ぶらぶら人生

心の呟き

 正月五日 (束の間の晴れ間)

2009-01-05 | 身辺雑記
 今日は、お役所・会社など、仕事始めのところが多いのだろう。
 私も、そろそろお正月気分から脱皮したい。そんな思いもあって、届いた賀状の整理をした。賀状を受け取った段階では、小さい文字で、印刷してあるこまごました文章までは、あまり読む気になれない。よほど親しい人以外は、その内面や私生活を覗き込みたくない思いが常にある。
 しかし、賀状の束を片付けるに当たっては、折角書かれた文章にも目を通した。読み終わって、やはり一律に、個人情報を読まされては……、という気分であった。そんなことを思う私の方が、賀状というものにこだわりを持ちすぎているのだろうか。
 ありきたりの挨拶だけの、形式的過ぎる賀状も味気ないけれど、賀状の言葉は、さわやかな挨拶なのがいい。そして、差出人の近況や人柄がほのかに感じられるような……。その人の日常や人生観までわからなくてもいい。
 そんな所感を持ちながら、賀状を束ねて片付けた。
 
 今年は、土・日も配達されたので、もう来るべき賀状は大方届いた。
 老いるに従い、ここ数年、年賀のおつき合いも、範囲を狭めたいと考えるようになった。今年初めて、20余人へのご挨拶を思い切って控えてみた。が、これは不成功であった。結果的には、新年に入って、その方々からの賀状が届き、いつもと同じように賀状を差し出すことになってしまったので……。
 しかも、遅れて書く賀状は、書き添える文の、かえって丁寧になってしまうのが面白い。心理的に、遅れてゴメンナサイという思いが加わるのかもしれない。


 3日と4日には、気まぐれに青空がのぞいた。
 4日、友人から訪問の知らせを受けて、お迎えがてら外に出てみた。
 今年に入って一番の、晴れやかな空が広がっていた。カメラを取りに引き返し、その空を記念に残した。(写真)
 ところが、この後、好天は続かなかった。
 今日も、ほとんど日差しがないまま、黄昏ようとしている。。
 総じて、いかにも、山陰らしい暗い天気のお正月だった。


 今日は、朝日歌壇を読んでいて、心の傷む歌があった。
 公田耕一さんの歌二首。

 <パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる>
                         高野公彦・馬場あき子選
 <水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し>
                         永田和弘選
 (この歌については、選者の注があった。<前衛の草分けとなった塚本邦夫の記念碑的な歌集「水葬物語」を下敷きにしている>と。)

 作者の住所欄には、ホームレスとある。
 寒空を見上げ、目に滲むものを我慢しながら、辛い思いである。
 それでも、歌を詠むという行為が、この悲運な歌人にとって、いささかの励みになっていればいいのだが…。
 お餅を食べ過ぎた、などと飽食を憂いている私を恥ずかしく思う。
コメント
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