退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

’24 盆休み3

2024-08-18 02:41:20 | Weblog
晴れ。猛暑日はいつ終わるのか。

ロジェ・マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々 父の死」を読む。

チボー氏の死がこのように描かれる理由はと言えば。
「生」があるからだろう。

生きている者にとって「恐ろしいもの」を「認識できるもの」にしたかった模様。
ただし「死」を経験出来ない事実は変わらず。

「安楽死=苦しむ姿を見かねて死期を早めること」は悪くない。
薬が発達していない当時ならなおさら。

アントワーヌが父親の書き残したものを読むシークエンスでは。
「人は死んだ後でないと評価出来ない」ということらしく。

簡潔に言えば人は他人のことは「わからない」。
それが親族であろうとなかろうと。

後半の「キリスト教談義」をどう捉えるのかは人によって判断が分かれるはず。
「宗教」をどうしても必要とする人々がいることだけは確かなのかも。

マル激を観る。

今回は「ものの見方」を変えるための「デザイン」について。
小さなユニットにおいては「回復が可能であること」をあらためて。

肝心なのは「人と人のつながり」だったり。
その土地と人材に関する「確かな情報」を手に入れることが大切で。

「楽しさ」を体験することも同様に。
宮台真司の「享楽のない正義」が「正義のない享楽」を生み出すという指摘にうなずく。

数学の命題で言うところの「裏」が成立してしまうカラクリよ。
「享楽がなければ正義がある」が「享楽があれば正義がない」に。

単純な論理がこの世界を「貫通」していることを覚えておこう。
望ましいのは「享楽とともに正義があること」は言うまでもないのだとして。

三池崇史「神さまの言う通り」(’14)を観る。

福士蒼汰はなるほど悩むはずだと思う出来。
いわゆる「役者」としては全くの未完成だから。

神木隆之介の「あやしさ」は流石。
山崎紘菜は悪くはないが微妙で染谷将太は「消える」のが早すぎる。

村上虹郎も同様に。
リリー・フランキー、大森南朋の存在が「謎」なのも気になるところ。

池谷のぶえ、高島礼子も忘れずに。
本作の「とぼけた理不尽ぶり」はいい感じ。

要は「運次第」だったり。
「神さま」など到底信じていないあたりがなかなか。
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