退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「素敵な作家と素敵な映画」について

2020-10-09 03:01:05 | Weblog
雨。終日降る。

小林信彦「また、本音を申せば」を読む。

教えられたことと自らの経験が織り成す「構造色」を楽しむ。
綾瀬はるかや松本穂香については同感だがモトーラ世理奈の感想を聞きたいところ。

あるいは清原果耶についても。
ドラマ「透明なゆりかご」を観ていただきたいもの。

それにしても病を得て後の著者の「好奇心」は変わらず。
この姿は「大谷崎」に比して十分ではないか。

まだまだあれこれ教えてもらいたいなどと勝手なことなど。
数少ない「至福の時」を与えてくれる作家であることは確か。

黒沢清「岸辺の旅」(’15)を観る。

「人間を黒い粒にして消した」監督がこんなハートウォーミングな作品を撮るとは。
大友良英、江藤直子の音楽が素敵。

「彼岸と此岸の間=岸辺」ということ。
相変わらず「風に揺れるカーテン」が何度も。

「オレ、死んだんだよ」という「在り様」が浅野忠信にピッタリ。
「どこかテンポが遅い」深津絵里の愛情とそれゆえの嫉妬など。

「幽霊」を敢えて「実在」として描くのが面白いところ。
「死んだ人」が「生きている人」より「身近」であるのはよくあることで。

小松政夫が「同じ存在」である浅野忠信の「未来」を予言する格好。
幼くして亡くなった妹が現れてピアノを弾くシーンも好ましく。

「ロードムービー」という仕立てにしたのもいい感じ。
蒼井優の「魔性」を感じさせる表情もなかなか。

何とも「豊かな作品」と言うよりなく。
欧州で受ける理由がわかろうというもの。
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「女優を活かす『最恐』監督の演出ぶりと『映画の達人』にまた刺激されること」について

2020-10-08 02:20:37 | Weblog
くもり。夕方から降り始める。

昨日はまたまた寝オチする。

「最恐の映画監督 黒沢清の全貌」を面白く読み。
ドラマと知らず「贖罪」(’12)を一気に観ようとした結果。

蒼井優、小池栄子、安藤サクラ、池脇千鶴に小泉今日子。
今日最後まで観直して女優たちの魅力を堪能した次第。

湊かなえの原作は未読だけれど物語の着地点が見事。
基本は「どうしようもない男たちへの怒り」か。

蓮實重彦はその描写ぶりを「自罰感情」と呼んでいたはずで。
それにしても「工事現場のような警察署」が何とも(妙な光があったり)。

個人的には電車の中の小泉今日子の顔が印象に残る。
彼女をこんなにキレイに撮れるなんてといった趣き。

「多少の『ご都合主義』」など吹っ飛ぶほど。
今後はしばらく監督の未見作品を追いかけるつもり。

小林信彦「映画狂乱日記」を読む。

単行本でのタイトルは「古い洋画と新しい邦画と」。
今回は増村保造と若尾文子のコンビ作品をあれこれ思い出して楽しませてもらった。

「妻は告白する」(’61)より「清作の妻」(’65)を評価するかの女優にふむふむ。
「赤い天使」(’66)「華岡青洲の妻」(’67)もある一方。

「兵隊やくざ」(’65)「陸軍中野学校」(’66)では勝新や市川雷蔵とも関わり。
「セックスチェック 第二の性」(’68)や「盲獣」(’69)もあり。

個人的な感想なのでよろしく。
その他にも敢えて「盛りだくさん」だという常套句を使っておく。

「ジュネス企画」が出している映画は全部観たいもの。
もっとも積極的に買ってもいないしそれまで寿命が持つかどうか。

やはり「映画の愛人」であることをあらためて。
自分の都合であれこれ観るのみ。

ひとつだけラッキーなのは死ぬまで「退屈しない」のが確実なこと。
何しろ「観たい未見作品」が多すぎるんだもの。
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「脳梗塞がもたらす『世界』と半世紀前の戦争映画」について

2020-10-06 02:22:44 | Weblog
くもりときどき晴れ。夜風が冷たい。

小林信彦「生還」を読む。

突然の脳梗塞で入院して以来のあれこれを描いた作品。
どこか「別の星」でのSFのような趣き。

もっともおそらくは著者の「気難しさ」が引き寄せている部分もあり。
退院後二度の骨折に見舞われるのは何とも。

「感情のバランス」が崩れるあたりも覚えておきたいもの。
「先人のレポート」ということで。

とりあえず「生還」して「現役」に復帰したのは目出度い限り。
とはいえ「元の生活」には戻れず。

利き手の右手に問題がなかったのが「不幸中の幸い」か。
昔からの読者としては今後も長生きしていただきたいのみ。

堀川弘通「激動の昭和史 軍閥」(’70)を観る。

半世紀前の作品は「東宝8・15シリーズ」の第4作だとのこと。
監督は東条英機を演ずる小林桂樹とは「長いお付き合い」。

「評伝 黒澤明」はもう19年前になるのか。
8年前に彼岸へ行ってしまった模様。

「軍閥」という割りに陸海軍の争いはさほど描かれず。
「毎日新聞」の記者岸田森と加山雄三が「抵抗勢力」。

東条英機の「変貌ぶり」が中心のよう。
記録映像がたくさん使われているのが特徴か。

ただしその内容が興味深いかと言われると今となっては微妙かも。
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「友だちだったら好ましい女子たちと七変化のキャラクター」について

2020-10-05 02:37:45 | Weblog
くもり。日曜は食料の買い出しに行くのがルーティーンに。

ジェーン・スー「私がオバさんになったよ」を読む。

タイトルは森高千里「私がオバさんになっても」から。
「非実力派宣言」をした彼女は当時「オシャレ」で。

本書は対談集。
光浦靖子、山内マリコ、中野信子、田中俊之、海野つなみ、宇多丸、酒井順子、能町みね子。

宇多丸と早稲田で同じサークルに居たのを初めて知る。
先輩後輩の関係のようで。

残念ながら著者のラジオ番組は聴いたことがなく。
それでも「好ましい存在」であることに変わりはなく。

中野信子の「異端ぶり」をあらためて。
TVで見かける際はそうでもないのに。

「友だち」だといいなと思う「女子たち」の姿がいい感じ。
こちとら「ヘンなおぢさん」ではあるのだけれど。

松田定次「七つの顔」(’46)を観る。

片岡千恵蔵の「多羅尾伴内」を確認したくて。
観客からして「どう見ても千恵蔵」だという「矛盾」は横に置いておこう。

轟夕起子との「出会い」のシーンで「探偵小説の話」がちょいと。
「洲崎パラダイス 赤信号」(’56)ではすっかり「おかみさん」な女優の姿よ。

ホームズ、ルコック、ソーンダイク、チャーリー・チャン、フィロ・バンス、クイーンにルパン。
戦争が終わって「趣味」を満開にしたのだろうか。

本作の「トリック」は「古典的」ではあるもののうなずける内容。
後に小林旭もやったはずのキャラクターを知っておこう。

石森章太郎のマンガもあったか。
「正義と真実の使徒、藤村大造だ」という台詞はまだない。
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「天才のキャラクターの不思議と新しい小説のかたちあるいは『歴史の判断を俟つ』意味と憎めない人」について

2020-10-04 02:26:01 | Weblog
くもり。やや蒸す。

石川淳「森鷗外」読了。

やはりこの議論の立て方が面白く。
最後までその「面目」を維持したまま終わる。

「天才の漠としたキャラクターと素直に叙情を感じる姿」にふむふむ。
もっともその「合理」はいささか味気なかったりするところもあり。

「澁江抽斎」「伊澤蘭軒」「北条霞亭」を熟読玩味せよとの結論に至る次第。
「作者に都合のいい『物語』ではない小説のかたち」を編み出したということで。

ただし「堺事件」に関しては大岡昇平「堺港攘夷始末」もあり。
いずれそちらも読んでどうなるのかといったところ。

マル激を観る。

今回のゲストは番組ではお馴染みの情報クリアリングハウス理事長の三木由希子。
「歴史の判断を俟つ」などとのたまった前首相の言葉の中身のなさをあれこれと。

要は「記録=公文書」がなければそんなことが出来るはずもなく。
「政治家の意図」に沿った「忖度」がはびこることに。

自らの行いについて「堂々と出来ない人々」が権力を握り。
少なくとも「記録と照らし合わせて評価されること」が「当然」にならないとどうにも。

「批判を怖れる者」は自動的に「自らのインチキ臭さ」を証明するのみ。
今回の「学術会議騒動」においてそのことがあらためて浮き彫りに。

菅程度の人物を「首相」にしてしまうわが国の民度の低さもあらためて。
問われているのは「われわれの愚かさ」なのだということでよろしく。

清水宏「小原庄助さん」(’49)を観る。

「小原庄助さん」といえばこの曲が思い出され。
赤坂小梅と伊藤久男の歌唱。

人から何かを頼まれると断ることが出来ない男の物語。
「身上つぶした」ところで入ってきた泥棒に「もう少し早く来れば」という姿よ。

風見章子の妻と婆やの飯田蝶子の主人公に対する対応が趣き深い。
「やがて来る結末」を知った上でどこまでも付き合うのだからいやはや。

大河内伝次郎は後の森繁に似ていなくもなく。
独特の発声もここでは生きている感じ。

「酒ばかり飲んでいるダメ男」なのに「清々しさ」が残る不思議。
そのラストに微笑まざるを得ない作品。
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「微妙な本と趣き深い古典映画」について

2020-10-03 02:07:42 | Weblog
晴れ。おだやか。

河野哲也「いつかはみんな野生にもどる」を読む。

本書のテーマは「環境哲学」。
エマーソン、ソロー、ミューア、カーソン、ネスあるいは串田孫一らについて。

カントやバーク、パスカルや和辻哲郎には「経験」が足りないと。
こと「自然」についてはネイティブ・アメリカンの方が素晴らしいと。

ずいぶん「大きく出たもの」だと思う一方。
最後に林京子や井上光晴が出てきて「おやおや」といった趣き。

「何でそうなるの?」といった結果に。
残念ながら結局頷けないことに。

「壮大な自然」を観て「ここを開発したら大いに儲かる」と思う者たちもいるはず。
誰もが感動するわけではないことを忘れずにいたいもの。

山中貞雄「人情紙風船」(’37)を久方ぶりに再見。

中村翫右衛門の「髪結新三」の江戸っ子ぶりが何とも清々しく。
河原崎長十郎の「お公家のような浪人ぶり」も。

加東大介は「市川莚司」として登場。
「冬瓜みてえな顔しやがって」と言われるあたりが可笑しい。

長屋の大家と店子のいかにもな感じよ。
按摩の藪市が源公に煙管を直させるあたりのエピソードがなかなか。

お駒の霧立のぼるの「お嬢さんぶり」と又十郎の女房山岸しづ江の「対照」も。
ただし主人公ふたりの結末はタイトル通り。

又十郎の部屋で風に吹かれたり「どぶ」を流れたりする紙風船の描写を忘れずに。
「前進座総出演」の本作はやはりしみじみと趣き深い。

「首吊り」に始まり「心中」に終わることも覚えておこう。
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「『カタギ』ではない好ましい人々を描いたふたつの作品」について

2020-10-02 02:17:06 | Weblog
晴れ。このところだいぶ皮膚が薄くなった気がする。

伊藤昭久「チリ公列伝」を読む。

「チリ公」とは「チリ紙交換」のこと。
家庭から廃棄される古新聞古雑誌などを回収しトイレットペーパーなどと交換する仕事。

立場(タテバ)と呼ばれる集荷所兼問屋に集まるさまざまな人々の姿よ。
いわゆる「カタギ」ではいられない男たちの哀歓ぶりが何とも好ましく。

こういったかたちである種の人々を「包摂」できる場所があったのだということ。
ただしその仕事も今はもうなくなり。

「特定の時代の特定の場所の記録」として是非知っておきたいところ。
よくも悪くも「人間臭さ」がある場所だったことは間違いなく。

リリー・フランキーが好みそうなキャラクターがいっぱい。
「何事かをやらかしてしまうこと」に人はもっと寛大であっていいはず。

丸根賛太郎「狐の呉れた赤ん坊」(’45)を観る。

阪妻の「川越え人足ぶり」が実にいい感じ。
酒と喧嘩に明け暮れる男が捨て子を拾い「立派な父親」になるまでのお話。

「学」はなくとも「まともさ」を持つ人間がかつてはたくさんいたはず。
その「人情」にはちょいと泣ける。

そうした人物を諭す「長屋の大家」もいることを忘れずに。
今回はそれが質屋のオヤジで「質々始終苦」という「駄洒落」なども。

息子の善太が津川雅彦であるのも覚えておこう。
当時の芸名は「沢村マサヒコ」。

ちなみに阪妻の役名は「張り子の寅八」。
なるほど息子を思えば何事も「うなずく」よりないということらしい。
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「110年前のロンドン=倫敦の姿と『美貌』ゆえに翻弄される女の人生」について

2020-10-01 02:32:00 | Weblog
晴れ。おだやか。

長谷川如是閑「倫敦!倫敦?」を読む。

今から110年前のロンドンの記録。
漱石が訪れたほぼ十年後のこと。

興味深いのは「色街の様子」と「挑発的な女子」に関する批判だったり。
もっともパリやベルリンに比べるとロンドンは「控え目」だとも。

宿の「おかみさんの在り様」が何とも。
いかにもな「下町ぶり」に納得する。

鷗外「舞姫」と比べてみるのもいかが。
本書はむしろ英訳してかの国に届けるべきではないかと思うことしきり。

ちなみに「日英同盟」が結ばれたのは1902年(明治三十五年)のこと。
第一次大戦前なのでまだ街には何事もなく。

溝口健二「西鶴一代女」(’52)をようやく観る。

その「美貌」ゆえ男たち女たちの「都合」に翻弄され堕ちてゆく女の姿よ。
「身分違いの恋」に始まり。

田中絹代の演技が絶品。
三船敏郎が冒頭のみでいなくなるあたりが「黒澤作品」とは異なるところ。

尼の毛利菊枝に嫉妬されて寺から追い出されるあたりの描写がなかなか。
同様に嫉妬された沢村貞子には「しっぺ返し」をしたものの。

男優陣の豪華なこと。
菅井一郎、清水将夫、宇野重吉、進藤英太郎、加東大介、小川虎之助、柳永二郎に大泉滉。

ちょいと黒澤「羅生門」(’50)に似たところもあり。
監督が「色気」を出したのかも。

本作が「回想もの」であることも忘れずに。
「長回し」に耐える演技の数々の素晴らしさを是非。
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