退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「アマチュア好きであること」について

2014-03-17 01:40:14 | Weblog
晴れ。コートだと少し汗ばむほど。

櫻井圭記・濱野智史・小川克彦・平野啓一郎・赤坂真理・金益見・木村亜希
「恋愛のアーキテクチャ」を読む。

「アーキテクチャ」は英語では「建築」。
ここでは「仕組み」もしくは「構造」という意味。

「セフレ=セックス・フレンド」という名前で
従来の「恋人たち」がするようなことをしつつ「理想」を追求する若者たちがいるらしい。

「ラブホテル」が「ラブホ」と呼ばれて
「セックスする場所」でない利用のされ方をしてるとも。

後者については知っていたけれど前者はについては初耳。
おそらく前者は「流行=カッコイイ」の一部でやがて廃れる。

「AKB」が「キャバクラ」と同じなのは了解済み。
母親が子どもに「人生」を託すパターンの対象が「他人」になっただけだと言っておこう。

「身銭を切ること」で本来自分が「体得」するものを
文字通り「金を払うこと」で代用しているならまさに「アイドル=偶像」。

どうもわが国の人々は「プロ」より「アマチュア」がお好きなようで。
どちらにも「魅力」が感じられるともう少し「豊か」になれるような気がするのだが。

いつものように「マル激」を観る。

「遠隔操作ウイルス事件」の裁判における「デタラメ」に始まって
実は「裁判所」が「閉じた組織」として「官僚支配」されているというお話。

ただし「正義」を司る組織として「世論」には弱いらしいので
ここから「官僚支配からの脱却」を始めるのが効果的かもという内容。

「お勉強」に時間という「コスト」をかけた「秀才」はそれゆえそこに「価値」を見出すのはわかるものの
その「ゴール」が結局は「金と出世」だとするなら貧しい限り。

「蓋然性=従来通りであること」を疑えないのは「本来の知性」からほど遠く。
その「当然」は自らがどういう存在であろうと「共通理解」であってもらいたいもの。

われわれに「近代」をやり直す「根気」はあるのか。
そもそも「近代」を理解していないのだとすれば絶望的ではあり。

この圧倒的な「劣化」の理由を見つけないと
「愛国心」など何の役にも立たないだろう。
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