人的には「職人」のような「技術者」をもっと増やすべきだと思うことしきり。
英語も数学も出来なくていいから。

「確かな技術」を手に入れてそれで生きて行けることの方が好ましい。
農業や漁業、林業も含めての話なのでよろしく。

斉藤武市「東京の暴れん坊」(’60)を久方ぶりに再見。

「パリ帰りの江戸っ子」という設定が何とも。
小林旭の「親不孝声」というのは「倶利伽羅紋々の女房」の台詞から。

ちなみに日活のホームページでは「倶利伽羅悶々」となっているのが可笑しい。
ロマンポルノに引きずられ過ぎだろうと思いつつ。

浅丘ルリ子も同様の畳み掛ける口調のスピードが心地よく。
ヤクザから足を洗った近藤宏の心意気も。

小川虎之助の大物政治家のキャラクターが今となっては懐かしく。
マダムの中原早苗と秘書の小薗容子は「対照的な魅力」を発揮。

マダムに手玉に取られる藤村有弘、小沢昭一、十朱久雄のトリオもなかなか。
三島雅夫の何ともいやらしい実業家と「オードブル上がったよ」という森川信も。

冒頭の「ミュージカル」が素敵。
ノーチヨサン節」がいいですな。

J'étais satisfait=私は満足しました。
敢えてフランス語で言っておこう。
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「もったいない造りの本と昨日書いた時代とはまた異なる『日活』の作品」について

2020-10-15 02:24:56 | Weblog
晴れ。ドトールの冷房のために上着を持って出かける陽気。

坪木和久「激甚気象はなぜ起こる」を読む。

寝惚けて一度早起きしてしまったせいか内容が身に沁みず。
どうにも眠くなっていけねえ。

その後復活してどうにか。
それにしても本書はいささか長すぎるし整理されていなさすぎる。

「温位」というエネルギー保存則を元にした「基準」にはなるほど。
その他にも興味深い解説があるのにもったいない限り。

本書の内容は出来れば2冊に分けるべきだったのではないか。
ブルーバックスで1冊とエッセイで1冊という風に。

編集者がもっと仕事をしないと。
「素人」には質・量ともに「付いて行きにくい」もの。

斎藤武市「ろくでなし稼業」(’61)を観る。

「エースのジョー」宍戸錠と「ダンプガイ」二谷英明の掛け合いが楽しく。
おきゃんなマダム南田洋子にウブな娘吉永小百合という「贅沢」。

金子信雄と小沢栄太郎のいかにもな「悪玉ぶり」。
深江章喜がシャープで待田京介と土方弘は「コメディ・リリーフ」(特に後者)。

沢本忠雄は「純情な青年」。
山田禅二の船長も案外活躍して。

宍戸錠が2曲も歌うのは小林旭の「渡り鳥シリーズ」の監督のせいか。
「バンサ」藤村有弘がニ谷英明と同じ衣装でプラカードを持って本作を宣伝するサービスも。

主役ふたりの「殴り合い」には「本物の匂い」があり。
「技斗」高瀬将敏の「成果」だろう。

助監督に神代辰巳の名前があるのも覚えておこう。
こういう時代の「日活」もあったのだということでよろしく。
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「日活ロマンポルノと大昔の日活作品」について

2020-10-14 02:54:03 | Weblog
晴れ。気持ちのいい天気。

ワイズ出版編集部・編「日活 1971-1988」を観て読む。

「ロマンポルノ時代」の日活に関わった監督や女優、スタッフたちのエッセイや対談など。
残念ながら作品そのものはあまり観ていない。

「団地妻 昼下りの情事」(’71)「一条さゆり 濡れた欲情」(’72)
「桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール」(’78)「天使のはらわた 赤い教室」(’79)

芹明香と花柳幻舟が共演した「(秘)色情めす市場」(’74)や
五月みどりの「マダム・スキャンダル 10秒死なせて」(’82)くらい。

若い頃に映画雑誌「ロードショー」で作品の紹介のみ見ていたり。
タイトルとスチール写真と女優たちを辛うじて知っているだけ。

昔は通学路の途中にこうした作品のポスターが貼ってあったり。
副題に「撮影所が育んだ才能たち」。

同時代には間に合わなかったものの観たい作品はここにもたっぷり。
繰り返すが退屈しているヒマなどない。

山中貞雄「丹下左膳余話 百萬両の壺」(’35)を久方ぶりに再見。

大河内傳次郎と喜代三のふたりが互いに押し付け合いながらちょび安を可愛がる姿よ。
言い合いのカットの後で「言葉とは裏腹な行動」が示されるのが好ましい。

長門裕之と津川雅彦の父、澤村國太郎のへなちょこ道場主ぶりが可笑しく。
萩野の花井蘭子の尻に敷かれて。

地元には「矢場町」という地名があるのだけれど
本物の「矢場」という場所の在り様を教えてくれたり。

黒澤明「酔いどれ天使」(’48)のヤクザ山本礼三郎が出ているのを忘れていた次第。
お久の深水藤子はときどき「松田聖子」に見えたり。

大河内傳次郎の独特の台詞回しと立ち回りの魅力にしばしウットリ。
何度も歌う喜代三は「鹿児島小原良節」「明治一代女」のヒット歌手。

いやはや。
何とも楽しい作品を是非。
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「『いずこも同じ秋の夕暮れ』であることとキャラクターに似合わない『猥談』のような映画」について

2020-10-13 02:55:01 | Weblog
晴れ。まだまだ暑い。

有田正規「科学の困ったウラ事情」を読む。

数値目標を立てさせられた上で短期間に成果を上げなければならず。
論文にも質より数が求められ。

そうした「評価」を受けなければやっていけない模様。
なるほど「いいね!」や「フォロワーの数」を競う世の中と変わらず。

これでは「まともな研究」など望むべくもなく。
「いずこも同じ秋の夕暮れ」といった趣き。

こうした事情はわが国のみならず。
「世界的な劣化」が進行中といったところか。

それでも「好ましいもの」はたくさんある。
「きちんとした仕事」をそれぞれがやればいいだけ。

小津安二郎「風の中の牝雞」(’48)を観る。

病気の子どものために一度だけ売春した妻と
ようやく復員した後にその事実を知り苦しむ夫のお話。

佐野周二はいかにも「横暴」だけれどいわゆる「戦争神経症」を思えば無理もなく。
敢えて言えばそれがすぐに「治ってしまう描写」こそが微妙なはず。

当時39歳の田中絹代に十もサバを読ませるのは「不自然」ではなかったのか。
彼女が「二重アゴ」になっているのを隠そうともしないのは敢えてなのかどうか。

若い頃「お店に勤めていた」という設定はかつての同僚村田知英子の台詞でわかる。
売春について「相談して欲しかった」という彼女は過去に主人公に救われたことがあり。

「戦後の現実の生々しさ」がどうやら監督のリズムとは合わず。
「階段落ち」の激しさも同様に。

常連の坂本武、笠智衆に加えて三井弘次がちょいと顔見せ。
岡村文子の女将がいかにも。

若い看護婦の「あけすけな会話」も気になるところ。
堤防の上で仰向けになる田中絹代が脇の下を見せるシーンも。

佐野周二が彼女を襲うシーンもあったり(なまめかしい声も)。
どうやら「戦後のエロ」を採り入れすぎたか。

かの監督にしてこの失敗作ありといった感じ。
「キャラクターに似合わない猥談」を聞かされたような。
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「戦前戦後に関する証言と映画」について

2020-10-12 02:37:57 | Weblog
晴れ。洗濯物が満艦飾に。

小林信彦「アメリカと戦いながら日本映画を観た」を読む。

単行本の時のタイトルは「一少年の観た『聖戦』」。
おそらくは四半世紀ぶりの再読。

わが国のアメリカ文化への傾倒が戦前に始まっていたことをあらためて。
知らぬ間に「『聖戦を疑わない』少年」が生まれることも同様に。

「信ちゃん、戦争が始まったよ」という近所の文房具屋のお兄さんの言葉よ。
当時は新聞の扇動によって相当なインテリまでが「閉塞感から解放感への移行」を味わい。

これこそまさに「『空気』のもたらす力」だと思うことしきり。
戦争の実態はと言えば当初の連戦連勝はミッドウェーで終わり。

ただしその事実は「大本営発表」によって知らされず。
やがて新聞記事の「変調」によって「どこかおかしい」感じが残るようになり。

「学童疎開」における現実は著者の「冬の神話」を是非。
軍国主義一本槍だった新聞や教師が戦後もそのままだったり豹変したりする姿を忘れずに。

成瀬巳喜男「銀座化粧」(’51)を再見。

本作が公開された昭和二十六年はまだ「米軍占領下」ゆえ。
冒頭に英語の看板があれこれ現れる次第。

田中絹代が勤めるバーの名前は「ベラミ」でモーパッサンの小説由来。
香川京子の可愛さが何とも。

「男たちのダメさ」がさまざまに。
その代表格が三島雅夫の藤村で(「藤村詩集」に関するエピソードもあり)。

東野英次郎の菅野の吝嗇ぶりがなかなか。
「二号=妾」にしようという女を「倉庫」で口説くのだからいやはや。

田中春男の「自分の長唄のヘタさ」に気付かない鈍感さ。
静江の花井蘭子の「浮気」に気付かない小杉義男も。

長唄の師匠清川玉枝の夫柳永二郎も毎日競輪通いで。
もっとも彼はその点以外は「いい人」だったりするけれど。

主人公の昔の男との間に出来た子ども春雄の姿が好ましく。
彼は「科学者志望」で「ノーベル賞を獲る」のだと。

その一方。

田中絹代は仕方なく引き受けた堀雄二の東京観光案内で彼を気に入るものの。
春雄の行方不明によって香川京子が彼と仲よくなってしまう皮肉。

「昔の銀座もしくは東京の姿」を確認したい向きにはうってつけ。
失われた「人情」についても。
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「論理に潜む非論理と『専門家』への敬意が失われ過ぎていることあるいはたやすく『時空を超えられる現在』について

2020-10-11 02:46:48 | Weblog
雨。夕方になって止む。

「『ボヴァリー夫人』論」を半分くらいのところまで読む。

フローベールがすべて意図したものかどうかは別にして。
よくもまあこれほどまでにひとつの小説を読み込めるもの。

その「情熱の在り処」を知りたいところ。
圧倒的な「論理」を支える非論理的なものを。

もっともその「論理」が本当なのかは確かめようもなく。
とりあえず来週末に読了予定。

マル激を観る。

今回は安倍政権の「教育政策」について。
政治がこれほど教育に対して権力を及ぼしていいものなのかどうか。

さらにはそうした「教育」がもたらすものの大きさについても同様に。
「ダメな人」の大量生産につながることを忘れずに。

すでに「劣化」が進んで久しいのにさらにそれを進めることにもなり。
やはりわが国の未来は暗いとしか言いようがなく。

未来のためには「人材」こそが「資源」だということが忘れ去られ。
いたずらに「短期的成果」を求める愚がはびこるのみ。

専門家への「敬意」が失われたことも問題。
何も知らない素人があまりに専門家をバカにしすぎて。

そういうお前は何様だと言いたいところ。
ネットによって誰もが発言できる「環境」がもたらしたマイナスよ。

少なくともきちんとした議論を交わした結果がないとどうにも。
ただしすでに「議論の不可能性」がアメリカ大統領選でも露わになっている次第。

山中貞雄「河内山宗俊」(’36)を久方ぶりに再見。

本作にも風船が登場するのを忘れていた。
原節子のために死ぬ河原崎長十郎と中村翫右衛門よ。

水の中に立つ三本の杭を映したショットの美しさ。
「美」を残すべく命がけになる主人公たちの姿を覚えておこう。

河内山の情婦お静の「嫉妬」とそれを刺激する市川莚司=加東大介の姿も。
前者は最期に河内山の愛情=倫理を知ることになり。

ユーモアが好ましいシークエンスもあれこれ。
「アノネのおっさん」高勢實乘の姿も確認。

監督が召集され戦地で死んでしまったのがいかにも残念な限り。
彼の作品が観られる現在の「時空を超えられる現実」は悪くないとはいえ。
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「誰も見ていないところを見る人の作品と明晰ゆえに曖昧にならざるを得ない人」について

2020-10-10 02:32:34 | Weblog
雨。今日も終日降る。

蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」を途中まで読む。

「ボヴァリー夫人」は3人いるじゃないかという冒頭の指摘がいかにも著者らしく。
いつものパターンだなと思うことしきり。

誰もが「見逃していること」を見ている人。
その後は「資料のあれこれ」は十分にチェックしているぞといった趣き。

わかりやすい「二項対立」を敢えて立てた上での展開。
「論理的な正しさ」に納得する一方であまり「刺激」を感じないのが不思議。

それはおそらく半世紀以上の時間をかけるほどの「愛着」がこちらにないせい。
同時に著者の作品をいろいろ読んでその「パターン」に慣れてしまったからだろう。

「自由間接文体」というのが興味深い。
言われてみればなるほどという「描写のスタイル」で。

「農業共進会」の描写を懐かしく思い出した次第。
「要約は万引きあるいはウソであること」を忘れずに。

「欲求不満の妻が不倫の挙句自殺した」というのがそれ。
フローベールが書いたのはそんなチンケなものではないということでよろしく。

明日も読む予定だが到底最後に至るとは思えず。
来週末に読了した際の「感想」がどうなるのかが我ながら気になる。

藤井謙二郎「曖昧な未来、黒沢清」(’03)を観る。

「アカルイミライ」(’03)の撮影現場と監督キャストスタッフに取材した作品。
「コミュニケーションの不可能性」は「地獄の警備員」(’92)以来変わらない認識ぶり。

その明晰ゆえに「曖昧」にならざるを得ない演出にふむふむ。
監督は常に「怖れ」を抱いていて。

「自由に溺れること」を本気で怖れているあたりが何とも「まとも」。
ただしいざとなったら「自らの『狂気』を全開にする」あたりがなかなか。

「どうしてこんな世界に生きていて狂わないでいられるのか」。
それが「倫理」として他人に迫る「密やかな怒り」よ。

その一点だけでも「信頼」に足る人物。
このところその作品が評価されているようでうれしい限り。
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