退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「人をせわしなくする技術」について

2014-03-19 03:02:12 | Weblog
くもりときどき雨。傘は持たずにすむ。

「ソーシャル無法地帯」読了。

フェイスブックにビールを飲んでふざけている写真を載せた教師が
それを見つけた親による校長への「報告」によってクビになったり。

わが国でも少し前にバイトの若者が店の冷蔵庫での「みっともない」写真を載せ
そのせいで店が閉店に追い込まれたりしたこともあった。

あるいは離婚訴訟で自分に有利な情報を手に入れるため
別人を装って当人に近付きわざと「自分の悪口」を言わせるなどということも。

いやはや。

元々は個人情報を他には利用しないと言っていたフェイスブックが
それらを利用すると儲かるため徐々に「規約」を変えているという事実に注意しよう。

本人の許可なしに個人情報を勝手に収集した場合の罰則あるいは罰金を
相当なものにする必要がありそう。

「ビッグデータ」の怪しさもどうやら明らかになったか。
ただし訴訟になった時にそれらをきちんと判断できる裁判官がいるかといえば心許ない限り。

相変わらず「悪いことをやっていなければいいだろう」というあたりで納まる予感がする。
フェイスブックあるいは他のアプリから得た情報によって「誤解」を深めるかも。

わが国でもやがてこうしたことが頻繁に起きるのだろう。
いやすでに起きているのかもしれない。

裁判員があれこれ検索をした結果「予断」を持ち
それを元に判決を下すのが一番怖いことになるはず。

ただでさえ「あぶない司法」には出来れば関わらないでおくのが肝要などと思いたくもなる次第。
ただしそれが現実になる時はある日突然やってきたりするので厄介。

ある種の「便利さ」を敢えて捨てた上で「他人の面倒臭さ」を抱え込むこと。
その程度の「器量」を持つことが望ましいが一般に人は無暗に忙しすぎる。

「ゆとり」というと思いだしやすいのは「ゆとり教育の弊害」とやらだけれど
そもそもわれわれの「普通の生活」には残念ながらあまりに「ゆとり」がなさすぎる。

その理由について考えた上で
もっとのんびり暮らせる「環境」を確保すべきだと思うのだが如何。
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「監視されていること」について

2014-03-18 02:22:22 | Weblog
晴れ。薄手のコートで出かける。

ローリー・アンドリュース「ソーシャル無法地帯」を途中まで読む。

SNSを使用することによって「便利」なことも増えた一方
膨大な個人情報が盗用されたり捏造したりすることが可能になった。

法律はそのような事態を想定していないので
憲法に照らし合わせてもどこまでが「犯罪」なのかわからない。

たとえばあなたが病気の友人を心配して「ガン治療」を検索したとする。
あなたの情報を集めているアプリはそれをあなたの「一部」として記録する。

あなたがあらたに保険に入ろうとしているとすると
保険会社があなたを調べその情報を元にあなたが「ガン」かもと判断する。

その結果あなたは罹ってもいないガンのせいで
それを断られる可能性がある。

あるいはあなたのメールアドレスが適当な文章とともに「出会い系サイト」に登録される。
身に覚えのないメールが大量に押し寄せて。

いつのまにかあなたとは全く別な「キャラクター」があなただと認識されることになる。
問題はあなたが就職しようとしていた会社の社員がそれを「事実」だと思って雇わない決定をすること。

などなど。

そもそもは個人を「消費の仕方」によって細分化し
よりピンポイントに広告を出して売上を増すための個人情報収集だったのだが。

それらが違う利用のされ方をすると
とんでもない現実が生まれてきたりするということ。

そして前述のように法律はそれらに追いつかず。
「先進国アメリカ」ではすでにそのようなことがたくさん起きている模様。

詳細は本書まで。

ネットを使うともはや「プライバシー」は風前の灯のよう。
われわれは「履歴」を安心して完全に消せる仕組みを要求すべきなのかもしれない。

めんどくさいこと夥しいこの「世界」。
「技術の光と影」については敏感であらねばならない模様。
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「アマチュア好きであること」について

2014-03-17 01:40:14 | Weblog
晴れ。コートだと少し汗ばむほど。

櫻井圭記・濱野智史・小川克彦・平野啓一郎・赤坂真理・金益見・木村亜希
「恋愛のアーキテクチャ」を読む。

「アーキテクチャ」は英語では「建築」。
ここでは「仕組み」もしくは「構造」という意味。

「セフレ=セックス・フレンド」という名前で
従来の「恋人たち」がするようなことをしつつ「理想」を追求する若者たちがいるらしい。

「ラブホテル」が「ラブホ」と呼ばれて
「セックスする場所」でない利用のされ方をしてるとも。

後者については知っていたけれど前者はについては初耳。
おそらく前者は「流行=カッコイイ」の一部でやがて廃れる。

「AKB」が「キャバクラ」と同じなのは了解済み。
母親が子どもに「人生」を託すパターンの対象が「他人」になっただけだと言っておこう。

「身銭を切ること」で本来自分が「体得」するものを
文字通り「金を払うこと」で代用しているならまさに「アイドル=偶像」。

どうもわが国の人々は「プロ」より「アマチュア」がお好きなようで。
どちらにも「魅力」が感じられるともう少し「豊か」になれるような気がするのだが。

いつものように「マル激」を観る。

「遠隔操作ウイルス事件」の裁判における「デタラメ」に始まって
実は「裁判所」が「閉じた組織」として「官僚支配」されているというお話。

ただし「正義」を司る組織として「世論」には弱いらしいので
ここから「官僚支配からの脱却」を始めるのが効果的かもという内容。

「お勉強」に時間という「コスト」をかけた「秀才」はそれゆえそこに「価値」を見出すのはわかるものの
その「ゴール」が結局は「金と出世」だとするなら貧しい限り。

「蓋然性=従来通りであること」を疑えないのは「本来の知性」からほど遠く。
その「当然」は自らがどういう存在であろうと「共通理解」であってもらいたいもの。

われわれに「近代」をやり直す「根気」はあるのか。
そもそも「近代」を理解していないのだとすれば絶望的ではあり。

この圧倒的な「劣化」の理由を見つけないと
「愛国心」など何の役にも立たないだろう。
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「家族的類似性」について

2014-03-16 02:28:35 | Weblog
晴れ。おだやか。

宮藤官九郎「いま、なんつった?」を読む。

文庫本がいささか痛んでいたせいか古本屋で80円。
これはお得と言わざるをえない。

「あとがき」にあった「悪く書かない」というルールは「正しい」。
「誰にでもできること」を敢えてやる意味がないから。

さらりと読めて気持ちいい回が多いのはさすが。
ときどき微妙に怒っていたりするけれど。

娘かんぱも実に魅力的に描かれていてほのぼのする。
「セリフ」にこだわると幼い子どもはほとんど「天才」に思えるだろう。

個人的には下の妹の子どもが幼かった頃の「ダンシングうんこ」が思い出される。
タンスに左手をかけてプルプルしていたはず。

年頃になったらその事実を是非本人に言ってやりたい。
真面目な顔でさりげなく。

その母である妹は赤ん坊の頃風呂の湯の表面に藻のように散らしたことがある。
その後滅多に笑わない子として育った後愛想のいい大人になった。

兄である自分を顧みれば
昔の家のポットン式を嫌ってパンツに漏らしたこともあり。

「括約筋の働き」に流されやすいのが「幼児の定め」だとしておく。

さて。

「柳家かえる」だった「鈴々舎馬風」と「山村紅葉」は似ている。
たった今TVのCMを見て気付いた次第。

生物学に関係ないそうした「血筋」があるのだすると
いっそ「家系図」を作るところまでやったみたらなどとあらぬことを。

カエルの子はカエル。

「ナマズの孫ではない」ことを歌う一方で
「トンビがタカを産む」こともあったりするのも面白い。
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「夢うつつ」について

2014-03-15 01:55:00 | Weblog
晴れ。やや風強し。

「言葉を育てる 米原万里対談集」を読む。

「通訳」という職業の「奇妙さ」と「清々しさ」をあらためて知る。
繰り返すが著者の早逝が惜しまれるのみ。

この種の「人材」をもっと育てることこそ必要。
次から次へと新たな生命は生まれるのだから。

「現実」が「ほろ苦い」のはビールのように当然。
味わいつつ飲み干せば次の酒が用意される。

目前の「絶望」は「前菜」として
「とびきりの芳醇」を味わうためのステップにしたいもの。

次に何が起きるのか誰もわからない。
「一寸先は闇」を「光のプレリュード」に。

できることは山ほどある。
それぞれの「舞台」でしかるべく。

見上げる空は果てることがない。
意識が尽きるまで見ればいいだけのこと。

やがてどこからか「同じ空を見る者」が現れ。
その時「時空」はいともたやすく超えられるものとなる。

やあ、こんにちは。

無意味だったはずの「挨拶」が圧倒的な「歓喜」に変わり
どこにもない場所で何かが引き継がれ。

・・・という長い夢をみた。
今も見ているような気がする。
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「認められない『当然』」について

2014-03-14 02:19:41 | Weblog
雨のち晴れ。夕方に激しい雨と夜になって風。

深夜揺れる。

愛媛で震度5強らしくこちらにもあまり時間を置かずやってくる。
今のところ伊方原発の異常は報告されていない。

マグニチュードは6.1なので規模はそれほど大きくない。
とはいえ名古屋にまであまり時間差なく伝わってきたのが気になるところ。

こういう国に暮らしているのだからやはり原発はやめた方がいい。
その「当然」がなぜ実現しないかをあらためて考えてみるべきだろう。

さて。

たまにはベストセラーをというわけで
アラン&バーバラ・ピーズ「嘘つき男と泣き虫女」を読む。

「話を聞かない男、地図を読めない女」の続編ということらしいが
読んでいないので詳細は不明。

「セックス・アピール度テスト付き」なのでとりあえず集団で「ネタ」にはできる。
ただし個人的にはあまり興味がない。

敢えてするなら「飲み会」でということ。
とりあえず楽しめる「環境」で使った方がいい。

具体的な夫婦のシチュエーションやちょいと笑えるジョークもあるので
それなりに遊べる内容。

互いの違いを認めることはかくも難しい。
この「エゴの綱引き」は時代を問わず続くとして。

「無前提に認めるもの」はおそらく「家庭」によって育てられる。
それぞれ自分がどのような「環境」で育ったかをできるだけ客観的に振り返れば少しはマシか。

「不都合な真実」はどこにもないけれど「不都合な事実」はどこにもあり。
それを受け止められるだけの「器量」を持つ者でありたいもの。
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「自覚」について

2014-03-13 02:44:23 | Weblog
晴れ。一転春の陽気。

松波晴人「ビジネスマンのための『行動観察』入門」を読む。

それぞれの職場を観察することで
アンケートではわからないポイントを見つけそれを効率アップにつなげる。

具体例があれこれ書かれている内容で
予想していたよりは面白かった。

特に印象的だったのは最初の「ワーキング・マザー」。
「出来て当然」という家事・育児を同時にこなすには相当なエネルギーがいること。

それなりに「理屈」ではわかっていたものの
「誰にも褒められない辛さ」が実にリアルに伝わってくる。

「男の無理解」の正体はこれだったのかと思い至った次第。
今更ながらではあるけれど関係各位には申し訳ない限り。

それと同時に「マルチ・タスク」をこなす女子の能力に脱帽。
あらためて自らの「鈍感および不器用さ」を認識させられた。

生物学的に「できそこない」であるわれわれ男子一同は
そのことを「肝に銘じ」なければならないだろう。

一方「腕利き営業マン」の「極意」を「明文化」するのにもふむふむ。
「なるほどそういうことか」と思うことしきり。

一度だけその種の仕事をしたこともあるのだけれど
こういう「説明」があればもっとやる気を出していたかもしれない。

もっともあくまで「後知恵」なので
当時の自分を振り返れば到底無理だとは思いつつ。

せっかくだから現在の仕事に生かそうという気持ちもなくはなく。
ただし「生来の怠け者」ゆえそれがどうなるかは別の話。

となると前半の女子に対する思いも同様になるのか。
何とも頼りないと言うよりほかない。

いやはや情けない生き物であるのだという自覚ばかりが深まるのみ。
せめて何事かのお役に立てればいいのだがどうなることやら。
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「無意識のエゴ」について

2014-03-12 02:30:20 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

源氏鶏太「女の頭と心 女性のための人生論」を読む。

オリジナルは昭和四十七年(1972)に出た模様。
今時とどう違うのかと思って古本屋で百円で購入。

ちなみに著者は戦後「サラリーマン小説」で一世を風靡し
その作品は映画やテレビドラマになったものも少なくない。

「婚前交渉」を認めないのは「処女」を重んじる昔の男ならでは(明治四十五年生まれ)。
大雑把にまとめてしまえば「夫唱婦随」。

妻を殴った話が出てくるのはいかにも「時代」を感じさせる。
その一方でセックスの重要性を語るのは今も変わらない。

基本的に「善導」しようという雰囲気が濃厚で
その「オヤジぶり」は現代の女子からすると煩いかも。

「悪い人」ではないけれど「無意識の『男中心主義』」。
今でもあちこちにいると思われるタイプではある。

そう言うと自分はそうでもないように思われるかもしれないがさにあらず。
振り返れば相当な「自己中心」であり今でもあまり変わってないはず。

常に「後で気付く」あたりはどうにも鈍感であると言わざるをえない。
おそらく「共同生活」に向いていないのだろうと思う次第。

なるほど「ご縁」がないのは当然で
これも「自業自得」ゆえ仕方のないこと。

とはいえ「通常のレール」からはずれたゆえに見えることも少なくなく。
何かを得れば何かを失う「原則」に従うのみ。

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「日常のあれこれ」について

2014-03-11 02:43:17 | Weblog
晴れ。小雪が舞う。

古本屋で本を買って読んだのだけれど
残念ながらあまり面白くなかったのでカット。

深夜TVドラマ「revenge」を観る。

陰謀によって父親を奪われた娘が
出自を隠して陰謀に加担した人々に復讐するというのが基本設定。

今回でようやく初回のシーンに戻ってきて
さまざまな「カラクリ」がわかった後だけに味わい深いという趣向。

真田広之が主人公の「先生」として登場したり。
かつて可愛かったマデリーン・ストウが「女帝」を演じていたり。

全体にキャストはややチープ感が漂う。
今後の展開に期待したいところ。

久方ぶりに知り合いの若い女子に会う。

さすがにマデリーン・ストウとまではいかないものの
すっかり顔が変わっていたのにふむふむ。

以前は「糸の切れた凧」のように危なっかしかった彼女は
ちょいとギャル風な「枠に納まった」印象。

いずれにせよ「居場所」を見つけたことはめでたい。
女子の顔の変化はそれにしても面白いものではある。

ちなみに古今東西の女優を見慣れているのでいわゆる「美人」にはうるさい。
ただしプライベートを振り返ると「好み」はそこにない模様。

もちろんわが身を顧みれば偉そうなことが言えた義理はなく
あくまで「趣味」なのでよろしく。

ところで。

E-girls「ごめんなさいのkissing you」をyoutubeで観て
「この韓流、karaより日本語うまいな」と思っていた。

その後J-POPだと知ってビックリ。
区別が付かないところをみるとさほど興味がないことを自覚した次第。
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「ある種の究極」について

2014-03-10 02:21:14 | Weblog
晴れ。風はまだ冷たい。

上の妹に付き合って梅を見に行く。

残念ながらあまり「美しさ」は感じられず。
その後図書館へは行ったものの閉館に間に合わずに返却のみ。

深夜マル激を観る。

船橋洋一がゲストで「原発敗戦」がテーマ。
ここでも「合理性」という「近代」を理解できないわが国の国民性が問題になる。

「全電源喪失」の背後には「村人たち」の「無責任体制」があったとのこと。
繰り返すがここでも「自分は悪くない」と言うための「アリバイ作り」が。

翻って本物の「エリート作り」にも話が及ぶ。
「損失切り=優先順位をつけること」ができない結果の無様さよ。

「悪平等」ゆえに避難所に食料が配られない「空気」に対して
それを破るだけの「器量」を持つ人物がいることが重要だと。

われわれは本気で「近代=合理性」を貫く意志があるのかどうか。
「最悪のシナリオ」を描くことそのものが「悪」だとされる「土壌」から脱却できるのか。

とりあえずそれぞれが他人に「影響」を与えるしかないだろう。
もっともそれが「好ましいもの」であるかは微妙だけれど。

そういえば昨夜NHKで漫画家しりあがり寿の番組を見たのだけれど
いつのまにか彼は「とんでもない奴」になっていた。

「すごい作品」を描いているようなので興味のある向きは是非。
「ほのぼの」が「極楽」に昇華した印象。

「神風が吹く」というわが国の「歴史」に意味があるなら
それを生かすことこそ「世界に対する使命」だとしよう。
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