温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

夏も涼しい大菩薩嶺 2013年8月 前編

2013年08月31日 | 山梨県
猛暑で意識が朦朧とする毎日。冷房を使わずに涼しさを求めるならば、緯度の高い地域へ避暑へ出かけるか、あるいは高い山に登るかのいずれかを選択することになるが、私の仕事は夏に繁忙期を迎えるため、あまり長期に及んで休暇を取ることができず、いずれの選択肢も現実的ではない。日帰り可能な近距離で手軽に涼を得られるところはないか。そう考えた時に思いついたのが、甲州の大菩薩嶺であった。甲府盆地の夏は都心顔負けの猛暑に見舞われるが、それは盆地の中の現象であって、盆地を取り囲む山の上へ登っちゃえば、状況は一変し、盆地とは全くの別世界が待っているのだ。


日程:2013年8月上旬(日帰り)
人数:単独行
天候:曇りのち晴れ
持ち物:日帰り登山の一般的な持ち物
ルート:裂石(丸川峠分岐駐車場)→上日川峠→小屋平→石丸峠→大菩薩峠→大菩薩嶺→丸川峠→裂石(丸川峠分岐駐車場)・・・反時計回りの周回コース

 

【7:00 丸川峠分岐駐車場(標高900m+α) 登山スタート】
中央道の勝沼インターから一般道を走り、塩山の市街地を抜けて国道411号(青梅街道)を北上。裂石から上日川峠へ向かう小道に入り、その途中にある丸川峠分岐駐車場に車を止める。車道自体はこの先の上日川峠まで続いているので、大菩薩嶺を目指すハイカーの多くは上日川峠まで車(もしくは運行日限定の路線バス)で行ってから登山をスタートさせるのだが、それでは歩行距離も高低差も得られないから登山としては面白みに欠けるし、上記のような周回コースを辿るのならば、この駐車場を起点・終点にするのが最も合理的であったので、敢えてこの駐車場を選んだのだった。さすがにここからスタートしようとするハイカーは圧倒的に少数派なのか、駐車場には私の車以外は一台もとまっておらず、ハイカーの車は上日川峠を目指して目の前の道を次々に通過してゆくが、そんな車道をしばらく歩く。



遠回りする車道をショートカットするような形で歩道がスタート。


 
【7:10 千石平・千石茶屋】
間もなく車道と合流して千石平に至るが、茶屋前で歩道はすぐ右手へ分かれる。


 
茶屋の脇から伸びるコンクリ舗装の道を数十メートル歩き、やがて左手へ分かれる登山道を進む。



両側が深くえぐれたこの登山道は、大菩薩峠を越えるための古道だったらしく、道幅にはゆとりがあり、古道らしい趣きも感じられる。


 
【7:43 第二展望台】
展望台とは云うものの、木々が生い茂っているためにほとんど展望が効かない。そもそも展望台の第一はどこだ? 


 
登山道は車道とほぼ並行しているため、車道を走る車の走行音がしばしば耳に入ってくる。わざわざ下から歩こうとする登山者は少ないらしく、車の通行量こそ多いが、この道を歩く人の姿は見られない。この先は登山道が崩れているので、標識に従って車道へ迂回する。


 
車道を数十メートル歩いて再び登山道へ戻る。案内が丁寧に掲示されているから迷うことはない。



登山道は上り勾配一辺倒だが、危険な箇所はほぼ皆無であり、とても歩きやすい。幼い子でも問題なく歩けちゃうだろう。



今回の山行で唯一道を間違えた箇所がこの「イタヤカエデ」の看板があるところ。画像を見てもわかるように道は分岐しており、一見すると左のほうが幅員が広いのでそちらを進みたくなる。私も左に向かったのだが、ちょっと進んだら行き止まりとなっており、それ以上進むと崖の下に転落してしまう。従ってここは右に進路をとる。



頭上にはブナの葉、地面には笹藪が茂っている中を進む。


 
やがて車道に合流し…


 
【8:20 上日川峠・ロッヂ長兵衛(1580m)】
上日川峠に到達。峠の山小屋は「ロッヂ長兵衛」。



上日川峠のトイレの奥に広がる無料駐車場にはたくさんの車がとまっていた。繰り返しになるが、普通はここまで車で来るのが一般的であり、私のように下から登る人は少数派であり、途中誰にも会わなかった。



車で上日川峠までやってきたハイカーが大菩薩峠および大菩薩嶺を目指す場合は、ここから唐松尾根分岐を目指すのが一般的であるが、ここでまたへそ曲がりな私はマイノリティな石丸峠へ向かう道に進む。遠回りとなるこの道を進む人は少ない。



裂石から上日川峠までせっかく600m近く登ってきたのに、峠からは緩やかな坂を下ってダム湖の最上流部を辿って小さな沢を3本越える。まず峠から10分弱で1回目の渡渉。石の上を跨いで沢を越える。



それから4分後に2回目の渡渉。こちらの沢も小さいので楽勝。



針葉樹の森を歩いてマイナスイオンを全身に浴びる。空気が清々しい。


 
2回目の渡渉から12分後に3回目の渡渉。前2回と比べてここは川幅がしっかりあるので、飛ぶべき石をしっかり選んで川を越える。この川は上日川ダム(大菩薩湖)の最上流であり、下流側は視界がひらけている。



【8:52 小屋平】
小屋平で車道を横断。上日川峠へ向かう路線バスはここを通過し、バス停も設けられている。


 
小屋平のバス停前が石丸峠への入口であり、本格的な登山道はここから。



両側にクマザサが生い茂る斜面。比較的急な登りであり、ここに至ってようやく登山をしている気分になれた。なかなか登り甲斐がある。しかしながらアブが鬱陶しい。



小屋平から20分ほど登ると未舗装の林道に出た。


 
本来はこの林道をすぐに横断するのだが、登山道の一部区間が崩壊しているので、林道を150mほど歩き、道標に従って迂回する。


 
森林浴をしながら大菩薩連嶺の稜線を目指す。徐々に勾配が緩やかになってきた。


 
樹林帯を抜けて稜線上の草原地帯に出た。天気はあいにくの曇り空だが、大菩薩湖の湖面やロックフィル式のダム本体も望める。


 

草原地帯はちょっとしたお花畑になっており、色とりどりの花が咲いていた。黄色い花はニガナ。オレンジ色はコウリンカ。薄紫の花はカイフウロ(フウロの一種)。特にコウリンカは群生をなしていた。



笹原を行く爽快な道。曇っているおかげで強い陽射しを避けることでき、足取りも軽い。もうすぐ石丸峠だ。


 
石丸峠の手前には、シカによる高山植物の食害被害を調査するためのフェンスが設置されていた。たしかに登山道にはそれらしき足跡がはっきり残っている。


 
【10:00 石丸峠】
登山道が交差する石丸峠。上日川峠にはたくさんの車がとまっており、ハイカーが達の姿も多く見られたが、ここに至るまで一人も行き違ったり追い抜いたりしていない。そんなにマイナーな道なのかね。石丸峠からは大菩薩連嶺の稜線上を辿る。


 
大菩薩連嶺は多摩川水系と富士川水系の分水嶺となっており、ちょうどその境界上を歩くことになるのだが、多摩川水系サイドには「東京都水道局」の標柱や境界石が設置されており、この境界石から多摩川側は東京都の水源林であることがわかる。東京都水道局のHPによれば「東京都最西部の奥多摩町から山梨県下の小菅村、丹波山村、甲州市に至るまで、東西30.9km、南北19.5kmに広がっており、面積は約22,000haに及んでい」るとのこと。この広大な森林が都民の生活を守っているわけだ。



石丸峠から熊沢山と称するちょっとしたピークに入る。この辺りは鬱蒼とした針葉樹林だ。


 
ピークを越えて樹林帯の中を下りてゆくと、やがて人の声が聞こえ始めて、山小屋「介山荘」が姿を現し…



【10:30~11:00 大菩薩峠(1897m)】
大菩薩峠へと至る。スタートからここまで無休憩・無給水で来てしまったため、標柱のそばに腰掛けてコンビニのおにぎりを頬張った。下界では既に30℃を超える暑さにもかかわらず、この峠は涼しいを通り越して寧ろ肌寒く、半袖の上に一枚羽織りたくなるほどだった。


後編につづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鰺ヶ沢 海のしずく(旧ぽっかぽか温泉)

2013年08月30日 | 青森県
 
一旦は閉鎖されてしまった鰺ヶ沢町の旧「ぽっかぽか温泉」が、運営母体変更の上で「海のしずく」と改称されて復活することを、拙ブログで2ヶ月ほど前にお伝えしましたが(その時の記事はこちら)、その後の6月10日にめでたくオープンにこぎつけ、ネット上でも少しずつレポートが上がり始めていますので、そんな機に乗じて私も先日実際に現地へ訪問してきた際のレポートを、今回アップさせていただきます。かつては国道101号に面して「5-11」という某大手チェーンの名称をパクったコンビニが営業していましたが、店舗の跡こそ残っているものの、コンビニの方は今回の温泉復活に際しても再開されないままのようです。



玄関入って右手の小型券売機で料金を支払い、左手のカウンターにいるお婆ちゃんに券を手渡します。そのカウンターは新しい施設とは思えないような、内部に販売品の入浴グッズが陳列されている、小型でガラス製の懐かしい感じのものでした。券売機の後ろの立つ衝立の向こうは家族風呂の入口でして、今回新設された家族風呂が建物に内包されたことに伴い、従前は離れで運営されていた「ぽっかぽか」時代の家族風呂が使用停止となった模様です。


 
大型テレビや複数台の自販機が設置された休憩スペース。壁の掲示板には分析表をはじめとしていろんな案内が貼り出されていたのですが、そんななかで「浴槽内の沈殿物及びタイルの汚れは湯の花です」と記された張り紙に目が留まりました。オープンしてまだ2ヶ月しか経っていないのに、もう成分付着による着色が発生しているのか?


 
さすが全面的に改装されただけあって、脱衣室はとっても綺麗です。天井ではシーリングファンが回っていました。全体的なレイアウトとしては青森県の温泉銭湯によくある凡庸なスタイルであり、この画像を見ただけはどの浴場なのか、私には特定する自信がありません。


 
お風呂は内湯のみでして、浴室は「ぽっかぽか」時代のレイアウトを踏襲しているような感じですが、洗い場のシャワー付き混合水栓はピッカピカの新品でして、真ん中の島に10ヶ所、左側の壁に沿って12ヶ所、計22ヶ所設置されています。なおカランから出てくるお湯は真湯です。
休憩スペースの掲示で説明されていたように、確かに洗い場の床タイルには既に茶色い跡がこびりついていました。



浴室内には、手前側からサウナ・水風呂・小浴槽・大浴槽の順でL字形に並んでおり、そのうち温泉が張られているのは小浴槽・大浴槽の2つです。なお水風呂で使用されている冷水は、ごく普通の水道水かと思われます。


 
まずは手前側の小さな浴槽から。小さいと言っても6~7人は入れそうな容量があり、かなり熱めのお湯(44℃前後)が張られています。湯口から吐き出されるお湯は湯面で泡立っており、湯船を満たしたお湯は縁から常時溢れ出ていました。このオーバーフローが床を茶色に染めているわけですね。


 
一方、奥にどっしりと据えられている大きな浴槽は小浴槽の2~3倍はありそうなキャパを擁し、41~2℃と万人受けする適温がキープされており、小浴槽同様に湯口から落とされたお湯は湯面で白い泡を立てています。湯船のお湯は、無人時には縁の浅い切り欠けから洗い場へ静かに流下していますが、人が湯船に入ればザバーっと縁の全辺から勢い良く溢れ出ていました。

お湯はやや黄色みを帯びた焦げ茶色を有しており、色が濃くて透明度が低いために浴槽底は見えません。両浴槽とも湯口には湯の華キャッチャーが被せられていますが、小さく熱い浴槽では大きな湯の華が浴槽内でたくさん沈殿あるいは浮遊している一方、大きな適温槽では沈殿浮遊ともにあまり目立っていませんでした。「海のしずく」という名前が示すようにこの温泉は化石海水由来でありますから当然ながら塩辛く、加えてニガリの味も有しており、臭素臭+微アンモニア臭+アブラっぽい匂いが湯面から放たれ、それらの匂いは浴室内にも漂っていました。なお味・匂いともに大きな浴槽よりも小さな浴槽の方が強く明瞭に感じられたのですが、上述の沈殿や浮遊物の件を含めて推測するに、小さな高温槽の方がお湯が濃いように思われます。大きな浴槽の湯口から吐出されるお湯は熱くなったりぬるくなったりを繰り返していたので、適宜加水して温度を調整しているのかもしれません。なお両浴槽とも循環加温は行われておらず、しっかり放流式の湯使いです。入浴中は濃い食塩泉らしいツルスベ浴感が肌を包み込んでくれるのですが、湯上がりは塩分がこびりつくため肌がカピカピし、またベトつきも残ります。



厳冬期でしたら湯船から出てそのまんまお風呂から上がっちゃえば、熱の湯である食塩泉ならではのパワフルな保温効果が期待できるのですが、暑い夏は却ってそれが災いして、なかなか汗がひかないどころか、肌の突っ張りやベトつきも気になってしまうところです。そんな浴感を見越しているのか、浴室入口には真湯が注がれている上がり湯の瓶が用意されていますので、浴後の不快感が気になる方は、お風呂あがり直前にこの上がり湯を体に掛けて、余計な塩分を洗い流してしまいましょう。

今回私は、鰺ヶ沢の「はまなす公園」から帰ってくる海水浴客で国道が軽く渋滞していた時間帯に訪れたのですが、国道沿いというわかりやすいロケーションゆえに、浴室内は海水浴帰りの客で混雑しているかと覚悟していたら、そのような客の姿はあまり見られず、洗い場に2~3人の常連さんがいる程度で、むしろ拍子抜けするくらいに空いていました。オープンして2ヶ月が経過し、少しずつ常連客が根付いても良さそうですが、鰺ヶ沢や森田・木造などの中心部から中途半端に離れているためか、あるいはまだまだ存在が知れ渡っていないのか、盛況と呈しているとは言えない状況のようです。せっかく復活を成し遂げたのですから、是非頑張って集客して、経営を安定させていただきたいものです。


ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉 47.6℃ pH8.4 140L/min(動力揚湯) 溶存物質1.487g/kg 成分総計1.487g/kg
Na+:395.5mg(93.02mval%), NH4+:4.7mg,
Cl-:317.1mg(46.71mval%), Br-:1.3mg, I-:0.5mg, HCO3-:555.9mg(47.55mval%), CO3--:27.0mg,
H2SiO3:142.5mg,
(平成25年5月14日)

青森県西津軽郡鯵ヶ沢町北浮田町字平野206-23
0173-72-7222

6:00~22:00 第1木曜定休
350円
ロッカー(100円リターン式)・ドライヤー(無料)あり、入浴グッズ販売あり

私の好み:★★+0.5
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鰺ヶ沢町白八幡宮大祭 2013年8月

2013年08月28日 | 青森県
※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。


現在の青森県の県庁所在地といえば言わずもがな青森市でありますが、犬猿の仲である津軽と南部をくっつけた上でこの地が妥協の産物のような形で県の中心となったのは明治以降のことであり、それ以前は新興の一港にすぎず、藩政時代の津軽においては当然ながらお城のある弘前が中心でありました。今でこそ青森県の農産物の代表といえばリンゴですが、リンゴ栽培は明治以降にアメリカ人宣教師の手によって始められ、職を失った武士の帰農事業として普及したものであり、それ以前は表高よりはるかに多い実高を誇る米の生産や、ヒバの産出が藩の経済を支えていました。トラックが無い当時は北前船が主要な輸送手段であり、津軽の産品はこの北前船によって現在の関西方面へ運ばれたわけでして、この物流による交流が影響して津軽のみならず東北の日本海側は現在も京など上方の文化の影響が強く残っているのですが、津軽藩が北前船に荷を積んでいた物流基地は、今ではすっかり寂れた漁村に落ちぶれてしまった鰺ヶ沢でありました。

鰺ヶ沢は津軽の第一の津出し港として栄え、かつては奉行所も置かれたほど藩政と経済にとって重要な拠点だったのですが、昔ながらの和船しか入港できない鰺ヶ沢港は近代化以降の蒸気船に対応することができず、その上奥羽本線の開通によって物流の主役が鉄道にとってかわられたため、明治以降はただただ落ちぶれるばかりで、一時的には漁業で再興できそうな時期もありましたが、昭和40年代には「二人町長問題」というみっともない事件を起こし、人口流出にも歯止めがかからず、今では過疎と赤貧の財政に苛まれる典型的な左前の片田舎になってしまいました。こんな鰺ヶ沢ですが、昔とった杵柄と申しましょうか、藩政時代の華やかな様子を今に伝える伝統行事「鰺ヶ沢町白八幡宮大祭」は津軽の京祭りと称されるほど絢爛かつ荘厳なイベントであり、4年に一度開催されるこのお祭りが今年8月14・15・16日の3日間にわたって挙行されましたので、今回はその様子を簡単にお伝えさせていただきます。

「鰺ヶ沢町白八幡宮大祭」は300年以上も続いている、津軽藩の歴史を伝える伝統ある行事であるにもかかわらず、今年になってようやく県の無形文化財に指定されたというのですから、いかに鰺ヶ沢という僻地が近代化された県から見放されてきたかがよくわかりますが、それはともかく、このお祭りで最もインパクトがあるのは1日目と3日目に行われる「御神輿渡御行列」でして、町のHPから文章を引用しますと…

2基の神輿を中心に乗馬の神職、御神馬、裃姿の奉行役のほか、古式ゆかしい装束に身をまとった鉄砲、槍、弓などの御神器や御神宝を捧持する人々は200名余におよび、およそ1kmにも達する行列となって「行導」の音を奏でながら静かに進み、さらに、これに各町内の山車がつづく、一大絵巻となっています。また、行列に参加する人々が「口覆い」(マスク状の布)を着けるのは穢れを忌むという古来のしきたりを今に伝えるものです。

と記されています(出典:鰺ヶ沢町役場HP「白八幡宮大祭について」)。
京都の祇園祭と時代祭をミックスされたようなこの「御神輿渡御行列」については後述しますが、この他にお祭り期間中には毎日運行されるものとして、藩政時代からの鰺ヶ沢の中心部に位置する各町が曳く人形山車があり、町ごとに人形のテーマが異なっています。10台の山車について、町ごとのテーマは以下の通りです。

本町1丁目:楠公桜井ノ駅
本町2丁目&米町:加藤清正
七ツ石町:川中島の合戦
田中町:神武皇后
浜町:素戔嗚尊
釣町:恵比寿
新地町:羅生門
漁師町:八幡太郎義家
富根町:神武天皇
淀町:日本武尊

このように、それぞれ日本の神話や中世あたりまでの歴史を題材としており、題材を造形化した大きな人形にして台車の上に載せ、その下に太鼓や鉦鼓・篠笛・三味線などのお神楽が乗り込んで祇園囃子を奏で、錫杖を持った二人の露払いを先頭にして稚児・女児・そして山車が隊列を組んで、お祭りが開催される3日間、鰺ヶ沢町内(大和田~本町~舞戸)を練り歩きます。各町の山車は、14日の初日と16日の最終日は御神輿とともにフォーメーションを組んで長い一列を形成する「御神輿渡御行列」に内包されますが、中日の15日は各町が自由に練り歩ける自由運行日となっており、各町の山車が最も個性を発揮する日でもありますので、今回はこの自由運行日に撮影しました山車を紹介いたしましょう。


 
お祭り期間中は神輿が白八幡宮から下界(町域)へと下り、「御神輿渡御行列」が行われない時間帯は漁港に設けられた「御仮殿」に仮り置かれます。翌日(最終日)の海上渡御に備え、港に舫われている漁船には大量旗や榊が飾り付けられていました。


 
(右(下)画像は2009年に撮影したものです)
意見すると単なるお神楽の舞台に見えますが、舞台袖に注目! 塩釜神社と書かれているのがわかりますよね。これは「新町塩釜神社神楽 カシ禰宜」と称するもので、本町・浜町・釣町に挟まれている新町では、他の町と異なり山車を出さないものの、町内に設けた塩釜神社の御仮殿で神楽を行います。津軽の一漁村で宮城県の塩釜を名乗っているのは何とも不思議ですが、これはかつての名主が仙台の塩釜大明神に参拝した際、とても賑わっていた塩釜のカシ禰宜神楽を観賞してすっかり気に入ってしまい、是非鰺ヶ沢でもこの神楽をやるべ、という話になって伝播されたんだそうです。とはいえ、その後本家の塩釜では廃れてしまったため、塩釜のカシ禰宜神楽が見られるのは現在では鰺ヶ沢だけとなっています。



こちらは昼のお休みを終えて、漁港の前を出発する田中町の山車「神武皇后」。



田中町の山車は出発してまもなく浜町の町内へと入り、浜町の山車と行き違います。その際拡声器で「こちらは○○町でございます。△△町の皆様、いつも大変お世話になっております」という口上を述べながら、お互いにエールを送り合います。山車の後ろを追う軽トラには大きなクーラーボックスが積んであり、炎天下における長時間の行進でも熱中症にならないよう、たくさんの冷たい飲料が用意されています。


 
こちらは鰺ヶ沢警察付近を通る七ツ石町の山車「川中島の合戦」。山車の下では祇園囃子を奏でています。



本町のNTT交換所前で一時停止して、稚児たちが演舞「チャンチャレンコ」を踊る浜町の山車「素戔嗚尊」。


 
続いて町役場の前にやってきた浜町の山車は、正面玄関前で、稚児や女児が演舞を披露しました。踊り終えた後は、披露が疲労に変ったか、炎天下の中、暑さでうなだれたみなさんは冴えない表情で集合写真。子どもの参加に関して、各町の山車では、原則的にその町に属する中学生までの子供が参加することになっています。かつてはもっと多くの参加者がいたのですが、年々その数は減少しています。ちなみに今回浜町の露払いを担当した女の子二人(集合写真の両端に写っている白い服)は姉妹でして、本来は中学2年生の妹のみが参加する予定でしたが、当初は参加予定になかった高3の姉も急遽駆り出されることになり、姉妹揃って露払いを任されることになりました。ま、参加すればお小遣いがもらえますから、子どもたちにとっては決して悪い話じゃないんですけどね。


 
浜町の山車が役場前を去った後は、つづいて本町2丁目&米町の山車「加藤清正」がやってきました。こちらも役場の正面玄関前で演舞を披露するのですが、子供の人数は浜町の半分ほどしかいません。ちょっと寂しいですね。


 
本町2丁目&米町の行列で注目すべきは、五条大橋における牛若丸(義経)と弁慶を再現した演舞です。白塗りの牛若丸役の人を見たときには気持ち悪いオカマか、あるいは祭りに乗じてふざけた仮装をしているのかと勘違いしたのですが、いざ演技に入ると、牛若丸が俊敏な動作で弁慶の長刀をかわす様を、しっかりと演じており、熱演につい引き込まれてしまいました。



観光客で賑わう「海の駅」でも各町の山車が演舞を披露します。これは浜町の山車が演舞を終えて、拍手喝さいの中、七つ石町方面への移動を開始したところです。

ここまで紹介した様子を動画にしてYouTubeにアップしました。祇園囃子や掛け声、そして演舞の様子がよくおわかりいただけるかと思いますので、ご興味あれば是非ご覧ください。



本当はもうちょっとお祭りを追跡したかったのですが、あまりの暑さに音を上げ、見学を途中で取りやめて近所の海へ素潜りしに行ってしまったので、今年はこれ以上撮影をしておりません。でも、いくらなんでもこれでは内容が足りないので、これ以降は、前回(2009年)の最終日に撮影した画像をいくつか取り上げて補足説明をさせていただきます。


●2009年の最終日(海上御輿および渡御行列の)様子
 
最終日はお神輿を船に載せて、大量祈願の海上御輿を行います。


 
大漁旗で彩られた漁船に、無事神輿が据えられました。


 
御神輿を載せた船は沖合へ出港し、その他の漁船も後に続きます。



沖合に出た神輿を見守る山車たち。


 
沖合をグルッと一周した後は、漁港に戻ってきます。



海から戻ってきたお神輿は、漁港内に設けられた御旅所(御仮殿)で儀式を挙げた後、町内を練り歩く「御神輿渡御行列」の中心に加わって、行列が出発します。



露払いを先頭にした行列が、NTT交換所前にやってきました。


 
白装束に身を固めたグループがお神輿を担いでいます。穢れを忌むため、白装束を纏った人たちは、口に「口覆い」(マスク)を装着しています。



御神馬もいますよ。


 
続いて各町の山車が続きます。


 
今年(2013年)と比べると、参加者、とりわけ子供の数は明らかにこの画像(2009年)の方が多いですね。わずか4年しか違わないのに、それだけ人口が減っているのでしょう。


 
次々と山車がやってきます。総延長が相当な距離に及ぶため、この行列が行われる初日と最終日は、町内に通行規制が敷かれ、一部区間が通行止めになります。


 
どんどん来ますね。なかなか途切れません。鰺ヶ沢にはこんな多くの人がいたのか、と驚くほど、町内の人が総出で参加するのです。立派でしょ。にもかかわらず、この時点では県の無形文化財には指定されていなかったのですから、何とも不可解です。


 
「御神輿渡御行列」が通過する沿道の各戸では、門々に小さな机を置き、神酒・初穂・灯明を供えて、正座&拝礼で行列をお迎えします。お年寄りは行列に参加しないかわりに、このような古式ゆかしきスタイルで4年に一度のお祭りを迎えるわけです。そして各戸で集められたご祝儀が、行列に参加した子供たちへ分配されてゆくのです。


田舎の祭りと侮るなかれ、当地が北前船で栄えた往時の歴史を今に伝える、京風の雅やかな神事なのであります。次回は4年後の2017年です。その頃には鰺ヶ沢の子供の人口が現在以上に減っているものと思われ、各町の山車がちゃんと運行できるのか不安ではありますが、是非地元の皆様には頑張っていただいて、歴史あるお祭りを後世に残していってほしいものです。


●(おまけ)今年の嶽きみ、順調に収穫・出荷中。箆棒に甘いぜ!

嶽きみの収穫・出荷が始まっています。さっそく我が家に届きましたので、茹でていただきました。まだ甘さのピークには時期的に早いのですが、それでもメチャクチャ甘いですよ。そんじょそこらのスーパーで売っているトウモロコシが食えなくなりますよ。今年は当たり年かも! 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古遠部温泉 2013年初夏宿泊 後編

2013年08月27日 | 青森県
前回記事「古遠部温泉 2013年初夏宿泊 前編」の続きです。後編は全てお風呂ですよ。



宿泊した夜は何度もこの脱衣室で浴衣を脱ぎ着しましたっけ。



あぁ素晴らしき哉、古遠部の浴室。湯気による光の拡散すら神々しく見えますね。昼間は立ち寄り入浴のお客さんが長居していることが多々ありますが、宿泊すれば自分の好きな時に湯浴みできますから、他の方がいない時間帯を狙ってひたすら入浴し続けることも可能。特に夜中は誰にも邪魔されず、ひたすら独占することができました。


 
湯口から注がれる大量の源泉によって、湯船は常に波立っており、槽内では流れも生まれています。
モスグリーンを帯びた飴色に濁り、甘塩味+出汁味+強い炭酸味+金気味+土気味、そして金気臭と土気臭が感じられます。ギッシギシに引っかかる浴感で、ちょっと熱めの湯加減。



真湯が出るシャワーが1基。ボディーソープやリンスインシャンプーの備え付けもあり。


 
怒涛の如きお湯の溢れ出しにより、床が湯の川と化しているのは、皆様ご承知の通り。床には温泉成分がこってり付着。もちろんこのお湯が絶え間なく流れる床は、我々にとって極上のトドゾーン、トドの聖地であり、ケロリン桶の中に頭を入れて枕の代わりにし、仰向けになって寝っ転がると最高に気持ち良いですね。客室の布団じゃなく、この寝湯で一夜を明かしたいほどでした。


古遠部2号源泉
ナトリウム・カルシウム-塩化物・炭酸水素塩・硫酸塩泉
43.6℃ pH6.28 478L/min(自噴) 溶存物質5.063g/kg 成分総計5.446g/kg
Na+:755.1mg(44.30mval%), Mg++:103.3mg(11.46mval%), Ca++:617.7mg(41.56mval%), Fe++:6.7mg,
Cl-:1162mg(45.83mval%), SO4--:717.5mg(20.88mval%), HCO3-:1450mg(33.22mval%),
H2SiO3:168.2mg, HBO2:23.9mg, CO2:383.0mg,
(平成20年1月18日付)

青森県平川市碇ヶ関西碇ヶ関山1-467
0172-46-2533

9:00~20:00
入浴のみ280円
備品類なし

私の好み:★★★
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古遠部温泉 2013年初夏宿泊 前編

2013年08月26日 | 青森県
 
東北の温泉ファンにとっては聖地の一つと言っても過言ではない青森県の古遠部温泉。私も何度か立ち寄り入浴しており、拙ブログでは2度(2009年2011年)記事にしていますが、一度は誰にも邪魔されず一人で長時間トドになってみたかったものですから、それなら宿泊するほかないと考え、願望を実現させるべく、某日一泊して参りました。温泉への未舗装路に立っている「熊出没注意」の看板に描かれているクマさんのイラストがかわいらしく、あまり警戒感が起きません。


 
夕方5時前に到着です。前日に電話予約をした際、ご主人が「5時までにはチェックインしてください」とおっしゃっていたので、その指示を忠実に守りました。
建物も石灰華のドームも、いつもと変わらぬ佇まいにホッと一安心。他ブロガーさんも取り上げていらっしゃいますが、噂によれば一時期は宿を閉じることも検討したんだそうですね。


 
玄関の傍では犬のチョコがお出迎え。



今回宛てがわれた客室は「梅の間」です。最近内装を改修したそうでして、畳や障子の桟、襖以外は真新しく、一点の染みもない壁紙や鴨居の白木が印象的でした。冷蔵庫やテレビの備え付けもあり、照明のON/OFFはリモコンスイッチで操作します。なお当地は青森県の地デジの電波が届かないため、テレビはBSと難視対策衛星放送(関東広域圏の放送から青森県をネットしていないフジとテレ東を削ったもの)が映ります。従いまして、津軽の山奥にいるのに、放送されるニュースや天気予報は関東地方のものという、摩訶不思議な体験ができます。なお私が持っているauのスマホは圏外でした。

後で宿のご主人から伺った話によれば、宿泊客の多寡には予測の難しい波があるんだそうでして、たとえば私が泊まった某日はお客さんが他に2人しかいなかったのですが、次の日は平日でもほぼ満室だったそうです。もし混んでいる場合は一人客を断っているそうですので、前日に予約して部屋を確保できた私はラッキーだったのでしょう。



こちらは共用の洗面台。画像はありませんが、かつてボットンだったトイレは、改修工事によりちゃんとした水洗に更新されていました。


 
「5時までにはチェックイン…」には夕食にその理由があったのでした。なんと夕食のスタート時間が5:15なのです。しかも夕食会場への集合は時間厳守。スタート時間が早いことは伺っていたので、この日は一切の間食を絶って、山小屋並みの早い夕食に対応できるよう胃袋のコンディションを整えてきたのですが、山間の一軒宿へやってきていながら、まさか体育会系的な時間感覚を求められるとは思わず、普段いい加減な生活をしている文化会系の私は軽く狼狽してしまいました。


 
画像左(上)はイワナの塩焼きと天ぷら、右(下)はお鍋です。いずれも大変美味。古遠部温泉は、お湯の良さや湯量を絶賛する方もいれば、このお食事を褒め称える方も多くいらっしゃり、料理のレベルには定評があるんですね。若女将曰く、お客さんのチェックインを確認してからイワナを獲りに行くんだそうですが、でも時間が遅くなると獲りにくくなってしまうので、早めのチェックインをお願いしているんだそうです。なるほど、そういうことだったのか。お魚は焼きたて、天ぷらは揚げたてが提供されます。尤も、最高の状態で食べてほしいという若女将の熱意が強すぎるあまりに、目の前にできたての料理が提供されているにもかかわらず、客がもたもたしたり、他の小鉢などを呑気に突いていたりすると、職人気質の頑固な板前さんみたいな剣幕で急き立てられてしまい、実際に私の隣の席に座っていたマイペースなおじさん達は、まるで若女将から何度も怒られていました。その様子はまるで母親に叱責されるだらしない中高生を見ているようであり、だらしなかった自分の学生時代を思い出して、つい噴き出しちゃったりして…。



こちらは朝食。
おいしゅうございました。


次回へつづく…
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする