退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「教育の本義を思い出すことあるいは何とも好ましい映画」について

2020-10-16 02:23:45 | Weblog
晴れ。夜にやや冷える。

前川喜平・寺脇研「これからの日本、これからの教育」を読む。

「感染」を引き起こすような人との出会いがふたりを支えている模様。
やはりそこに尽きるか。

憲法第二十六条に曰く。

すべて国民は法律の定めるところによりその能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は法律の定めるところによりその保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
義務教育はこれを無償とする。

これに反するものは憲法違反というのみ。
たかの知れた政治家が教育を「思いのまま」にするなどもってのほか。

そもそも「上からの押し付け『道徳』」は「愛国」に反すること。
その程度の「常識」もわからないのではお話にならず。

すでに「教育の機会均等」は失われて久しく。
とりわけ「経済的弱者」がそれを失っていることが問題で。

「現在の学校」がほぼ「破綻している」ことも覚えておこう。
そういう場所に「毎日通うこと」を無条件の前提とすることに意味はない。

個人的には「職人」のような「技術者」をもっと増やすべきだと思うことしきり。
英語も数学も出来なくていいから。

「確かな技術」を手に入れてそれで生きて行けることの方が好ましい。
農業や漁業、林業も含めての話なのでよろしく。

斉藤武市「東京の暴れん坊」(’60)を久方ぶりに再見。

「パリ帰りの江戸っ子」という設定が何とも。
小林旭の「親不孝声」というのは「倶利伽羅紋々の女房」の台詞から。

ちなみに日活のホームページでは「倶利伽羅悶々」となっているのが可笑しい。
ロマンポルノに引きずられ過ぎだろうと思いつつ。

浅丘ルリ子も同様の畳み掛ける口調のスピードが心地よく。
ヤクザから足を洗った近藤宏の心意気も。

小川虎之助の大物政治家のキャラクターが今となっては懐かしく。
マダムの中原早苗と秘書の小薗容子は「対照的な魅力」を発揮。

マダムに手玉に取られる藤村有弘、小沢昭一、十朱久雄のトリオもなかなか。
三島雅夫の何ともいやらしい実業家と「オードブル上がったよ」という森川信も。

冒頭の「ミュージカル」が素敵。
ノーチヨサン節」がいいですな。

J'étais satisfait=私は満足しました。
敢えてフランス語で言っておこう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「もったいない造りの本と昨... | トップ | 「非論理的で持続的な愛の結... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事