山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

トラックバックって

2007-11-11 14:14:45 | 未分類過去
変ですね。
岡倉天心のシンポジウムについての記事になんで「恋愛人間関係の悩み相談」のブログがトラックバックされるんだろうと不思議だったのですが、
そういえば、文の内容に、岡倉天心の恋愛について書いた部分がありました。
私や友人が恋愛に悩んでるんなら、このトラックバックは適切だと思うけど、岡倉天心の人生を考えるのに、あんまり関係ないし・・・、と思います。
これは、文中の語句に反応した「自動トラックバック」なんでしょうね。
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実験の悩み

2007-11-11 11:13:17 | 放送大学
先日の放送大学の面接授業で、自宅での実験とそのレポートの宿題が出ていたんですが、締め切りが迫っています。どうしたって今日中にやらなきゃ無理なんですが、ちょっと試してみたところ、どうもうまくいきません。もうやめようかな。
あまりにも忙しくて今までやる時間がなかった。
いや、自分でいろんな予定を入れてしまっていたのがいけなかったです。
今日はもう家事もたまっているし、やらなきゃならないことが多すぎる。
実験って、授業中に学校の実験室でできればいいんですけどね。器具などもそろっているし・・・。
でも、そうやってお膳立てされているところでみんなでいっしょにってのは、小中学生までなのかな。どうやって実験をし、何を使い、うまくいかなかったら別の方法を考える、というようなことを自分で全部やらなくちゃいけない。人を頼っていたらいけないんでしょう。こういう実験能力がなきゃあ単位修得が認められないのは、自然科学系のコースとして当然ともいえます。
まあ、やらなきゃ自分が単位を落とすだけのことですから、かまわないといったらかまいません。
この科目の1単位がなくても、卒業できるしね。
講義の内容が自分にとってプラスになったから、それでいいです。

実験レポートを書いて単位をとるか、それとも書かないで単位を落とすかは、自由だ~!
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岡倉天心シンポジウム

2007-11-11 02:05:50 | 未分類過去
今日は、またまた上野にでかけた。藝大120周年記念行事として、岡倉天心についての3回目のシンポジウムがあった。1回目は10月5日でもう一月以上も前のことだった。
2回目は10月20日であり、ちょうど放送大学の面接授業にぶつかっていけなかった。そして、今日が最後だった。しばらく間が空いて記憶が遠のいているととともに、朝から雨が降っていて、ちょっと気が重かったが出かけることにした。
午前中に「岡倉天心展」を見て、午後からシンポジウムという予定だったが、出かける時間がどんどん遅くなり、天心展のほうは1時間弱で大急ぎで済ませることとなった。

昨夜徹夜状態で文を書いていたせいで、ひとりずつの講演はうつらうつらと寝てばかりで、断片的にしか覚えていない。しかし、ディスカッションになってからは、頭もすっきりしてとても興味深い内容であることに驚いた。

1回目は、天心の公然たる仕事の功績など表面的な内容だったが、今日のは天心の内面をどこまでも掘り下げていくような内容で、本当に興味深く驚いたしだいだ。
中でも、インドのバルーチャ氏という、演劇を研究している人の、岡倉天心の関する考察は鋭い。岡倉が英文で日本文化について書いた本というのは、インドで書かれた。なぜインドだったのか?岡倉が日本人に向けて書かなかったのは何を意味するのか?英文を日本語に訳して日本人が読むまでにはかなりの時間差があるし、英語のニュアンスをそのまま伝えることはできないはず。インド人との人間関係の詳細の考察。等々。
また、その他の日本人研究者の方々も、岡倉の恋愛や人生経路と行動の深層心理などについて、ものすごく深く考察されていてすごかった。
そのようなことを通して、岡倉天心という人のはかり知れない人間像を感じ、以前とは全く違った意味で、非常に興味深い人であり、その内面をもっと知りたいという思いに取り付かれた。
100年も前のこの人について、今現在こんなに熱心に研究がされているのも驚きであり、研究する人たちには感心するばかりだが、また逆に100年間も詳細な研究がし尽くされず、まだまだ未知の人であったということも非常にもったいないことだ。
ぜひとも、人間岡倉天心というものを、できうる限り理解したいと思った。
単に優秀な人だったというのではなく、恋愛やアイデンティティの苦悩も抱えながら矛盾をはらみつつ、世界で行動し続けた人であったことに、よりいっそう人間としての魅力を感じられる。死の直前に書いたのが、評論ではなくオペラ「ホワイトフォックス」だったのも興味深いところである。

今日のシンポジウムには出かけていって本当によかったと思った。これを聞いたのと聞かなかったのとでは、大きな違いである。このような貴重な講演が無料で聞けるなんてほんとうに申しわけないくらいだ。
こういう機会を得て、その結果自分に何ができるのかというと、自分自身が与えてもらって喜んでいるだけで、何の役にもたてないことが歯がゆい。
講演を聞いている人たちはどういう分野の人たちなのか、研究者が多いのか、今後の文化に貢献するわけなのか。
こういうことを肥やしにして、私は社会に対してどんなお返しができるだろうか。そういう課題にぶちあたる。
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漢字の読み方

2007-11-11 00:56:59 | 未分類過去
最近、立て続けに若い女性アナウンサーの読み間違いに遭遇した。
1つは、「意思に沿わない」を「そぐわない」と読んでいた。
おやっ、「そぐわない」と読むんだっけ?普通に「そわない」と読んじゃいけないの?
自分の記憶違いかと思い、急いで辞書を引いた。
辞書形は「そう」「そぐう」で、別のことばであり、「そぐう」の漢字はない。
否定形は「そわない」「そぐわない」となる。
だから「意思にそう」と「意思にそぐわない」は肯定形と否定形で対応するわけではない。

もう1つの間違いは、「思惑」を「しわく」と読んでいた。
これは、男のアナウンサーがその場で「おもわく」と訂正させていた。
これは女性アナウンサーが単に音読みで読んでいたということだが、
言ってみれば、「おもわく」のほうが特殊な読み方である。
湯桶読みっていうのだろうか。訓読み+音読みだ。
「しわく」という読みかたが全くの間違いかどうかは断言できないところだが、
声に出して読んだ場合は、「おもわく」と発音するのが適切であろう。
「しわく」と聞いても意味がわからない。話し言葉では「おもわく」が普通に使われる。

この2つの読み間違いは、ちょうど逆の現象のようにも思える。
漢字をそのまま読むのが正しい場合と慣用的な言い方で読むのが正しい場合、とでもいうか、そういうことで対照的である。
日本人はこういうのを勘や経験によって使い分けている場合が多く、若いアナウンサーなどは、一般人より言葉にくわしいはずにもかかわらず間違える。
だから、ましてや外国人には漢字の読み方は非常に難しいものとなっている。

女子アナ批判ではなく、「日本語ってむずかしいね」ってのが結論。
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