山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

岡倉天心シンポジウム

2007-11-11 02:05:50 | 未分類過去
今日は、またまた上野にでかけた。藝大120周年記念行事として、岡倉天心についての3回目のシンポジウムがあった。1回目は10月5日でもう一月以上も前のことだった。
2回目は10月20日であり、ちょうど放送大学の面接授業にぶつかっていけなかった。そして、今日が最後だった。しばらく間が空いて記憶が遠のいているととともに、朝から雨が降っていて、ちょっと気が重かったが出かけることにした。
午前中に「岡倉天心展」を見て、午後からシンポジウムという予定だったが、出かける時間がどんどん遅くなり、天心展のほうは1時間弱で大急ぎで済ませることとなった。

昨夜徹夜状態で文を書いていたせいで、ひとりずつの講演はうつらうつらと寝てばかりで、断片的にしか覚えていない。しかし、ディスカッションになってからは、頭もすっきりしてとても興味深い内容であることに驚いた。

1回目は、天心の公然たる仕事の功績など表面的な内容だったが、今日のは天心の内面をどこまでも掘り下げていくような内容で、本当に興味深く驚いたしだいだ。
中でも、インドのバルーチャ氏という、演劇を研究している人の、岡倉天心の関する考察は鋭い。岡倉が英文で日本文化について書いた本というのは、インドで書かれた。なぜインドだったのか?岡倉が日本人に向けて書かなかったのは何を意味するのか?英文を日本語に訳して日本人が読むまでにはかなりの時間差があるし、英語のニュアンスをそのまま伝えることはできないはず。インド人との人間関係の詳細の考察。等々。
また、その他の日本人研究者の方々も、岡倉の恋愛や人生経路と行動の深層心理などについて、ものすごく深く考察されていてすごかった。
そのようなことを通して、岡倉天心という人のはかり知れない人間像を感じ、以前とは全く違った意味で、非常に興味深い人であり、その内面をもっと知りたいという思いに取り付かれた。
100年も前のこの人について、今現在こんなに熱心に研究がされているのも驚きであり、研究する人たちには感心するばかりだが、また逆に100年間も詳細な研究がし尽くされず、まだまだ未知の人であったということも非常にもったいないことだ。
ぜひとも、人間岡倉天心というものを、できうる限り理解したいと思った。
単に優秀な人だったというのではなく、恋愛やアイデンティティの苦悩も抱えながら矛盾をはらみつつ、世界で行動し続けた人であったことに、よりいっそう人間としての魅力を感じられる。死の直前に書いたのが、評論ではなくオペラ「ホワイトフォックス」だったのも興味深いところである。

今日のシンポジウムには出かけていって本当によかったと思った。これを聞いたのと聞かなかったのとでは、大きな違いである。このような貴重な講演が無料で聞けるなんてほんとうに申しわけないくらいだ。
こういう機会を得て、その結果自分に何ができるのかというと、自分自身が与えてもらって喜んでいるだけで、何の役にもたてないことが歯がゆい。
講演を聞いている人たちはどういう分野の人たちなのか、研究者が多いのか、今後の文化に貢献するわけなのか。
こういうことを肥やしにして、私は社会に対してどんなお返しができるだろうか。そういう課題にぶちあたる。

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