退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『いずこも同じ秋の夕暮れ』であることとキャラクターに似合わない『猥談』のような映画」について

2020-10-13 02:55:01 | Weblog
晴れ。まだまだ暑い。

有田正規「科学の困ったウラ事情」を読む。

数値目標を立てさせられた上で短期間に成果を上げなければならず。
論文にも質より数が求められ。

そうした「評価」を受けなければやっていけない模様。
なるほど「いいね!」や「フォロワーの数」を競う世の中と変わらず。

これでは「まともな研究」など望むべくもなく。
「いずこも同じ秋の夕暮れ」といった趣き。

こうした事情はわが国のみならず。
「世界的な劣化」が進行中といったところか。

それでも「好ましいもの」はたくさんある。
「きちんとした仕事」をそれぞれがやればいいだけ。

小津安二郎「風の中の牝雞」(’48)を観る。

病気の子どものために一度だけ売春した妻と
ようやく復員した後にその事実を知り苦しむ夫のお話。

佐野周二はいかにも「横暴」だけれどいわゆる「戦争神経症」を思えば無理もなく。
敢えて言えばそれがすぐに「治ってしまう描写」こそが微妙なはず。

当時39歳の田中絹代に十もサバを読ませるのは「不自然」ではなかったのか。
彼女が「二重アゴ」になっているのを隠そうともしないのは敢えてなのかどうか。

若い頃「お店に勤めていた」という設定はかつての同僚村田知英子の台詞でわかる。
売春について「相談して欲しかった」という彼女は過去に主人公に救われたことがあり。

「戦後の現実の生々しさ」がどうやら監督のリズムとは合わず。
「階段落ち」の激しさも同様に。

常連の坂本武、笠智衆に加えて三井弘次がちょいと顔見せ。
岡村文子の女将がいかにも。

若い看護婦の「あけすけな会話」も気になるところ。
堤防の上で仰向けになる田中絹代が脇の下を見せるシーンも。

佐野周二が彼女を襲うシーンもあったり(なまめかしい声も)。
どうやら「戦後のエロ」を採り入れすぎたか。

かの監督にしてこの失敗作ありといった感じ。
「キャラクターに似合わない猥談」を聞かされたような。
コメント
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