放送大学の試験が終わりました。今回は1科目放棄し(次学期に回し)、たった1科目しか受けませんでした。実は、今学期は全部で3科目あったのですが、1つは前学期から課題も出していないので、試験を受けることもできませんでした。
その科目は「日本語表現法」です。文章の書き方を基本から学びたいと思って選んだものの、「○○は○○である。なぜならば~~~~」という型にはめた書き方で文を作らなくてはならないという最初の課題が、私にとってはどうにも障壁で、それを乗り越えることができませんでした。
なんでなんだろう。いやでいやでたまらない。とりあえず、その形式に従って書いてみればいいじゃないかと思うけれど、どうにもできない。考えたくもない。
だから、そこから先に進みようがない。
なんか私は、心理学的におかしいんじゃないかと思います。それで、捨てちゃったらすっきりしたけど、でも、受験票の「受験できません(通信指導未提出)」という記載を見て、その科目のことを思い出しました。
どうしてこの科目が自分にできなかったのか。英語はトラウマだけど、これは日本語だ。でもできないのだ。人には簡単にできることが自分にはできない。
今、気がついたこと。私は文型に当てはめることがダメなのだ。つまり、これは日本語の文章なのに、英語の勉強のようだからだ。
結局、外国語であろうと日本語であろうと、こういう勉強法は、どうにも自分には無理だということです。結局、自分のアタマの構造がおかしいのだと思います。
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こういう型の発想って英語の文型ですよね。
SVOCのように。論文とか新聞記事ならわかりやすいけれど、普段のおしゃべりでいきなり結論をいうことって日本人同士ならあまりないことかもしれませんしね。
英語アレルギーを克服する方法とやらが、ネットで検索すると出てくるのですが「SVOCの構造にあてはめたり、文型にあてはめて覚えればばっちり」だとか?それがいやで嫌いになっているのに~~~~と思ったしだいです。困ったことです。