退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある種の究極」について

2014-03-10 02:21:14 | Weblog
晴れ。風はまだ冷たい。

上の妹に付き合って梅を見に行く。

残念ながらあまり「美しさ」は感じられず。
その後図書館へは行ったものの閉館に間に合わずに返却のみ。

深夜マル激を観る。

船橋洋一がゲストで「原発敗戦」がテーマ。
ここでも「合理性」という「近代」を理解できないわが国の国民性が問題になる。

「全電源喪失」の背後には「村人たち」の「無責任体制」があったとのこと。
繰り返すがここでも「自分は悪くない」と言うための「アリバイ作り」が。

翻って本物の「エリート作り」にも話が及ぶ。
「損失切り=優先順位をつけること」ができない結果の無様さよ。

「悪平等」ゆえに避難所に食料が配られない「空気」に対して
それを破るだけの「器量」を持つ人物がいることが重要だと。

われわれは本気で「近代=合理性」を貫く意志があるのかどうか。
「最悪のシナリオ」を描くことそのものが「悪」だとされる「土壌」から脱却できるのか。

とりあえずそれぞれが他人に「影響」を与えるしかないだろう。
もっともそれが「好ましいもの」であるかは微妙だけれど。

そういえば昨夜NHKで漫画家しりあがり寿の番組を見たのだけれど
いつのまにか彼は「とんでもない奴」になっていた。

「すごい作品」を描いているようなので興味のある向きは是非。
「ほのぼの」が「極楽」に昇華した印象。

「神風が吹く」というわが国の「歴史」に意味があるなら
それを生かすことこそ「世界に対する使命」だとしよう。
コメント
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