退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「命令する『儀礼』」について

2014-03-05 03:18:31 | Weblog
くもりのち雨。仕事場で傘を借りる。

「ドグマ人類学総説 西洋のドグマ的諸問題」もあと少し。

「儀礼」が「命令および禁止」を見せることで
どこにもなかった「根拠」を生み出すカラクリが面白い。

「壮大な演劇」はやがて「正義=こうでなければならないかたち」を作り
一度確立してしまえば「聖典」としてさまざまな「解釈」がそれを補強し。

「人の生き方」を縁取るのは「法」。
ただし「健全な知性」はそれがなぜなのかを問い続けることはできる。

ラストはどうなるのか楽しみ。
読解の程度が浅いのでかなり「誤読」をしていることを自覚しつつ。

ところで。

この時期に学校では「謝恩会」という行事があるらしい。
「謝恩」という文字からは「先生に対するもの」という感じがするけれど。

実際はわずか30分くらいのもので
手紙を読んだり歌を歌ったりして終わるものだと聞く(もちろん一例ではある)。

今どき例外を除けばそれほど「謝恩」の気持ちもなかろう。
まさに「形式」のみが残っていてむしろない方がいいかも。

花粉症その他でマスクをしている生徒も多いだろうから
「口パクができて楽だろう」と言ったら「マスクははずせ」と言われるのだと。

なんじゃそりゃ。

「声を出していること」の「証明」を「強制」するような会はやめてしまえ。
まるで本来は強制などしないはずの「国旗国歌法」による教師へのそれをなぞったような。

バカバカしさもここに極まれり。
「恩」を感じた者が好き好きにその気持ちを表せばいいだけのこと。

「昔に学生をやっていてよかった。今なら間違いなくグレてるな」と感想を述べたら
知り合いの若者は笑っていたけれど。

やめよう。

そのひと言が言えない「大人たち」のせいで
若者たちが無意味に「殺伐とした現実」に向き合うよりない貧しさよ。
コメント
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