退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「非論理的で持続的な愛の結果と『典型的なヤクザ映画』における俳優たちの魅力」について

2020-10-17 02:13:19 | Weblog
晴れ。夜にポツリ。

蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」読了。

後半にやはり「数字」が来たかといった趣き。
繰り返すが「ここまで読むのか」という感想など。

「テキストにはこう書かれている」というのが重要。
論者の「思い」などとは関係なく。

「小説の読解」に「正解」などないことも。
「作家の意図」を超えた読み取りがあればいいだけ。

本書はもうフランス語に翻訳されてかの国に届いたのだろうか。
「非論理的な愛」には圧倒されるのみ。

もっとも「怠惰な読者」としては「自分にわかる部分のみの理解」で。
「モデル」に関する話が趣き深いところ。

「老年の完熟ぶり」などという「抽象的な言葉」しか出て来ない自らの「貧しさ」よ。
ここには「若年の短く激しい情熱」とは異なる「持続の力」がありそう。

小澤啓一「関東破門状」(’71)を観る。

「仁義を通す」渡哲也と佐藤慶の姿にふむふむ。
郷鍈治や長谷川明男、岡崎二朗も。

彼らを潰そうとする悪玉に山本麟一(小学校の同級生のおじさんだったはず)。
曽根晴美、榎木兵衛も確認。

女優陣は夏純子と丘みつ子。
ほぼ半世紀前の初々しさよ。

藤竜也、青木義朗、内田良平はほぼ「カメオ」。
佐々木孝丸の「親分」も忘れずに。

物語は「典型的なヤクザもの」。
要は「我慢に我慢を重ねた挙句の突出」。

86分でこれだけの内容が描けるのだから。
いたずらに作品が長くなるのは「無駄」だと思うべし。

渡哲也の表情が何とも魅力的である一方。
こんなに「やさしい」佐藤慶の姿は初めて観たような印象。
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