ぶらぶら人生

心の呟き

蓮の花、あれこれ

2006-08-30 | 身辺雑記

 小学生の頃、借家住まいをしていたことがある。
 その家の横に、大きな蓮池があった。
 あの大きな蓮の葉は、子どもには馬鹿でかくて、お化けのように見えた。
 その池に夏が来ると、水面から高々と茎を伸ばして、美しい蓮の花が沢山咲いた。子ども心にも、清らかで気高い花に思えたものだ。
 池の水は、庭への水撒きなどにも使っていた。お風呂場の横に、深い井戸があったが、今、水道の水を自在に使うほどの水量がなかったのかどうか、一部は池の水に頼っていたように思う。水汲みは、子どもの仕事だった。
 池の中には、遊び仲間がいた。ミズスマシやアメンボウなど。
 ミズスマシは、器用に水面をくるくる滑走し、アメンボウは、長くて細い足で、軽やかに飛ぶように、水面を滑走していた。音のない静かな世界だった。
 美しく咲いた花は、後に実をつけた。漏斗形の上部には黒い穴があって、そこに実ができた。生のままで食べた記憶があるわりには、味の印象が薄い。甘味があって、いささか濃厚な味ではなかっただろうか。
 桑の実や山桃の実のようには、その味を鮮明に思い出せない。
 歳時記には、「熟しきった実は、巣孔の中から飛び出して水中に落ちる。」とある。
 面白そうだが、それを見た経験はない。私たち子どもは、飛び出す前に、実を取り出して食べていたのだろうか。
 蓮の花は、夜明けに開花するとき、ぽんと音を立てると言われている。それは俗説らしいが、あの大きな花なら、弾け咲くとき、しじまの中で、耳を澄ませば聞こえるほどの、澄んだ音を放っても不思議ではないような気がする。

 今朝、散歩の途中で蓮の花に会い、子どものころを思い出したり、蓮にまつわる事柄を考えながら、帰途の道を歩いた。
 まず、子どもの頃の思い出についで、頭に浮かんだのが、遍照の有名な歌だった。

 はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露をたまとあざむく

 中原中也の詩にも蓮のことがでてきたと思うのに、詩題も関連の詩句も思い出せない。詩集「山羊の歌」は、かつて諳んじていたはずなのに、と記憶の不確かさを嘆いた。
 帰るとすぐ中也の詩集を開く前に、私自身が、丁度十年前に編集した「中原中也全詩・語彙索引」を開けてみた。
 師の中也研究の手助けをするかたわら、師の助言もあって、随分時間をかけて編集した本である。
 こんなところで役立つとは、と思いながら<語彙索引>のページを繰った。
 すぐに出所を確かめることができた。
 <初期詩編>中の「黄昏」という詩だった。
 詩集を開く。

 渋つた仄暗い池の面で、
 寄り合った蓮の葉が揺れる。
 蓮の葉は、図太いので
 こそこそとしか音をたてない。

 音をたてると私の心が揺れる、
 目が薄明るい地平線を逐ふ……
 黒々と山がのぞきかかるばつかりだ
 ――失はれたものはかへつて来ない。


 と、詠われている。
 この二連の後に、三行ずつ、更に二連が続く。14行からなるソネット形式の詩だが、今は「黄昏」詩を問題にすることが目的ではないので、引用は、蓮に関わる最初の二連だけに留める。
 一連の叙景は、文字通り、読んで意味がとれ、蓮池の様子をよく表現しているが、中也は、単に蓮池を詠うことが、ねらいではないだろう。
 二連の最後は、<失はれたものはかへつて来ない>と、詠っている。
 まさしく、失われたものはかえってこない……のだ。

 昨年の十二月、上京した折、上野の不忍池の湖畔を散策した。
 お天気はよかったが、風景は冬の蕭条とした趣だった。
 不忍池の一部を埋めつくす蓮は、佇んだままの枯れ色だった。

 そんなことも、今朝見た蓮の花は、思い出させてくれた。

 

 

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蓮の花

2006-08-30 | 散歩道
 散歩の途中、畠の奥に薄桃色の花が、一つ揺らいでいた。
 視線を送ると、<おいで、おいで>と、招いている。
 蓮の花に違いない。そう判断すると、田んぼの、草に覆われた畦道を歩み始めていた。朝露にズボンの裾を濡らしながら。
 近づいてみると、紛れもなく蓮の花である。
 久しぶりに見る蓮の花であった。
 携帯に収めたが、Lサイズに設定するのを忘れたまま撮ったので、小さな写真になった。
 とりあえず、今日のブログに留めておこう。

 朝の散歩を三日続けた。

 健康のために歩くというのは、あまり気が進まない。
 この頃、せっせと歩く人が多い。健康志向の塊みたいで、なじめない。
 おかしな性質で、良いと分かっていても、流行に乗るのが嫌いなのだ。
 しかし、年々、体の弱りを自覚し、私なりの健康法を考えなくてはいけないと思い続けてきた。
 「田中式 ストレッチング・ステッパー」という足踏み器を買ってみたりもした。いつでも踏めるように、目に付くところに置いてあるのだが、日に一度、五分程度、器械に乗ればいい方で、全く無視の日の方が多い。
 
 父は、晩年、ひたすら歩いた。このことは前にも書いたが、日記に歩いた距離を記し、地球を一周したと、嬉しそうだった。私はその姿を、内心冷めた目で眺めていた。そこまでしなくてもいいのではないだろうかと。しかし、96歳の死の日まで、自分の足で歩けたのは、足を鍛えぬいたことと無縁ではないかもしれない。それに、父の時代、まだ歩く健康法など、唱える人はいなかった。あれは父自身が、自分の健康のために考え出した、独創的な健康法だったのだ。
 その点、母は70過ぎに病臥の身となったせいもあるが、再起に向けて努力する人ではなかった。介護者の愛を存分受けて、89歳で死去するまで、布団の上での余生を楽しんで、それなりに幸せそうだった。
 私の場合、母のようには生きられないのだから、何とか自分で自分の身を守らなくてはならない。が、それにしては、自覚も努力も足りないままに、今日まで来てしまった。
 
 歩くのが、手っ取り早く、誰にでも実践しやすい、いい方法だとは聞いている。父の姿もみてきた。が、依然として自分流儀の考え方に固執し、歩く気にはなれないで過ごしてきた……。
 別な目的を設けて歩くのはどうだろう?
 そんなことを考えていた矢先、「オムロン体脂肪計」という簡便な測定器を貰った。
 早速量ってみると、体脂肪が「やや高い」と表示され、「かくれ肥満」とある!
 これは大変! 何とかしなくては、という気持ちになった。
 ここ三年の間で、体重が3キロも増え、気にはなっていた。
 オムロンの器具に添えられた「体脂肪チェックで健康管理」を読むと、BMI値が、普通でも、「かくれ肥満」は、あり得るというのだ。私のBMI値は、「やせ」に近い「普通」なのに、「かくれ肥満」間違いなし、らしい。
 そう指摘されて、私の体躯を自己分析すると、筋肉らしい筋肉が乏しく、骨量が少なく、その小さな骨を覆っているのは、専ら、脂肪と水分なのである。「オムロン体脂肪計」が示す評価は肯けるというものだ。
 やはりなんとかせねばならぬと、思い始めた。
 歩くために歩くのではなく、自然を眺めることを主体の散歩、ということにでもすれば、楽しみながら継続できそうな気がして、早速、実践を開始した。
 「オムロン体脂肪計」のお蔭で、三日間、散歩を続けた。
 そして、今日は、蓮の花に出合うという喜びに浸ることができた。

 そこで今朝、ブログに新たなカテゴリー「散歩道」を設けた。
 散歩の途次で見つけた、季節のうつろいなど、小さな発見を書きとめてゆくことにすれば、書くという、自分の好きな行為のためにも、歩くのが楽しくなるかもしれない、と考えて……。

 (蓮の花については、もっと書きたいことがあるが、稿を改めることにする。)
 
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