電気研の新年会

2015-01-20 11:53:39 | タナカ君的日常
 かって所属していた「開発事業本部電気研究室」その部署は昭和40年代後半に日本中がトイレットペーパー買いあさり騒ぎを起こした時期に消滅し、 そこに所属していた人々の大半は容器から蒸発して空気中に飛び出す液体の様に外の世界へと飛び出して行った。 その飛び出して行った人々は僕の見る所、高いポテンシャルを持つ人々で、器に残った人々は内在するエネルギーが小さい人々であったか、 容器(会社)との結合が強いために飛び出せなかった人々とも言える。

 飛び出した人々の着地先は、 リコー、 TDK、 NEC、 カシオ、 電子部品商社、 日立電子、 ・・・etc、 さらには、より活動エネルギーにあふれた人々は自ら起業の道へとジャンプアップして行ったのだった。

 そんな残留組、他社への移籍組、起業組の人々が40年近い時を経た今に至る迄、 一度も欠かさず 「電気研・新年会」の名の元に年に一度だが集うのだから凄いことだ。

 そして今年のトピックは会場となった中華料理店の壁に、 昨年暮に亡くなった”イマイ君”の遺影が幹事さんの手で掲げられたこと。

 そして、 去年まではそれほど意識していなかったけれど、

 右手の動作不全、 顔面麻痺、 ぎっくり腰、 片耳の聴覚喪失、等々と、 本人が体調不良に陥っている人数が多くなったり、 長年支えて来てくれた奥さんが骨折などの怪我で床に伏せ、 それを支える側に立つ苦労話などが出てきたことだろうか。

 それも仕方の無い話かもしれない。 だって 参加者の年齢を平均して四捨五入すれば”古希”の人間の集まりなのだから。

 まあここまでの話題は、ただの年寄り集団の新年会だが、 幹事さんの肝いりで指名された二人が発表した下記の二件。

 「田舎暮らしの幸せ度」 by 山梨県・北杜市居住者
 「放射線可視化ガンマカメラ」 by TVカメラメーカ現役者

 会場では事前準備した資料も配布され、それぞれ興味深く聞きました。 折があったら、その事も書いてみたいものだ。
コメント