触れ(ふれ)

2010-06-02 16:52:04 | 昔話
 僕の田舎の葬儀では大人が2人一組となって訃報を知らせに廻る習慣があった。 それは”触れ”と呼ばれていた。 まあ今の時代どこの家にも電話が有り、 一人ひとりが携帯電話も持っているから、その風習は今も残っているか分かりませんが、 僕の父が亡くなった28年前にはそれはまだ有りました。 大人が二人揃って近在に住む亡くなった父の知人を訪れて訃報を告げて廻るのです。 ”二人”と言う所が大事なんでしょうね。 男が一人やって来て「畳屋の真平さんが亡くなりました、通夜は・・・」なんて話しをしても、 あいつ普段は飲んべえだから「嘘いっているんじゃないか?」なんて風に思われる場合だってあるかも知れないけれど、 二人の男がやってきて告げる言葉には重みが有るって事なんでしょう。

 なんでこんな話しを持ち出したか? 実は妻がとある組織の今年度の会計担当役員になって、前年度の担当者からの引き継ぎ作業の一環として、複数の金融機関への挨拶廻りに今日は出掛ける日になって居たのです。 その出掛けに妻が「理事長さんが一緒に行って呉る事になっていて、車にも一緒に乗せてくれる事になっているけれど...、 私一人なら自転車で巡った方が早いし、既に挨拶廻りを済ませている、忙しい理事長さんのお手間を取らせなくて済むし」と呟やいた。 その言葉に僕は引っ掛かりました「おい、おい、お前一人で銀行に出かけて、今年度会計を担当する”XX”です名乗った所で、相手は信用すると思うのか?」、「既に挨拶廻りを済ませていて、相手も知っている人間と同行するからこそ、意味があるんだろう?!」と言ってしまいました。 時々、妻の発想にすごく違和感を感じる時があります。
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