退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「論理に潜む非論理と『専門家』への敬意が失われ過ぎていることあるいはたやすく『時空を超えられる現在』について

2020-10-11 02:46:48 | Weblog
雨。夕方になって止む。

「『ボヴァリー夫人』論」を半分くらいのところまで読む。

フローベールがすべて意図したものかどうかは別にして。
よくもまあこれほどまでにひとつの小説を読み込めるもの。

その「情熱の在り処」を知りたいところ。
圧倒的な「論理」を支える非論理的なものを。

もっともその「論理」が本当なのかは確かめようもなく。
とりあえず来週末に読了予定。

マル激を観る。

今回は安倍政権の「教育政策」について。
政治がこれほど教育に対して権力を及ぼしていいものなのかどうか。

さらにはそうした「教育」がもたらすものの大きさについても同様に。
「ダメな人」の大量生産につながることを忘れずに。

すでに「劣化」が進んで久しいのにさらにそれを進めることにもなり。
やはりわが国の未来は暗いとしか言いようがなく。

未来のためには「人材」こそが「資源」だということが忘れ去られ。
いたずらに「短期的成果」を求める愚がはびこるのみ。

専門家への「敬意」が失われたことも問題。
何も知らない素人があまりに専門家をバカにしすぎて。

そういうお前は何様だと言いたいところ。
ネットによって誰もが発言できる「環境」がもたらしたマイナスよ。

少なくともきちんとした議論を交わした結果がないとどうにも。
ただしすでに「議論の不可能性」がアメリカ大統領選でも露わになっている次第。

山中貞雄「河内山宗俊」(’36)を久方ぶりに再見。

本作にも風船が登場するのを忘れていた。
原節子のために死ぬ河原崎長十郎と中村翫右衛門よ。

水の中に立つ三本の杭を映したショットの美しさ。
「美」を残すべく命がけになる主人公たちの姿を覚えておこう。

河内山の情婦お静の「嫉妬」とそれを刺激する市川莚司=加東大介の姿も。
前者は最期に河内山の愛情=倫理を知ることになり。

ユーモアが好ましいシークエンスもあれこれ。
「アノネのおっさん」高勢實乘の姿も確認。

監督が召集され戦地で死んでしまったのがいかにも残念な限り。
彼の作品が観られる現在の「時空を超えられる現実」は悪くないとはいえ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「誰も見ていないところを見... | トップ | 「戦前戦後に関する証言と映... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事