山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

KY

2007-11-28 23:54:40 | 読書
KY=空気が読めない
今年の流行語の1つにもなった。
たとえば、安倍元総理が選挙に負けたのにもかかわらず総理を続投したのは、KYだと言われた。
つまり、世の中のみんながやめたほうがいいと思っているのに、本人はそれに気付かず強引に続けようとしたという見方だ。
だが、安倍元総理は本当にKYだっただろうか?
私は、安倍さんには頑張ってほしいと思っていた。だから、世の中の声がすべて安倍さんに退散を求めていたわけではなかった。安倍さんも世の中に様々な意見があることはわかっていたはずであり、応援する声もあったから続けようとしたのだろう。
しかし、自分がどんなに頑張りたいと思ったところで、周りの空気には勝てるものではないので、生きて行くのは難しい。

昔OLが長年会社に勤めていると、だんだん周囲の態度が冷たくなってきて、なんとなく居づらくなり、結局は辞めていくという状況があった。女性は適齢期になったら結婚退職するのが普通だった。今は、晩婚の人も多くなり、男女平等にもなってきたので、そのようなことも少なくなったのではないかと思う。
しかし、そういう周りの空気を読んでやめていくか、その空気を読みつつも収入のためには居座り続けるか、その辺が本人の選択課題だったと思う。
そういうときに、年齢に関係なく会社に必要とされ、みんなから好かれて、本人が辞めると言っても引き止めてもらえるような人がいたなら、それは相当な人物である。
そこまで必要とされ愛される人間はそうそういるものではないだろう。

多くの人間は空気が読めないわけではないが、読んだからと言って、それに合わせることができるかどうかが問題である。
そして、なんでもかんでも回りの空気に従えば、良い結果がでるというわけではない。
回りの空気というものは、正しいものとは限らない。しかし、その空気を変えることも難しい場合が多い。空気を良いものに変えられる人間というのは貴重な存在だ。

空気を読めずに、空気を悪いものにしてしまう人間が、問題となる「KY」と言われる人間であろう。

しかし、日常茶飯事、誰もが自分自身について「KY」的な要素があるのではないかという怖れを持っているのではないかと思う。自分は周りからどのように思われているのだろうか?ということを気にしすぎると、自分の思い通りの行動がとれないこともあり、なかなか神経を使うが、やはり自分の言動や態度が人にいやな思いをさせたりはしていないかと、気を配る必要があるのも事実である。

ただ今“「場の空気」を読むのが上手な人下手な人”(和田秀樹)〔新潮社〕を読んでいる。
これは、先日本屋で見つけて気になっていた本だ。
何でもかんでも回りにあわせろという内容ではないことが、同感できる。


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