退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「男と女」について

2014-03-29 04:46:54 | Weblog
くもりのち雨。春雨じゃ、食べていこう。

元同僚の誘いで仕事の後の飲み会。
ただいま帰宅。

どうやら「倦怠期」を迎えつつある彼は
彼女に対する不満をわかってもらいたかった模様。

もちろん野郎仲間にそれを言ってどうするというのが「常識的な見解」だけれど。
「出会った頃」との違いにいささかムッとしているよう。

女子からすれば「当然の反応」だと助言しておく。
「昭和の匂い」が濃厚な彼のことゆえ。

その他ふたりの野郎も似たようなことを言い。
「自己完結」するのはよくないのではないのかと「老爺心」など発揮して。

アダムとイヴの時代からどれほど年月が過ぎたことだろう。
それでも男女が互いに分かり合えない「不思議」に驚く。

「他人」を「理解」するのはかくも難しいことらしい。
果たして「自分本位」から抜け出せる日は来るのだろうか。

いつものようにいつもの時間に通い慣れた陸橋をのんびり下っていると
自転車に乗ったおばさんが向こうからやってきたので道をゆずりつつ通り過ぎようとした時のこと。

「そんな疲れた顔しとったらいかんがねー」

不意におばさんに話しかけられる。
思わず苦笑しながらうつむいて挨拶の代わりに。

こんな出会いがあるなんて。
早速飲み会のネタにさせていただく。

野郎なら絶対そんなことはしないという意見の一致を見た上で
そういう「世界」があることを伝えた次第。

昔懐かしい野球解説の小西得郎に倣うならば
「何と申しましょうか」。

関係各位には今後ともよろしくと言うよりなく。
ちなみに野郎よりは女子の方が話しやすい体質ではある。
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「尊敬の念」について

2014-03-29 02:30:17 | Weblog
晴れ。おだやか。

廣野嘉幸「サイエンティフィック・リテラシー」を読む。

「専門家」は「専門家」であるゆえに
実は白黒ハッキリしたことが言いにくいのが基本。

なぜなら「実はよくわからないこと」を扱っているので
知れば知るほどその種の部分が大きくなるから。

ただし「素人」からするとそれはただの「優柔不断」に見えるので
「中途半端な専門家」はそれに応えてついつい要らぬ「断言」をしてしまう。

それでも何らかの「選択」をするとなれば
「専門家任せ」でもなく「素人任せ」でもない「決定」をしなければならない。

ならばどうしたらいいのか。

専門家は素人の疑問に答える「説明役」に徹し
素人はそれに応じて少しずつ「賢くなること」。

その意味で本書の説明はどこにも偏らないところがよく
「これもあればあれもある」という説明に終始しているのが好ましい。

「科学的」におかしければおかしいと言えばいいし
いろんな説があるならその背景を説明すればいいだけ。

「感情」に流されやすいと人は「カタルシス=気晴らし」のみを求めるもの。
肩代わりをしなくてもいい他人の「感情」をいたずらに慮ったりもする。

さて。

われわれは「議論」の後に「爽やかな気持ち」になったことがあるだろうか。
「なるほどそういう考えもあるか」と思ったことは少ないはず。

残念ながら「勝ち負け」にこだわって
むしろ「殺伐とした思い」が残るだけのことが多いのではないか。

相手は自分に何を教えてくれるのだろう。
その「好奇心」がわれわれにはあまりにも欠けているかもしれない。

それを実際にしてくれる人物に会えば
われわれは自然に「尊敬の念」を持つことになる。
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