温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台湾糖業鉄道の観光トロッコ「五分車」 その3・橋頭 (台湾南部)

2012年04月29日 | 台湾
新営糖廠のトロッコ列車に満足した後、新営駅から台鉄や高雄捷運(MRT)を乗りついで、高雄市郊外の橋頭へとやってきました。橋頭は台湾で最初に近代的な製糖工場が建設された土地。ここでもかつてサトウキビを運んでいたトロッコ列車が観光用として週末だけ運転されています。


高雄市の北に位置する橋頭糖廠は高雄市街から捷運(MRT)1本で気軽に行ける好立地。烏樹林や新営は交通アクセスがちょっと…と二の足を踏んでしまう方にも、ここなら問題ないでしょう。


 
MRT橋頭糖廠駅。煉瓦っぽい外壁により、周囲の産業遺産的な構造物との調和を図っているんだとか。


 
既に製糖工場の操業が終了してから20年近く経っており、構内は都市近郊の緑豊かな公園・レジャーパークとして変貌を遂げています。週末のこの日も親子連れで大変賑わっていました。今度のトロッコ列車の発車は16:30。その時間までちょっと時間があるので、園内を歩いてみることに。


●日本時代の遺構
 
MRT駅付近の何気ない地味な建物。よく見ると建物の石段の両側には古い狛犬が置かれており、手前側には石灯籠が立っていました。おそらくここには日本時代に日本式の神社があったと思われます。



表に奉献と彫られた石灯籠の裏手を見ると、そこには日付が彫られていたはずですが、すっかり文字が削られていました。でも一番上だけ「昭」の字が判読できるので、昭和期のものであることがわかります。光復後に国民党の手により日本の面影が残る部分が削られたのでしょう。


 
石灯籠の傍にある手水鉢。「奉納 ●●六年拾壹月吉日」と彫られています。元号の●●の部分は削られていますが、うっすら昭和と判読できました。これも日本の匂いがプンプンする元号だけが削られたわけです。日本の遺物をまるごと否定せず、元号のみを消して物自体は大切の残そうとしたんですね。苦肉の策だったのでしょう。


 
煉瓦積みの塀で囲まれたエリアの中には古い平屋の建物が残されており…


 
建物の前の傾斜にはこんな穴が開けられていました。1940年(昭和15年)に造られた製糖工場の庶務課職員向けの防空壕で、地形を生かして複層構造になっているんだそうです。


 
駅から線路に沿って北へ歩くと、木陰の下に煉瓦造りの半ドーム状の構造物を発見。これも第二次大戦中に造られた防空壕。園内ではこのように日本時代の遺構が多く残されており、説明板が設置されて大切に保管されています。本当はもうちょっと探索したかったのですが、トロッコ列車の時間が近づいてきましたので、列車の乗り場へと戻ることに。


●トロッコに乗車
 
トロッコ乗り場はMRTの線路の下。橋頭糖廠駅の自動改札を出てそのまま直進すると、すぐに五分車の切符発売小屋に行き当たります。係員のおじさんは「花卉中心17:00発が戻りの最終だからね!」と最終列車の時間を注意するよう何度も念を押していました。


 
トロッコの線路は台鉄の縦貫線と並行しており、発車を待つ間も、自強号や区間車がビュンビュン走り抜けていきました。なおトロッコ線路の北側は草に埋もれて行き止まり。構内には機回し線がないので、トロッコの両端に機関車が連結されています。


 
ここで働いている機関車も、烏樹林や新営と同じスタイルの徳馬牌のDL。誰もいないときにキャブの内部をちょこっと覗いちゃいました。


 
トロッコはいかにもサトウキビを積載する貨車らしい造りですが、屋根が瓦風だったり、柱に竹を被せてあったりと、貨車の無機質な雰囲気をできるだけ払拭しようとする試みがなされていました。



発車後しばらくはMRTの高架の直下を進み、台鉄縦貫線の線路と平行して南下。踏切を越えたあたりで台鉄やMRTと少しずつ離れ、かつて駅があった跡を通過し、やがてサイクリングロードと平行。自転車にぬかされつつもノンビリ走行し、そのまままっすぐ進んでゆきます。他の観光トロッコと異なり、こちらは係員によるガイドもなく、出発合図の警笛が鳴らされた後は、淡々とゴール目指してゆくだけでした。



乗車時間10分で花卉中心駅に到着。高雄花卉農園センターは都市郊外の大規模公園のようなところ。
折り返しの列車の時間まで20分あるので、園内を簡単に散策してみます。


 
花卉中心という名前だけあって、園内ではあちこちでお花が咲き乱れていました。
南国らしい「頭上のヤシの実に注意」の札。


 
木陰の下で静態保存されたトロッコは、車両が檻に改造され、中では鳥が飼われていました。


 
ミニミニ動物園で飼育されているダチョウやヤギなど。


 
園芸植物コーナーでも色とりどりの花が観賞できました。サルビアが綺麗だこと。
乗り場周辺をぐるっと歩いてから、17:00の最終列車で戻りました。トロッコ列車自体にはこれといった特徴は無く、2点間を単純往復するだけのシンプルな運行ですから、いわゆる遊園地のお猿の電車みたいなものですね。烏樹林新営に比べればかなり質素ですが、高雄から簡単便利にアクセスできるので、とりあえずサトウキビのトロッコに乗ってみたいという方には良いかと思います。
でもここで私の心を惹きつけたのは、この観光トロッコ列車ではなく、構内に昔のまま保存されていた製糖工場の姿だったのであります…。


●工場

単純往復のトロッコより強く心に残ったのが台湾糖業博物館。1990年まで操業していた製糖工場がそのまま保存された上で公開されていました。門の大きな「糖」のレリーフが印象的です。


 
ヤード跡にはかつてここで活躍していた車両たちが静態保存されています。単なる保存車両ではなく、周囲の緑と上手く調和しながらオブジェのような感じで一つの風景を造り上げていました。


 
線路は工場へと続いています。


 
下手に小奇麗にせず、操業を停止した時の状況をそのまま手をつけずに保存しているので、あちこちで錆びが浮き出たり損傷が発生していたりしますが、かえってこの方がリアリティがあり、当時の躍動・振動・轟音・臭気などが直に伝わってくるようでした。
これは貨車に積載されたサトウキビを落とし、ベルトコンベアで工場内へ運ぶ施設でしょう。眺めていると自分までサトウキビに紛れて施設に吸い込まれてしまいそうな恐怖感を覚えてしまいました。
工場内も見学できるようですが、訪れた時間が遅かったためか、残念ながらこの時は入口のシャッターが閉じられていました。建物内部はダメでも屋外なら自由に歩けるので、周辺をウロウロしてみることに。


 
画像左(上):トロッコ貨車に荷物を積み込むホッパー
画像右(下):歴史を感じさせる古い煉瓦造りの倉庫


 
画像左(上):「糖蜜槽」。その名の通り製造された液体の糖蜜を貯蔵しておくタンクで、建造から100年以上も経っています。
画像右(下):糖蜜を積んだ貨車を計測する鉄道貨車用の台貫。



こちらはトラック用の台貫。建物には「安全はあなたと私の幸せである」という標語が。


 
「修護所」。修理工場もしくは検修場といったところでしょうか。ここは日本時代に「株式会社台湾鉄工所」だったんだそうです。解説には「1895年の馬関(下関)条約により台湾は日本に割譲された後、日本の植民政策により橋仔頭に近代的な製糖工場が建設された。これにより製糖業が革新されて新たな時代を迎えたのみならず、台湾の経済発展にも大きな影響を与えた」と記されており、当時の日本の政策がポジティブ評価されていることに、日本人として大きく胸が打たれました。


 
列車機器類のパーツで作られたアートスペース「鉄園迷城」



構内にはまさに網の目のようにトロッコの線路が縦横無尽に敷かれていました。これは機関車等の格納庫ですね。


 
これは車両に付着したサトウキビの破片を吹き飛ばす設備かしら?


 
一見無造作に留置されて哀愁を漂わせている車両群も、その無造作ゆえに、きっと現役時代はこのように一時停止していたんだろう、こうして発車を待っていたんだろうと昔日の面影を想像させてくれ、車両が止まっているのにもかかわらず不思議な躍動感すらみなぎらせているようでした。
今は動かないトロッコの傍の高架を、開業して数年しか経っていないMRTが快走していきます。



右へ曲線を描きながら扇状に線路が分岐してゆくヤード。



台糖のゲートを出て・・・


 
橋頭の老街(橋南路)を歩いて、屋台でいろんなものをつまみながら・・・


 
台鉄とMRTが接続している橋頭駅へ。

文中でも申し上げましたが、橋頭の観光トロッコは烏樹林新営に比べればかなり質素であり、そこだけを捉えれば物足りなさすら感じてしまいました。しかし広大な構内に点在する産業遺産は台湾が歩んできた近代化の歴史そのものであり、また日本が台湾に対して行ってきた植民地政策の痕跡でもあって、そうした過去が凝縮された構内を散策して遺構に触れることは、日本人としても非常に意義深く、過去の歩みを見つめなおす良い機会となるのでないかと実感しました。そして、イデオロギーを超越してこうした遺構をありのままの姿で後代に残そうとする台湾の方々の姿勢に敬服致しました。


台湾糖業博物館
高雄市橋頭区橋南里糖廠路24号  地図(トロッコ乗り場)
(07)6113691  
ホームページ

トロッコは土日祝のみ運行 発車時刻→10:30, 11:30, 13:30, 14:30, 15:30, 16:30,
復路(花卉中心)は30分後に出発、最終は17:00
大人80元、145cm未満の子供及び65歳以上の老人50元
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台湾糖業鉄道の観光トロッコ「五分車」 その2・新営 (台湾南部)

2012年04月28日 | 台湾
烏樹林から路線バスで新営駅へ戻ってきました。新営駅から徒歩圏内にある旧新営糖廠でも「五分車」が観光トロッコとして運転されており、走行距離は現在の台糖の観光トロッコ列車では最長(4.6km)で、途中に列車交換もある本格派なんだそうですから、鉄道好きな人間としては興味津々、こちらにも乗ってみることにしました。


駅前から左手の線路に沿って伸びる新進路一段を進みます。途中、廃線になった製糖鉄道の線路を横断。線路跡は遊歩道になっていました。


 
画像左(上)は台鉄の新営駅構内へ伸びるトロッコの軌道。トロッコが走っていたナローゲージの外側に、日本のJR在来線と同じ3フィート6インチ(サブロクゲージ)の線路も敷かれている、いわゆる三線軌条。台鉄の貨車が乗り入れていたんですね。
画像右(下)は旧新営糖廠側へ拡がっているヤード跡。線路は敷かれたまま残っていますが、すっかり草叢に隠れてしまっています。


 
駅から新進路一段を約1km歩くと、左手に中油のGSがある十字路が行きつくので、そこを左折して中興路へ入ると、100mほどで旧新営糖廠の中興駅に到着です。台鉄の線路側には広大なヤードが広がり、一部は観光トロッコ用の引き込み線になっているようですが、大部分は使われていません。使われていない線路の先には三線軌条のポイントが右へ左へと分岐していますが、その複雑な構造を見ていると頭がこんがらがりそう…。



中興駅前の歩道橋からヤードを俯瞰してみます。台湾屈指の規模を誇った製糖工場だったため、敷地は非常に広大。かつてはサトウキビを積んだたくさんの貨車で活況を呈していたのでしょう。ヤードの向こう側には台鉄の西部幹線の線路が左右に貫いています。


 
新営糖廠トロッコの乗車駅となる中興駅。歩道橋には「新営五分車」の文字が。
駅前には次々に大型観光バスがやってきて、団体の子供たちが元気よく降りてきました。


 
駅舎内のカウンターでチケット購入します。烏樹林のような、いかにも昔の駅舎らしい窓口ではなく、ごく普通の事務室内にあるカウンターといった風情。同じカウンターでアイスキャンディーも売っていました。
室内には鉄道関係の展示物が陳列されており、使われなくなった閉塞機で男の子が訳も分からず遊んでいました。大人でも閉塞機の意味がわかる方は、鉄道マニア以外はほとんどいないでしょうね。


 
画像左(上):事務室の外に掲げられた「中興車站」の扁額。
画像右(下):事務室前に置かれていたさとうきび搾汁機。



かつてトロッコ貨車を牽引していたSLも数台ほど展示されています。



歩道橋の上からトロッコ用のホームに停まっている列車を眺めてみました。トロッコのエメラルドグリーンの屋根と白い車体、そしてその脇で一列に咲いているブーゲンビリアがとっても鮮やか。


 
今回乗車するトロッコ列車を牽引する機関車は、烏樹林で乗った列車と同じスタイルの徳馬(DIEMA)牌柴油機車156号機。


 
烏樹林と同じような構造の客車で、塗装が違うだけ。ブーゲンビリアが綺麗ですね。


  
ホーム先端には八翁線の0キロポストが立っています。キロポストというより標識みたい。ここから八老翁駅までの4.6kmが乗車区間となるわけです。更に先には屍と化した貨車が留置されていました。



団体の子供たちによって、トロッコ列車はほぼ満席状態。
子供たちの「5・4・3・2・1」の掛け声とともに機関車の警笛が鳴らされて14:00ちょうどに出発。以下、動画の説明。
0:53~1:03→駅近くの中学校では、窓から学生がこちらに向かって手を振ってくれました。
2:19~2:35→信号扱所から係員が出てきて、機関士にタブレットを手渡しています。



永い眠りについている貨車の群れを抜けてゆき…



中学生につづき、踏切で待っている市民の方々も手を振ってくれました。台湾の皆さんって本当にハートフル。


 
急水渓という川を渡ります。なかなか頑丈そうな造りの橋です。


 
果てしなく広がる畑。かつては一面サトウキビ畑だったのでしょうが、多くの畑で転作されており、沿線の耕作地ではトウモロコシや豆などの穀物類、青物系の蔬菜類、イチゴなどの果物など、様々な作物が栽培されていました。


 
撮影し忘れちゃったのですが、途中の信号所では線路の真ん中に信号掛が立っており、こちらの列車や対向列車との間でタブレットの授受を行っていました。観光トロッコとはいえ、本格的な信号扱いがいまだに実践されているのであります。対向列車のお客さんとお互いに手を振り合いました。


 
田植えから間もないと思われる水田の稲苗から、青々とした匂いが風に乗って漂ってきました。初夏らしい季節を体感させてくれる香りです。


 
沿線ではバナナが当たり前のようにあちこちに生えていました。小さな子はバナナの実を指さして喜んでいました。


 
4.6kmにも及ぶ路線なので途中には何か所もの踏切を通過。踏切警報機も遮断機もある踏切(日本で言うところの第1種踏切)や警報機はあるけど遮断機が無い踏切(同、第3種踏切)、そして警報機もない第4種など、第2種以外は全種類揃っていました。遮断機は無くともトラックはきちんと停まってトロッコの通過を待っていました。


 
約30分の乗車で八老翁駅へ到着。なかなかしっかりとした駅舎ですね。周囲は酪農の牧場となっており、乳牛之家と称する観光牧場が隣接していました。駅舎でも乳製品が販売されています。



子供たちにまじって、私も冷たい牛乳とミルク味のアイスバーを購入。牛乳は味が濃く、アイスバーは甘さが控えめ、とっても美味でした。



敷地内には旧型客車を転用したレストランも。



中興(新営市街)側へ伸びるヨレヨレ線路。沿線には部分的にサトウキビ畑が点在しており、この画像でもその姿を確認できますが、他の作物に比べれば圧倒的に少数派。もう台湾ではサトウキビは過去の作物と化しているのでしょう。


 
機回し線で反対側へ来た機関車が客車と連結し、引き返す準備完了。なおお客さんはすぐに引き返さずとも、観光牧場やレストランでゆっくり過ごし、最終列車までの間に八老翁駅を出発する任意の列車で戻ればOKです。
私は22分後に出発する14:52発の列車で中興駅へ戻ることにしました。


 
中興駅へ戻るトロッコ列車。新営の街中へと近づいてゆきます。
線路を跨ぐ歩道橋のような信号扱所を潜れば、中興駅の構内です。



15:22、中興駅へ戻ってきました。


新営のトロッコは烏樹林と違ってSLこそ走りませんが、鉄道ファンとして興味が惹かれる運転扱やストラクチャが多く、走行距離も長いので充実感たっぷり。しかも終点にも牧場やレストランなどゆっくりできる施設があるので、家族連れで訪れてもみんなで楽しめるでしょう。市街から農耕地まで景色の変化も楽しめるのも魅力的でした。


中興駅まで台鉄・新営駅より徒歩15分  地図
土日祝のみ運行。中興駅を9:00~16:00まで1時間毎で毎時00分出発
大人100元
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台湾糖業鉄道の観光トロッコ「五分車」 その1・烏樹林 (台湾南部)

2012年04月27日 | 台湾

かつては台湾における外貨の稼ぎ頭だったサトウキビによる砂糖生産とその輸出。各地で生産されるサトウキビや製品類を運搬するため、縦横に張り巡らされていた軽便鉄道(トロッコ)「台湾糖業鉄道」は、いまではほとんどが廃止されてしまいましたが、一部は観光用途に姿を変えて復活し、週末を中心に運行されています。なお、台湾のトロッコはレールの幅が762mm(2フィート6インチ)なのですが、国際標準軌(1435mm・4フィート8.5インチ)の半分(五分)の軌間しかないので「五分車」とも呼ばれているんだそうです。
青空が広がった2012年3月中旬、台南市の新営周辺や高雄市で走っているトロッコに乗ってみることにしました。まずは台南市の旧烏樹林糖廠へ。烏樹林は廃止されたトロッコを復活させて観光需要を掘り起こすきっかけをつくったエポックメーカー的存在でもあります。


●烏樹林まで
 
烏樹林へ公共交通機関で訪れる場合、まず台鉄の新営駅で降り、駅前のロータリーの反対側にある新営客運のバスターミナルから青山行もしくは関子嶺行に乗車します(ターミナル内の窓口で乗車券を購入します)。
ちなみに関子嶺行は泥湯でおなじみの関子嶺温泉へ向かう路線でして、私も2度ほど乗車しております。


 
新営から約10分で烏樹林バス停に到着(地図
畑が広がるまっすぐな道路の途中にあって、周辺には目印となるような建物が無いので、あらかじめ運転手に烏樹林で降りる旨を伝えておいた方がよいかも。なお私は、バスの前方に座ってひたすら前を眺め、「烏樹林休園区」の大きな看板が見えてきたところで下車ブザーを押しました。広いバス通りに小さな踏切が設けられています。これは飾りじゃなく、実際に使われている現役の物ですよ。後述しますが、トロッコはこの踏切を通過するのです。


 
看板に従い、バス通りを右折して路地へ入ります。バス通り踏切で横切ったトロッコの線路は、緩くカーブしながらに路地も横切っています。軌間は762mm(2フィート6インチ)。


 
旧烏樹林糖廠へ向かうまっすぐな道。辺りは烏樹社区と称する集落で、とっても長閑な田園風景。でも頭上からは南国の強い日差しが降り注ぎ、光を遮るものがないので、日傘や日焼け止めなどの対策が必須です。
道路沿いに立っているコンクリ壁には、トロッコのイラストが描かれていました。路線バスを利用してトロッコに乗りに行く客はあまりいないらしく、灼熱の道を歩いているのは私一人だけ。


 
さきほどカーブしながら道を横切った線路が右側から近づいてくるあたりで道路は突き当りとなり、そこには台糖烏樹林休園区のカラフルな門が構えていました。その脇には駅の跡らしきコンクリの構造物が線路に沿って立っており、「北新車站」と彫られていました。
休園区の園内からは子供たちの歓声に混ざって、おばさんの青空カラオケの歌声も聞こえてきます。


●烏樹林駅
 
木造のかわいらしい建物が駅舎。ここの軽便鉄道が旅客営業していた時代の建物なんだそうです。


 
小さな窓口でチケットを購入。大人1人100元。



駅舎内に貼られているこのポスターは「線路内で自転車漕いだらあぶないよ」という注意を喚起しているものなのですが、イラストの両サイドには「為反抗俄寇侵華而戦」「為反対共産主義而戦」という反共スローガンが書かれており、蒋介石政権下の時代背景が窺えます。


 
構内は観光バスでやってきた団体客や親子連れ、そして子供だけのグループなどで大賑わい。駅舎の庇の下では、早く着いたお客さんがトロッコ列車の乗車を待っていました。駅長室前で黒光りしている装置は信号てこですね。今では使われておらず、動かせないよう、ストッパーが嵌められています。


 
駅長室内には今時珍しい閉塞機(受話器の付いた青い箱の装置。2つ)が置かれており、「懐かしいなぁ」なんて呟きながらカメラを構えていたら、その声を耳にした烏樹林の名物駅長さんである林站長(駅長)が「日本人か、よく来たな」と笑顔で室内へと招き入れてくれました。駅長さんは日本語世代ですから、日本語がとても達者でいらっしゃいます。「お土産はあげられないけど、代わりにこれを持って帰って、みんなに宣伝してください」とご自身や烏樹林の経歴が述べられた紙を何枚かいただきました。
↓にそのうちの2枚をスキャンしましたので、ご覧になりたい方はサムネイルをクリックしてお読みください。
 




駅長さんは私の肩を叩くとそそくさとホームへ出て、手旗を振って入れ替え作業を監視しはじめました。暑いのにきちっと制服で身を固めていらっしゃいます。


 
構内には現役から退いた「トロッコ車両ファミリー」が静態展示されています。かつては一面バラスト敷だったと思われる駅構内は、現在は緑の芝生で覆われており、親子連れが車両群とともに楽しめる公園のようになっていました。


 
旅客営業を行っていたときにお客さんを乗せていたディーゼルカー「成功号」。運転されるときもあるそうです。



ホームの端っこには半ドーム状の怪しげなものが。躯体に埋め込まれている説明プレートによれば、これは防空壕でして、民国30年、つまり1941年(昭和16年)に造られたんだそうです。壕内のキャパシティーは10人。ということは、駅舎で勤務している職員のための物なんでしょうね。



●トロッコ乗車

手旗で入れ替え作業を監視しつづける林站長。線路内にいる親子連れに対して、その場所から離れるよう指示しています。小柄ながらも風格漂う、凛々しい後姿であります。



10:30発のトロッコ列車がホームに入線しました。
あれれ、トロッコの先頭に立っているのは、ごく普通のディーゼル機関車だぞ? この時間の列車はSL牽引のはずではなかったのか…。そのためにわざわざこの時間帯にやってきたのですが、どうやらこの日、SLはお休みだったようで、牽引どころか姿を見せることすらありませんでした。残念だわ…。


 
私が戸惑っているうちに乗車開始。その時を待ちわびて列をつくっていたたくさんのお客さんが、ガジュマルの木の下に位置するゲートから次々にトロッコへと向かっていきます。中国大陸と違い、台湾の方はマナーを守っておとなしく並ぶので、園内は至って平和です。



トロッコ車内の様子です。柵囲いの中に木のベンチがあるだけの至ってシンプルな造りです。遊園地の「お猿の電車」を立派にしたような感じと言ったらよいのでしょうか。一両一両は小さいものの、結構な両数を連結しているので、多客時でも乗車できないことはないでしょう。


 
今回SLの代役として10:30発のトロッコを牽引してくれるのは、台糖の各生産拠点で活躍する徳馬(DIEMA)牌の柴油機車146号機。入れ替えの関係か、第2エンドが先頭になっていますね。車番下の台糖のロゴが目を惹きます。


 
案内役のおばさんがスピーカーを通して説明を開始し、口上の途中で子供達に何やら呼びかけはじめました。そして呼びかけに応じた子供たちによって、5・4・3・2・1のカウントダウンが行われると、それとともに機関車のタイフォンが鳴らされて出発進行です。



バナナや檳榔など台湾らしい作物が広がる、長閑な田園風景の中をゆっくり走ります。速度こそ亀の歩みで、人間が走れば追い付いてしまいそうなほどですが、ヨレヨレの線路や単純な構造の二軸車のおかげで、線路の振動がダイレクトにこちらまで伝わって激しい揺れが続きます。でもゴツゴツした乗り心地であるからこそ、いかにもトロッコらしくて楽しいんですね。


 
信号所を通過。古そうな転轍手詰所は日本時代の物ではないかしら。



先程歩いてきたバス通りに近づいてきました。


 
幹線道路側の信号は赤に変えられており、通りの真ん中では踏切警手のおじちゃんが赤い手旗を振って安全を確保しています。幹線道路の車はおとなしくトロッコの通過を待っていました。現在の交通の主役である幹線道路の車よりも、のんびり走るトロッコが優先される不思議な光景です。列車を待つ車やバイクのドライバーさんは、一般市民であるにもかかわらず、決してイライラすることなく、寧ろニッコリ笑いながらトロッコの乗客に向かって手を振ってくれる方が多いのです。そんな台湾の皆さんの温かい心に、思わず感激。



トロッコ乗車後に烏樹林から新営へ戻るとき、たまたま列車が幹線道路を横断するシーンに遭遇したので、その様子を撮影してみました。


 
踏切通過後、分岐点を左側の後壁線へ入って、更に左へカーブ。「警笛鳴らせ」の標識は「鳴」の一文字。


 
左カーブが終わると、終点までひたすらまっすぐなルートですが、ヨレヨレな線路であることには変わりなく、相変わらず揺れが激しいまま。風景もあまり変わり映えしませんが、天気に恵まれたこの日は沿線の緑がとても美しく、木によっては花が咲いており、単調になりがちな景色にアクセントと彩りを添えていました。もともとこの辺りにはサトウキビ畑が広がっていたのでしょうが、いまではすっかり転作が進んでおり、耕作地では観葉植物が目につきました。


 
ちょうど20分の乗車で終点の新頂埤に到着。


 
ホームの前にはトロッコのお客さんを対象にした飲食の露店が並んでおり、列車の到着とともに商売をはじめます。これらの店の他、周辺には何もありません。


 
白甘蔗汁、つまりさとうきび生絞りジュースを飲んで、折り返しの出発を待つことに。


 
画像左(上)は出発時に先頭だった客車です。駅到着とともに機関車が切り離され、機関車は機回し線を通って反対側の客車と連結します。線路は先へ続いていますが、今は使われておらず、資材置き場になっていました。


 
10分間の停車後に折り返し出発。帰路は同じ道を引き返すだけですが、烏樹林糖廠に入る直前で別線に入り、スタート地点とは数百メートル離れた内埕駅が降車場となります。線路はループになっており、このまま直進して急カーブを曲がれば、機関車の入れ替えをせずにそのまま烏樹林駅へと入線できるわけです。



内埕と烏樹林の間は「台湾糖業鉄道記念博物館」。


 

(両画像ともクリックで拡大)
画像左(上):烏樹林駅の歴史についての解説ボード。
画像右(下):ボードの下には日本時代当時の東洋製糖(後に大日本製糖)や明治製糖の会社概要(コピー)が貼られていました。大日本製糖といえば「ばら印」のお砂糖で有名ですが、両社は1996年に合併して現在は大日本明治製糖


 
旧烏樹林駅の事務室や出札窓口。



名札をぶらさげる当番表。3交代制なんですね。


 
倉庫内では使われなくなった保線関係の道具が展示されていました。


新営駅前のバスターミナルから新営客運バスの白河方面行バス(青山行や関子嶺行など)で烏樹林バス停下車、徒歩10分
台南市後壁区烏樹里184  地図
(06)6852681
ホームページ

大人:100元、学生(小学生以上):80元、幼児および65歳以上の老人:70元
2012年4月現在の時刻表
平日→10:00, 14:30
土休→9:30~16:30まで毎時30分発(1時間毎)、10:30はSL牽引
トロッコ乗車の所要時間約50分
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台湾最後の旧型客車 南廻線3672次普快車

2012年04月26日 | 台湾
※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。


(話の流れとしては、前回記事「知本温泉 AYA旺温泉渡假村」)の続きとなります)

この日は知本温泉で入浴した後、台東から高雄へと向かう予定を立てておりました。初めての土地で何も調べず行き当たりばったりで突撃しながら、なんだかんだで4軒(「龍泉山荘」「開天宮」「雲山湯屋」「AYA旺温泉渡假村」)もお風呂をハシゴできちゃいましたが、この日のメインイベントは寧ろ台東から乗車する列車なのであります。

台湾では旧型客車による定期列車が徐々に削減されており、2012年3月現在では南廻線・台東~枋寮の普快車(いわゆる普通列車)一往復のみとなってしまいましたが、旧型客車最後の牙城、風前の灯であるその一往復のうち、台東から枋寮へ向かう「第3672次」列車に乗車し、昔ながらの旅情にとっぷり浸ろうという算段なのです。


 
路線バスで知本温泉の内温泉エリアから台東市街へ。途中で下校する小学生を乗せながら、立客も出るほどの超満員。


 
夕方だからか市街へ近づくにつれ交通量が増え、バスは徐々に進まなくなり、渋滞や信号に引っかかりながら定刻より15分遅れて市街地にある鼎東客運山線の台東総站(バスターミナル)に到着しました(地図)

台東は市街地から鉄道駅がかなり離れており、相互間を連絡する路線バスも運行されていますが、接続時間の都合により、この時は駅へ急ぎたかったため、ターミナル前で待機していたタクシーに乗って(料金交渉の上で)台東駅へ向かうことにしました。車内で頻りに腕時計を見る私に気付いた運ちゃんは、先行く車やバイクを右へ左へと縫うように追い越したり、信号待ちの最右レーンからフライングスタートして一気に左折したりと、小林可夢偉も真っ青なハンドルさばきで渋滞を次々にクリアし、あっという間に台東駅へ。


 
相変わらず何もない台東の駅前。
タクシーの運ちゃんのおかげで列車出発の20分前に駅へ着けたのですが、運が悪いことに、窓口には長蛇の列が・・・。普快列車で枋寮へ向かうだけなら券売機で切符を買っちゃえばよいのですが、枋寮から先の乗り継ぎ列車の切符も買いたかったので、窓口でなくてはなりません。窓口に並ぶ客の多くは一人で行動する若い男性だったので、おそらく兵役の途中の休暇で実家などに帰る人だったんだろうと思います。駅は窓口をほぼすべて開けて対応していましたが、それでもなかなかスムーズに捌けず、私が窓口で発券してもらったのは出発時間の3分前でした。



普快車の切符。
旧型客車の列車だからと言って特別仕様というわけではなく、台鉄の他区間の区間車(ローカルの普通列車)同様、ごくごく普通の切符。



台東17:25発「第3672次普快車」。ホームへ駆け上がると、客車を牽引するディーゼル機関車はアイドリングしながら、信号が進行現示へ変わる時を待っていました。客車は3両編成。



3両のうち、機関車次位には日本製の客車「SPK32740」が連結。
サボ受けにサボは入っておらず、「往枋寮」のシールが車体に直貼り。


 
2・3両目はインド製の客車。日本の鉄道ファンには日本製客車の方が人気ですが、天邪鬼な私は敢えてインド製の方へ乗り込むことにしました。


 
車内の様子。日本製客車と異なり、通勤電車のような両開きドアの車体が特徴的。


 
蛍光灯と扇風機が並ぶ天井。冷房無し。蛍光灯は乗降口周辺を中心に、一車両につき4~5本しか点灯しておらず、車内はかなり薄暗い状態。昼間なら全く問題ありませんが、私が乗った3672次はほとんどが日没後に走行するため、その暗さたるや、日本の鉄道車両じゃなかなか味わえない独特の雰囲気でした。まさに夜汽車です。


 
日没後に撮影した座席の様子。フラッシュは焚いていません。
薄暗さがわかるかと思います。



ドアまわり。日本の近郊型車両のように、ロングじゃないロングシートがドアの両側に設置されています。


 
定刻より5分遅れて出発。車内には空席が目立っていました。
復興・キョ光・自強…今の台鉄の車両は悉く嵌め殺しの窓ですが、非冷房の旧型客車は当然ながら窓が開けられますから、思い切って窓を全開にしたいところです。しかし、この日は夕方から雨が降り出してしまったため、雨粒が入り込んでこない程度にしか開けることができませんでした。ベコベコな窓枠サッシが、この車両の古さを物語っています。


 
海岸線に沿って走る第3672次普快車。
南廻線はトンネルが多く、海が見えたと思ったらすぐにトンネルで視界が遮られちゃう…これの繰り返し。やがて日が暮れて真っ暗になり、夜の闇だかトンネル内だか分からない状態に。



知本駅出発から海岸に沿って走るまでの約8分(0:00~7:57)と、金崙から瀧渓へ向かう途中の海側の車窓(7:58~)をまとめました。夜汽車の風情たっぷりな列車です。発車時に聞こえてくるエグゾーストノートは、客車を牽引するディーゼル機関車の唸りです。片手でコンデジを持ちながら撮影したため、手ブレがひどく、風切り音も入り放題となっちゃいました。


 
太平洋側からグルっと廻って、台湾海峡側の枋寮へ。
途中の交換待ちで時間調整できたのか、出発時の10分遅れを回復し、定刻19:34に到着。
隣のホームには復興号の車両が停車中ですが、この列車は4分後に出発する区間車の高雄行。


 
区間車には乗らず、枋寮駅の改札を出てみます。暗くてわかりにくいのですが、屋根の上には蒋介石の立像。



駅前の通りにチョコチョコと屋台が並んでいました。


 
小腹が空いたので、屋台のたこ焼きを食べてみることに。
ホットケーキみたいな生地で甘かった…。


 
真っ暗な枋寮駅のホーム。


 
20:10発のキョ光号に乗車。



定刻の21:29、高雄駅に到着。
コメント (2)
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知本温泉 AYA旺温泉渡假村 (台湾東部)

2012年04月24日 | 台湾
(正しい施設名はㄚ一ㄚ旺温泉渡假村ですが、gooブログではタイトル欄で注音符号を表示できないので、アルファベットで代用します)


(話の流れとしては「知本温泉 雲山湯屋」のつづきとなります)
知本温泉・内温泉における手当たり次第の温泉突撃も、4軒目となるラストはㄚ一ㄚ旺温泉渡假村。宿泊可能なSPA施設のひとつです。ㄚや一は台湾のみで用いられている発音表記「注音符号」いわゆるボポモフォってやつですね。「ㄚ一ㄚ旺」はA-YA-WANと読み、プユマ族の言葉で「酋長」って意味なんだそうです。と言っても、これを知ったのはこの日の夜にネットで調べてからでして、私も大学時代には第二外国語の中国語授業中に「注音符号」をちょこっと齧りましたが、その後はすっかり忘れてしまい、なんと読むのか、夜のホテルでPCを開くまでの数時間、頭の中はモヤモヤしっぱなしでした。


 
入口の前には温泉タマゴをつくる槽が置かれており、アツアツの温泉が張られていました。



受付棟の向こう側に広がるテラス。左側の屋根下にはバーベキュー場があり、たくさんの食材を持ち込んでいるお客さんの姿が見られました。



ブーゲンブリアが綺麗ですね。テラスから下を眺めるといくつものプールが水を湛えており、広々とした敷地を彩る花々や植栽がSPAリゾートらしい雰囲気を醸し出しています。



標識に従って階段を下ってプールサイドへ。受付から奥へ進むに従い、構内が徐々に雑然としてゆくのがわかります(廃材が放置されていたり、通路に泥が溜まりっぱなしだったり…)。広い敷地を持て余しちゃっているのかしら。俯瞰してみると綺麗なのに、細部の詰めが甘いのは、台湾のみならず中華系によくある傾向。
プールサイドにはたくさんのコインロッカーが設置されている他、ロッカーの隣にはシャワー室兼更衣室の扉がズラリと並んでいます。なお一部は女性専用です。シャワーから出てくるお湯はタマゴ感を有する源泉のお湯でした。
画像左端に見切れているのは脱水機です。台湾のSPAは大抵のところで脱水機が用意されているので便利です。また、右の柱には「小さなお友達は大人と一緒に入ろうね」って書いてあります。



更衣室前にある縦長のプールは冷水プール。ガッツリと泳ぎたい人向け。



その隣はお湯が混ざって25℃くらいに設定されているSPAプール。ここでは打たせ湯やジャグジーなどが利用できます。打たせ湯は台湾ではおなじみの超強力タイプで、お湯に打たれるときにはちゃんと踏ん張らないと吹き飛ばされます。温泉の成分のためか槽内は白っぽく変色していました。


 
SPAプールのプールサイドは、一部がこの温泉の源泉となっていて、まるで地熱地帯のように床から蒸気がシューシューと噴き出ており、裸足でこの周辺を歩くと飛びあがっちゃうほど熱いのです。単なる温水プールじゃなく、大地の息吹きを目の当たりにできる本物の温泉なんですね。日本の温水プールでこんなエキサイティングなところはありますか。



冷水プールとSPAプールの間には屋根に覆われたいくつかの温浴槽があり、いずれにも温泉が注がれています。屋根の柱の直下にある二つの岩風呂はいずれもぬるい温度設定で、訪問時はおじさんおばさんたちが延々と長風呂していました。一方、画像手前に写っているやや深めな2つの小プールには、一方が38℃ほど、他方が44℃ほどのお湯が張られていました。いずれの槽内も、SPAプール同様に白っぽく変色していました。



こちらは約44℃の高温槽で、熱いお湯に慣れている日本人でもかなり熱く感じるかと思います。プールサイドには「天下第一湯」と記された札が立てられていました。
温度計には43.9℃と表示されていますね。上述の床が熱くなっている源泉地帯から源泉がダイレクトに供給されているようです。台湾人はこんな熱い風呂なんて入らないだろうと高をくくっていましたが、意外にも澄ました顔をして入る方が結構いらっしゃったことには驚きました。


 
豊富な地熱を活用し、こちらでは全身浴のみならず、蒸気をいろいろと活用しています。画像左(上)はスチームバスで、竈のような形をしたところに入って座り、穴の開いた蓋から首を出して肩から下を蒸気で蒸すものです。また画像右(下)はファイシャルスチームでして、石臼みたいな器の下から温泉蒸気が出てくるので、ここに顔をすっぽり入れて顔面に蒸気を受けるわけです。

緑豊かで静かな環境、伸び伸びとした広い構内で、地熱や温泉をプールのみならずいろんなスタイルで楽しめる、ユニークな温泉SPAでした。


鼎東客運(山線)・知本温泉(内温泉)行バスで「泓泉飯店」バス停下車、徒歩2分
台東県卑南郷龍泉路136巷  地図
(089)515827
ホームページ

6:00~23:00
大衆池(屋外温泉プール)150元、他に個室風呂もあり
ロッカー(有料:10元×2枚)・シャンプー類・ドライヤーあり
水泳帽・水着着用

私の好み:★★
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