退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「戦前戦後に関する証言と映画」について

2020-10-12 02:37:57 | Weblog
晴れ。洗濯物が満艦飾に。

小林信彦「アメリカと戦いながら日本映画を観た」を読む。

単行本の時のタイトルは「一少年の観た『聖戦』」。
おそらくは四半世紀ぶりの再読。

わが国のアメリカ文化への傾倒が戦前に始まっていたことをあらためて。
知らぬ間に「『聖戦を疑わない』少年」が生まれることも同様に。

「信ちゃん、戦争が始まったよ」という近所の文房具屋のお兄さんの言葉よ。
当時は新聞の扇動によって相当なインテリまでが「閉塞感から解放感への移行」を味わい。

これこそまさに「『空気』のもたらす力」だと思うことしきり。
戦争の実態はと言えば当初の連戦連勝はミッドウェーで終わり。

ただしその事実は「大本営発表」によって知らされず。
やがて新聞記事の「変調」によって「どこかおかしい」感じが残るようになり。

「学童疎開」における現実は著者の「冬の神話」を是非。
軍国主義一本槍だった新聞や教師が戦後もそのままだったり豹変したりする姿を忘れずに。

成瀬巳喜男「銀座化粧」(’51)を再見。

本作が公開された昭和二十六年はまだ「米軍占領下」ゆえ。
冒頭に英語の看板があれこれ現れる次第。

田中絹代が勤めるバーの名前は「ベラミ」でモーパッサンの小説由来。
香川京子の可愛さが何とも。

「男たちのダメさ」がさまざまに。
その代表格が三島雅夫の藤村で(「藤村詩集」に関するエピソードもあり)。

東野英次郎の菅野の吝嗇ぶりがなかなか。
「二号=妾」にしようという女を「倉庫」で口説くのだからいやはや。

田中春男の「自分の長唄のヘタさ」に気付かない鈍感さ。
静江の花井蘭子の「浮気」に気付かない小杉義男も。

長唄の師匠清川玉枝の夫柳永二郎も毎日競輪通いで。
もっとも彼はその点以外は「いい人」だったりするけれど。

主人公の昔の男との間に出来た子ども春雄の姿が好ましく。
彼は「科学者志望」で「ノーベル賞を獲る」のだと。

その一方。

田中絹代は仕方なく引き受けた堀雄二の東京観光案内で彼を気に入るものの。
春雄の行方不明によって香川京子が彼と仲よくなってしまう皮肉。

「昔の銀座もしくは東京の姿」を確認したい向きにはうってつけ。
失われた「人情」についても。
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