温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

2014年の温泉十傑

2014年12月30日 | 旅行記
古典落語の「寝床」といえば、誰からも相手にされないのに自分ばっかり得意になっている裸の王様と化した旦那の噺です。温泉ブログ界の「寝床」を自認している拙ブログでは、どうせ誰も見ちゃいねぇんだから好き勝手なことを書いてやれと、今年も性懲り無く、ボリュームの割りに中身がちっとも無い、おみやげ屋で売っているウニの瓶詰めみたいな、陳腐で大してうまくもない温泉レポートを、無責任にだらしなく書き綴ってしまいました。その数約250。昨年とほぼ同じペースであり、レポートに上げていない入浴や温泉以外の記事も含めれば、その数は300をゆうに超えます。

今年の湯めぐりは、一言で表現すれば「濃厚」。有名な温泉地から山奥の野湯、そして海外の秘湯など、実に多種多様な温泉を巡ってまいりました。そして記念すべき2000湯という節目も迎えました。そこで本年最後の記事では、今年私が巡った温泉の中から十傑を選び、順不同で振り返ってまいります。
(なお、今年記事にした箇所のうち、昨年に入湯したものは、昨年の十傑で既に取り上げております)


【 国 内 】
●八甲田温泉 ぬぐだまりの里
 
(8月12日掲載)
八甲田の温泉旅館でかつては「遊仙」と称していたお宿。2012年に現在の名前で復活し、今年6月10日には新浴場棟「龍神の湯」もオープン。この「龍神の湯」には圧倒されました。この度浴槽へ張られるようになったミルク湯はもちろんのこと、今どき、あれだけ立派な木材を使っている湯屋って他にあるでしょうか。巨木ならではの重厚感の内湯、そして八甲田の大自然が広がる広大な露天と、感動しっぱなしです。



(8月13日掲載)
その際に再訪した「ラムネの湯」の半露天にも感動。
ぬるめのお湯と激しい泡付き、そして山から吹くさわやかな風…。その全てが最高でした。


●秋田焼山 湯の沢の野湯(硫黄取りの湯)
 
(11月27日掲載)
紅葉狩りを兼ねた登山の途中に楽しんだ八幡平の野湯。天候は怪しかったのですが、文字通り流れそのものがイオウの温泉となっている沢は、湯量豊富で湯加減も最高、まさに夢の様なひとときで、一時間以上浸かり続けてしまいました。


●岩手県 新草の湯
 
(12月29日掲載)
クマとの遭遇や、遭難の恐怖に怯えながら、いつものように無謀にも単独行で探索しに行った野湯。山の中を歩いているときはちょっとビビっていましたが、でもその先で湧いていたお湯はとっても素晴らしく、勇気を振り絞ってやってきた甲斐がありました。


●山梨県 ホテル昭和
 

(来年記事にします)
山梨県の泡付き温泉ツートップといえば、山口温泉韮崎旭温泉ですが、まさか車やトラックがジャンジャン通りすぎる甲州街道沿いの古いビジネスホテルに、それらと比肩するほどのパワフル泡付き温泉が存在していたとは! いままでここを見逃していた自分を猛省です。私としては前2者とともに甲州泡付き御三家と呼びたいほど。日帰り入浴不可で宿泊のみですが、シングル5000円程度の安さですから、お財布に優しくて安心です。温泉とコストパフォーマンスの良さが、各地の営業マンや工事関係者に口コミで広がっているのか、古いビジホなのに空きがなかなか無かったりします。


●朝一番の長湯温泉・長生湯
 
(11月13日掲載)
石灰のコッテリ析出で有名な大分県の長湯温泉を湯めぐりした際、たまたま朝一番に訪問できた「長生湯」で、湯面を覆い尽くすカルシウムの膜に遭遇。手を入れると、固まった蝋のようにパリパリと音を立てて割れていき、早朝のお風呂で独り大興奮してしまいました。
今年は九州へあまり行けなかったので、来年は九州を積極的に巡るつもりです。


【 海 外 】
●タイ北部 ポーン・ブア・バーン温泉
 
(5月5日掲載)
東南アジアらしい長閑な田園風景が広がる、プラーオ地方の田舎に湧く温泉。
地元の方から愛される素朴な露天の共同浴場です。タマゴ感を伴う透明のお湯は完全掛け流し。お湯や風情など、この温泉を構成する要素の何かが特段秀でているわけでもないのですが、各ファクターの平均点が高く、結果として総体的に気に入りました。



  
十傑には及ばないものの、番外としてメートー温泉も非常に興味深く(4月24日掲載)、在タイの日本人の皆さんと、山間部に住む少数民族とが、手作りの露天風呂を通じて文化交流するという、実に素敵な温泉でした。この温泉は牛も大好きなんですね。えっ!? 不衛生じゃないかって? オイラはそんなもん気にしねぇよ(笑)。


   
タイ北部の温泉めぐりで、最高のランドスケープを楽しめたのは、パーイのリゾートコテージ「プリプタ・リゾート」でした(5月2日および3日掲載)。はっきり申し上げてコストパフォーマンス的にはいまいちですけど、当地で景色重視&プライベートな温泉露天風呂を希望なさる場合はおすすめ。




●台湾 紅香温泉
 
9月5日および6日掲載)
私の湯めぐりにおける2000湯目を達成したのが、台湾・南投県の秘境に湧く「紅香温泉」でした。山奥に暮らす原住民の所謂「ジモ専」ですが、外来者も無料で利用できるのがうれしいところ。トタン葺きのプリミティブな湯屋には露天風呂が併設されています。



特に印象的だったのは、この温泉へ向かう途中の悪路です。現在進行形で土砂崩れが起きている危ない道を、砂埃まみれになりながらバイクで進みました。危険な現場を過ぎても、路面が非常にバンピーであるため、迂闊にスピードを出すと転倒しかねません。登山してアクセスする野湯より、心身ともに疲れたかも。でも、その苦労を乗り越えたからこそ、2000湯目の達成感もひとしおでした。この時に同行してくださったWさんとSさんに改めて感謝申し上げます。


●台北郊外 磺渓温泉
 
(9月14日掲載)
イオウで青白く濁った滝壺がまるごと野湯の入浴ゾーン。台湾の自然の奥深さ、そして郊外に魅力的な自然を有する台北という街の面白さを、再認識させてくれた美しい野湯でした。温度的に夏向きです。


●トルコ・カイセリ県 バイラムハジュ温泉
 

(来年記事にします)
世界遺産カッパドキアの中心ギョレメからレンタルバイクで約40分走った田舎の集落のはずれにある温泉浴場。湖を見下ろす素晴らしい眺望の露天温泉プールの他、大きな内湯もあり、宿泊もできるんだとか。お湯はしっかり掛け流し。ちょうど雨上がりの夕暮れ時に訪れたのですが、湖面が雲間から差し込む夕陽に照らされてキラキラ輝き、影って暗くなった周囲の山々とのコントラストが実に神秘的。そんな絶景を眺めながら、優雅に温泉プールで湯浴み。


●トルコ・キュタフヤ県 ウルジャ温泉の男性用小露天風呂
 
(来年記事にします)
この画像をご覧になっただけで、ディープな温泉ファンなら心惹かれるはず。粗末なトタン屋根がかかったプリミティブな露天風呂には、湧出したての熱い温泉が惜しげも無く注がれていました。この風呂に私のような外国人が入ったことは、いまだかつてあったでしょうか。四角い湯船の周りにスノコが敷かれている様子は、まるで東北か九州の共同浴場のようです。



付近にはこんな立派な石灰棚もあるんですよ。下から見上げていると、今にもモンスターに呑み込まれそうだ…。いずれ拙ブログで取り上げます。



  
十傑に及ばないものの、印象的だった温泉を番外として2つほどピックアップ。まず一つ目は、マルマラ地方のバルケシル県にあるヒサララン温泉。地熱資源が豊富な地域なのですが、まだ全く観光地化されておらず、ひなびた民宿が2軒あるばかり。少なくとも外国人が目にするようなガイドブックには載っていません。宿のある小さな集落から丘を上ってゆくと、地面のあちこちから熱湯が噴き出ており、しかも立派な石灰棚まで出来上がっていました。


  
番外の2つ目は、同じくバルケシル県にあるウルジャ温泉。先程十傑に選んだウルジャ温泉はキュタフヤ県ですが、同じ温泉名ながら、こちらはバルケシル県です。観光という概念と無縁な埃っぽい集落の外れの川沿いに、1軒の温泉ホテルがあり、男女別の共同浴場も併設されています。内部はトルコの温泉浴場の標準的な造りなのですが、壁に施されているタイルが実に美しい。そして大きな浴槽に湛えられた温泉がとてもクリアで澄み切っていました。お湯の滑らかなフィーリングも良好。



以上、私の「濃厚」な湯めぐりを振り返ってまいりました。
ふわぁぁぁ、お腹いっぱいだぁ。睡魔に襲われそう…。
しかしながら、濃厚な食事をした後は、胃もたれに襲われて、しばらくはアッサリ軽い食事に逃げたくなるもの。実際にこの秋あたりから、温泉のハシゴが体調的に辛くなりはじめ、冬に入ってからは、忙しさのため温泉に入ることすらできていません。また、湯めぐりのペースにブログの記事作成が追いついていけず、現状では半年もの塩漬けを経てようやく掲載しているような有り様ですので、そろそろ記事の鮮度を上げていきたいとも考えています。
こうした諸々の理由により、いままでのように怒涛のような温泉めぐりは来年から抑制し、湯めぐりのペースを落としてゆくつもりです。これに伴い、ブログの更新ペースや内容は、現在公開待ちのネタが尽きる春以降にトーンダウンするかもしれません。



温泉とは全く無関係な小さい出来事ですが、私にとっては大きな話題をひとつ。民放局の夕方に放送されていた「ヤン坊マー坊天気予報」が今年3月末に半世紀以上にわたる放送の歴史に幕を下ろしました。私の暮らす関東では十数年前に既に打ち切られていますが、ヤンマーの主要顧客層である第一次産業従事者が多い地方では、その後も放送が続けられていました。小さな頃からテレビに齧りついて育ったテレビっ子の私は、「♪大きなものから小さなものまで…」というあのメロディーを耳にすると、昭和のノスタルジーが掻き立てられるので、温泉巡りの際に各地方へ出かけた際には、夕方になると民放局にチャンネルを合わせ、ニュースの後半に内包されていた「ヤン坊マー坊天気予報」を見て、翌日の気象とともに地名などを見聞きしながら、あのメロディーを口ずさんで、幼いころを懐かしんでいました。このひと時が地方へ出かけるささやかな楽しみでしたが、もうあのノスタルジックな時間には出会えません。地方へ出かける楽しみがひとつ減ってしまいました。実は、温泉めぐりをトーンダウンさせる理由のひとつが、この「ヤン坊マー坊天気予報」の終了だったりします。私にとっては「いいとも!」の終了よりもはるかにショッキングな、昭和のテレビの終焉でした。

全くもって収拾のつかないダメ記事になってしまい、大変失礼しました。
それでは良いお年をお迎えください。

コメント (6)
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ワタシ的2014年の映画八傑

2014年12月29日 | その他
一年の締めくくりに今年のワタシ的温泉十傑を取り上げたいところですが、年の瀬の寒さに負けて体調が優れず、どうしても温泉を語る気分になれませんので、温泉ネタは明日にまわすとして、その前に唐突ながらたまには趣向を変えて、今年日本で公開された映画のうち、私が劇場で観て面白かった8本を、順不同で寸評と一緒に列挙させていただきます。本当は十傑にしたかったのですが、そこまで頭が働かなかったので、今回は8本で許してください。


●『グランド・ブダペスト・ホテル』
独特のカットといい、甘いお菓子のような色使いといい、一応ミステリーながらもコントのようなコミカルな話の展開といい、お菓子の城のような可愛らしい世界観で繰り広げられる全てが最高に私の好み。しかし、最後の「(本作品は)シュテファン・ツヴァイクにインスパイアされた」というの意味がわからず、自分で調べてから再度劇場へ足を運んでしまった。なるほど、作家ツヴァイクが実現させたかった世界や訴えたかった主張を、監督はこの作品で表現しているんだなぁ。劇中には登場するナチスをモデルにした軍隊や、登場人物達が関係する民族問題などは、そのまんま欧州の近現代史であるし、架空の世界を舞台としているにもかかわらず、ホテルがブダペストと実在する地名を名乗っているのは、おそらく多民族社会で百花斉放だったオーストラリア・ハンガリー二重帝国時代を象徴しているのだろう。栄華を誇ったひとつのホテルの単なる栄枯盛衰譚ではなく、ヨーロッパの暗い過去と現代につながる問題を描いているようであった。

「グランド・ブダペスト・ホテル」予告編



●『アクト・オブ・キリング』
デヴィ夫人と間接的に関わりのあるお話。かつてインドネシアでスハルトが政権を奪取した際、右派による左派および中華系狩りが行われたことは、私も何かの本を読んで朧気ながら知っていた。いまだにインドネシアでは社会的な不満が鬱積すると、ストレスのはけ口として中華系住民に民衆の刃が向かいやすい。しかしながら、当時は数十万単位で大量虐殺が行われていたことを、この映画で初めて知って愕然とした。しかも、まさか国内の一部地域では、いまだに当時の行いが正義であったこととして捉えられているとは…。当時の実行部隊だったおじさんとそのチンピラ達が、いかにして反対勢力を狩って処刑したか、つまり彼らとしての「正義」を如何に守っていったかを、自分たちで演技演出して映画にするというのが本作の概要だが、その様子が実に滑稽。たとえば、デブの兄ちゃんなんて、途中から女装に凝りだして、マツコ・デラックスにしか見えなくなる。対象としている歴史的事実の重さと、描かれる様子のバカバカしさや滑稽さという、あまりに強烈なギャップに、観ているこちらの頭が混乱しそうになった。エンドロールにAnonymousがズラズラっと並ぶところも、この映画が描く不気味さの象徴のひとつ。つまり映画協力者と知れると、身の安全が脅かされちゃうわけだ。20世紀ならともかく、現代でもそんな状況なのだから、暗澹とした心境にならざるを得ない。尤も日本だって似通ったメンタリティはあるんだから、他人事じゃないんだけどさ。おじさんがむせび泣くラストシーンに、誰にでも他者の苦しみを理解できる人間性があるのだという一縷の望みが見いだせたことは、ちょっとした幸い。

映画『アクト・オブ・キリング』予告編



●『ブルージャスミン』
あらすじとしては名作「欲望という名の電車」に似ており、落ちぶれた都市生活者のセレブ姉が、品のない男と暮らす妹のところへ身を寄せるという話の流れもそっくりそのまま。でもウディ・アレンによる解釈により、話がより深みを持ち、且つユニークに展開されている。
主人公の姉は、ニューヨークから追い出されて財産を失い、裸一貫から生活を立て直さなきゃいけないのに、いつまでもセレブを気取って、現実と向きあおうとしない。下品な男と暮らす妹やその環境を馬鹿にするが、そんな妹に頼らないと姉は生活していけない。この姉の矛盾に満ちた言動が実にユニークで、作品鑑賞中の私はひたすら主人公の現実逃避っぷりを嗤っていたのだが、当のご本人は必死に過去の栄光にしがみつこうとしているわけで、おばさんならずとも人間たるものは誰だってそうであり、それほどヴァニティは本能的なものでもある。それゆえ、主人公を嘲笑した自分を後悔したくなるほど、ラストシーンの虚しさや残酷さったらありゃしない。背筋がゾッと寒くなった。

映画『ブルージャスミン』予告編



●『あなたを抱きしめる日まで』
今年の6月に「子ども800人の遺骨か、修道会関連施設で発見 アイルランド」(CNN.co.jp)というニュースが報じられた。カトリックの戒律が厳しいアイルランドでは、未婚の母(つまり婚前のセックス)をはじめ、男に色気を使ったりキスをしたりと、女性が性的にちょっとでも不貞と思われることをやらかすと(あるいはそのように誤解されただけでも)、修道院へ強制収容されて、「心の洗濯と同義なのよ!」と言わんばかりに何年もの間、ひたすらクリーニング労働に従事させられた。そしてその間に生まれた子供は、海外に売り飛ばされるか、あの世に葬りさられてしまったのというのだから恐ろしい。800人の子供の遺骨はまさにそのことを指している。しかも比較的最近まで続けられていたというのだから驚きだ。詳しくは『マグダレンの祈り』という映画で描かれており、私もその作品をDVDで借りて予習をしてから、本作を観に劇場へ赴いた。
そんな修道院にまつわる話なので、てっきり重いトーンなのかと思いきや、意外にもコメディタッチで描かれ、ドタバタ劇も織り込まれており、おかげでスムーズに話に入りこむことができた。簡単なあらすじを述べれば、修道院に収容されていた頃、自分の幼い子供を失った主人公のフィロミーナおばさんが、職を失って不貞腐れているジャーナリストとともに、子供の行方を探すといったもの。調査の過程で、子供はアメリカに売られていたことがわかり、ジャーナリストとおばさんはアメリカへ渡り、そこでドタバタ劇となるわけだが、果たして子供に会えるのか…。フィロミーナおばさんは、最後の最後まで教会に悉く裏切られてしまうにもかかわらず、そんな教会や修道院を許すというのだから、おばさんこそ寛恕と慈愛に満ちた神の如き存在なのであった(と無宗教の私は薄っぺらな感想を抱いた)。

『あなたを抱きしめる日まで』予告編



●『6才のボクが、大人になるまで』
一般的に、ひとつの映画作品で何年もの長期を描く場合、登場人物一人に対して各時代設定にあった役者を使う。子供時代だったら子役を、学生時代だったらティーンの役者を、老人だったら年寄りか特殊メークした役者を、という具合に。しかしこの作品は12年間、同じ役者を変えること無く映し続けているので、主人公の男の子をはじめ、各登場人物がどのように成長あるいは老化していったかを、2時間半の間で物語とともに「観察」することになる。ドラマ「北の国から」は、長年にわたる放送の間で、歯茎女子の蛍とドン臭そうな純の成長を追うことも、視聴者としての楽しみのひとつであったわけだから、この映画はアメリカ版「北の国から」と言えるのかもしれない。とはいえ、草太兄ちゃんが事故死したり、トロ子が孕んで五郎さんが誠意の謝罪をするような、特段大きなイベントが劇中で起きるわけでもない。たしかにママは2度も離婚し、2度目はアル中の暴力亭主から逃げ出すという波乱もあるが、せいぜいその程度。でも、主人公の男の子が学校に入る、ゲーム機に夢中になる、少しずつ大人の事情を知る、エロいことに興味を持つ、声変りをする、童貞のくせに「もうヤってるぜ」と虚勢を張る、飲めもしない酒を無理して飲んでみる、髭を生やしてむさ苦しい風貌になる、恋をするものの女心がちっとも摑めない…などなど、自分の子供時代や思春期の頃を思い出さずにはいられない数々のエピソードが、あたかもドキュメンタリーのように展開されてゆくところは、なんだかんだで面白い。12年間同じ演者で撮り続けてきたからこその不思議な魔力であり、スタティックな魅力は小津安二郎に通じるものがあるのかもしれない。
尤も、この作品がアメリカでヒットしたのは、物語の進展と並んで、懐かしいグッズや光景、流行がリアルに映し出されていることも大きかったのではないか。つまり最近の日本で言う「あまちゃん」ブーム(80年代を思い出させる懐かしさが人気に拍車をかけたこと)に似ているような気がする。それゆえアメリカではみんなの共感(郷愁)を誘ったが、それ以外の国では盛り上がりに欠け、あまり話題にならなかったのかも。でも、ゲームボーイからDSへといったゲーム機の変遷や、いまやレームダックと化したオバマがまだ時代の寵児であった頃の大統領戦など、日本人でも楽しめる時代描写(描写というかリアルにその当時のものだけど)が散見されたので、そうした点を手掛かりにするのも良いかも。

『6才のボクが、大人になるまで』予告編



●『少女は自転車に乗って』
学生時代から私は年に何回か、古本を漁るついでに神保町の岩波ホールへ足を運んでいる(神保町自体はしょっちゅう行ってます)。今年岩波ホールで上映された作品で最も感心したのが『少女は自転車に乗って』であった。タイトルの通り、サウジアラビアに住む一人のオテンバな女の子が、どうしても自転車に乗りたいがために、悪戦苦闘しながらお金を貯めて購入に挑むという、ただそれだけの話なのであるが、なぜ自転車に乗るためだけに悪戦苦闘しなきゃいけないのか。それはサウジアラビアが圧倒的な男尊女卑社会であり、女は自転車に乗ることが禁止されていたからだ。この映画公開後にその規制は解除されたらしいが、いまでも自動車の運転はNGである。驚くべきは、この映画がそんなサウジアラビアで撮影され、しかも監督がサウジアラビア人の女性であるという点。よくぞ撮影できたものだと、感心しきり。作品を観ていると、ところどころで状況理解が追いつかずにモヤモヤっと引っ掛かる場面があるのだが、敢えてそこを説明しないからこそ、当地独特のクローズドな社会が浮き彫りにされるのかもしれない。
しかしながらである。この映画を通じて「やっぱりイスラムはダメじゃん」という認識は大いなる誤りだ。イスラム圏でも女性の社会進出が進んでいる国はあり、世界経済フォーラムのランキング(Global Gender Gap Index 2014)によれば我が日本はイスラム教国のインドネシアにも劣っていると示されちゃう始末であるから、宗教云々が問題ではない。本作品の舞台においては、不平等を維持することによって既得権益を堅持しようとする国家体制に問題があるのであり、同時に、アメリカなど西側の国家は、しばしば人権に関して余所の国にちょっかい出すくせに、石油産出国に対して何も言えないという悲しく情けない現実が、この作品から透けて見えるのである。余談だが、日本と韓国はしばしば儒教が男女不平等の原因だと指摘されるが、儒教というよりその派生である朱子学の影響がデカいと思う。余談ついでに、スンニ派と犬猿の仲であるシーア派の国家イランでも、ジャファール・パナヒという監督が、軟禁されて映画制作を禁じられていた最中に『これは映画ではない』というメッセージ性の強い作品を、2012年に発表して話題になった。抑圧からの解放を願う芸術家のパワーはすさまじい。

映画『少女は自転車にのって』予告編



●『アデル、ブルーは熱い色』
一人のティーンの女の子がレズビアンに目覚め、恋をして燃え上がるが、やがてすれ違って喧嘩をし、修復できなくなって別れてゆくという、同性愛ラブストーリーなのだが、心理描写が非常に細かく、人を愛する情熱、苦しみ、次第に気づいてゆく自分と相手との能力や境遇の決定的な差などが、画面を通じて追体験できるので、私のような女好きの助平男でも心にグッと来る。また演者の表情をアップで捉える場面がひたすら続くので、ある意味で顔芸の映画でもある。
主人公はいわゆる平凡な家庭で生まれ、あんまり育ちがよろしくなく、両親も食に無頓着で、諸々の発想も人並みを越えない。一方主人公が好きになった相手は、センスが良いブルジョアな両親のもとで育ち、自身も繊細で才能に優れている。好きになった当初はそうした相手の属性も魅力なのだが、やがてそれが齟齬を生み、看過できない価値観の違いとなって、別れへと向かってゆく。対照的な性格と、はっきりと階級が異なる二人が恋に落ちたらどうなるのか、というのもこの映画のテーマ。つまりレズものでありながら、テーマはかなり普遍的なのである。
しかし、同性愛に目覚めてから初めてレズHをするまで1時間もかけて描いており、しかも途中でフランス文学やサルトル云々といった哲学の話が挿入される上、全編で3時間も要しているため、あまりにゆっくりとした展開に退屈しちゃう人はかなりいるだろう。好き嫌いが分かれることは必至。ぶっちゃけ、私は観賞中におしりが痛くなり、終了までの時間が気になってしまった。でもその分描写が細かいので、一度入りこめれば、そこからどんどん2人の心理と一体化できてゆく。

私としては、主人公が相手と別れた後も平然と出勤できているものの、仕事が終わってふと何もない時間が訪れた時に、いきなり失恋の悲しみに襲われるという場面で、思わず感極まってウワワワッと声を上げそうになってしまった。急激な状態の変化は、えてして現実に対する体感を喪失させる。失恋や死別など、激しい悲しみの感情は、その場でいきなり来るものではなく、後々にふと自分一人になった時、時間差で海嘯のように襲ってくるものだ。また、ラストで別れが決定的になった後、主人公がデートで坐った想い出のベンチに行って、一人でそこに腰かけるシーンなども、実に切なくて胸が痛くなる。

なお私は無修正の海外版を観たが、海外で「近年記憶される中でも、最も爆発的な写実的セックスシーン」と評価されるのは、なるほど御尤もと半分同意。でも日本の変態AVを見慣れた私には、初めてのレズHなのに、あんなにスムーズに相手とできるもんかね、と変なところで首を傾げざるを得なかった。芸術的に綺麗に描きすぎじゃねえのかな。公開後の女優に対するインタビューによれば、女性器に関してはフェイクのものを使ったそうだが、男性の方は言及がない。私が見た限り、勃起したオチン●ンは本物っぽかったんだけど、実際のところはどうなのかな…。ま、どうでもいいや。
画面に必ず青い色が何かしらの物が映り込むところは、とっても素敵。

『アデル、ブルーは熱い色』予告編



●『ゴーン・ガール』
年末にドデカイ秀作が公開され、おったまげた。とにかくロザムンド・パイクという女優の演技力がすごい。映画通ならこの女優をご存知なのかもしれないが、横文字の固有名詞を悉く覚えられない私は、おそらく今回初めてお目にかかったはず。こんな女優がいたのか! 恐れ入りました…。もちろん、ダメ夫ぶりを演じるベン・アフレックも立派。妻失踪の犯人として夫に疑念がかけられるが、その疑いに対する夫の抗弁があまり語られないことに加え、夫のだらしない体型や適当でいい加減な人柄によって、劇中における世間やマスコミの魔女狩り(というか夫の吊るし上げ)に観客のこちらまで加担したくなってしまう。あの夫と「アルゴ」の監督が同一人物だとは信じられない(もちろん劇中と実際の人物とは違うけどさ)。
やっぱりデヴィッド・フィンチャーの緻密な作り込みは素晴らしい。上映時間の2時間半はちっとも退屈しない。はじめの1時間は妻の失踪に関して嫌疑がかけられた夫や、夫を追いこんでゆく世間一般を描くミステリーだが、次の1時間は妻による復讐の様子が明らかになる痛快劇に一変し、残り30分で作品が観客に訴えるメタファーをたたみかけてゆく。だらしない男の一員である私としては、夫の立場に共感したくなるため、観終わった後は、慄然として口をあんぐり開けてしまい、つくづく異性や人間が怖くなった。そして、レイトショーで観た私は、真っ暗な道を一人で帰宅しなければいけないことに激しく後悔した。

最終的に語られる作品のメタファーは「夫婦と言う近くて遠い他人同士」についてであるが、安直に魔女狩りするくせにコロッと手のひらを返す世間や、それを助長し煽動するマスコミなど、社会に対する批判もしっかり(巧みに)盛り込まれており、それゆえに夫婦と言う枠を超え、人間の弱さや醜さなど万人共通の普遍的テーマについても考えさせられる。話に沿ってタイトルをつけるならば、「ガール」ではなく「ワイフ」にしなくちゃいけないが、なぜガールなのかという点も意味深だ。妻の両親が幼いころから「かくあるべき」というイメージを子供に押し付けて育ててきたことと、彼女がサイコパス気質となったこと、抑圧から解放されようと願って奇特な行動に出たことは無縁ではない。

ついでに言えば、夫の不倫相手の美巨乳には目が釘づけになった。そんなことを言っていると、俺も将来的には女に復讐されるのかな。

映画『ゴーン・ガール』第2弾予告編



あぁ、素人が偉そうにツラツラと屁理屈を語るもんだから、落語「酢豆腐」みたいな、半可通でトンチンカンなレビューになっちまいやがった…。やっぱり私は素直に温泉について語るだけにとどめておいた方が良さそうです。
次回は本年最後の記事、2014年の温泉十傑です。
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岩手県八幡平 新草の湯 2014年10月

2014年12月28日 | 岩手県
前回記事で取り上げた「草の湯」から引き返す途中、秘湯「新草の湯」にも立ち寄ってみることにしました。いや、立ち寄るという語句は相応しくないかな。私としてはちょっとした冒険であったこの「新草の湯」の記事で、今年の温泉レポートを締めくくります。
(なお次回と次々回は本年のまとめをお送りする予定です)


 
「草の湯」から私の車を止めている場所へ登山道を戻ってゆく途中、ブナ林の中で怪しげな踏み跡を発見しました。これが「新草の湯」への小径で間違いないはず。「新草の湯」もそこへ向かう道も、国土地理院の地形図をはじめとした各種地図には載っていませんので、ネット上で得られる情報が頼りなのですが、そのほとんどが意図的に曖昧な表現をなさっていますから、現地で自分の勘を働かせる他ありません。しかも私は単身で行動していますから相談相手も無し。遭難を覚悟の上、笹藪の中へ前屈姿勢で突入しました。


 
針葉樹林の下に笹薮が広がる薄暗い環境を、うっすらと踏み跡が伸びています。季節柄、地面は落ち葉で埋め尽くされており、笹の茂り方が薄いところは、踏み跡なんだか単なる地面なんだか判然としません。山歩きの経験を頼りに、勘を働かせて懸命に道を探します。



この山域はクマの巣窟。踏み跡はわかりにくいし、クマとの遭遇も怖い。独りぼっちで「新草の湯」を探索しようとした自分に早くも後悔。笹薮が途切れたところに点在する紅葉がせめてもの救い。



踏み跡に入り始めてから約7分で、木々の向こうの前方に、白い湯気が朦々と立ち上っている光景が目に入ってきました(画像の赤丸内)。「新草の湯」かどうかは別として、この先に地熱活動が盛んな場所があることは間違いありません。


 
道に迷ったかなと不安を覚える頃に、タイミング良く現れてくれるピンクのリボン(画像の赤丸内)で、自分の勘が正しいことを確認します。正式の登山道ではないため、ルートを示してくれるリボンはかなり少なめでした。


 
倒木が行く手を阻んだり、笹薮が踏み跡を隠したりと、結構歩きにくい。途中で急な斜面を横切る箇所があるのですが、足元は笹薮で見えにくく、しかも滑りやすい。もし滑落したら谷底へ落っこちちゃいそう。心細くて、オイラ泣いちゃいそうだよ…。


 
先ほど木々の向こうに見えた白い湯気が、間近に迫ってきました。谷底へ向かって急斜面を一気に下ります。



踏み跡へ入ってからちょうど15分で、薄暗い樹林の中を流れる沢に突き当たりました。直進してこの沢を対岸へ渡ると、目的地である「新草の湯」にすぐたどり着けるのですが、ここでちょっと寄り道し、先程の白い湯気の正体を自分の目で確かめてみることに。


 
沢を数十メートル下ってゆくと…


 
私が下って来た小さな沢と、それよりはるかに水量の多い智恵の沢という2つの沢が合流する箇所に行き当たります。この合流箇所の右岸には高低差100メートルほど、地面むき出しの荒々しい斜面が広がっており、斜面全体から朦々と白い湯気が上がっていました。沢や斜面のあちこちで太い樹木が倒れていましたから、この斜面は土砂崩れが発生した跡なのでしょう。そして、地面がむき出しになったことにより、これまで地表近くまで上がっていた地熱が、すっかり露出する形になったものと想像されます。
4~5年以上前にアップされたネット上の「新草の湯」訪問記には、この印象的な斜面や朦々と上がる湯気に関する言及が無いのですが、2011年以降の訪問記になると必ず登場していますので、ここ3~4年の間に土砂崩れが発生し、地熱が露出するようになったのかもしれません。熱で地盤がユルユルですから、今後大雨や地震などで更に斜面が崩落しちゃう可能性も考えられます。



見上げると結構な迫力です。この崖にちょっと登ってみたのですが、たちまち熱い湯気に囲まれそうになり、足元も不安定だったので、身の危険を感じてすぐに撤退しました。こんなところで怪我でもしたら、誰も助けに来てくれませんからね。ちなみに前回記事で紹介しました現在工事中の地熱調査坑とは、直線距離で500~600メートルしか離れていません。この斜面は、一帯が地熱資源に恵まれていることを示す好例と言えるでしょう。
これだけモクモク湯気を上げているのですから、斜面での野湯を期待したくなりますが、傾斜が急でお湯がすぐ流れ落ちてしまうためか、あるいは地熱が熱すぎて蒸気になってしまうからか、残念ながら湯溜まりらしきものは見当たりませんでした。



沢を戻ってお目当ての「新草の湯」へ。湯浴みにお誂え向きな、立派な露天風呂が出来上がっているではありませんか。以前はポリバスがあったそうですが、老朽化により使い物にならなくなり、現在では地面に直接お湯を溜め、その周囲を石で固めています。こんな湯船を作ってくださる方に心から感謝です。



地面から立ち上がったパイプより、ドボドボと辺りに音を響かせながら、お湯が湯船へ落とされています。お湯は灰白色に濁り、辺りには硫化水素臭がプンプン香っていました。湯船には2人までなら入れそう。寝そべれば肩まで浸かれる深さもあります。味覚面では、タマゴ味と苦味がツートップであり、弱い酸味と粉っぽい味(石膏的)がそのバックに控えているような感じを受けました。


 
温度38.5℃、pH=4.5。
前回記事の「草の湯」は32~3℃でしたから、こちらの方がはるかに温かく、しかも体に負担のかからない湯加減ですので、いつまでも湯浴みしていたくなります。まさに微睡みの湯です。しかも時期的に虫もいませんから、至極快適。紅葉に囲まれながらのワイルドな露天風呂は、文句なしに最高です!! 怖い思いをしてまで、ここまで来た甲斐がありました。
(なお帰路は急な登りが続くのですが、クマが怖くて足早になったのか、往路の下りと同じく15分で登山道まで戻ってこれました)


私の好み:★★★
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岩手県八幡平 草の湯 2014年10月

2014年12月27日 | 岩手県
※今回の記事は画像がちょっと多めです。読み込みに時間がかかるかもしれません。ゴメンナサイ。

2014年ラストの温泉レポートでは、2回にわたって、岩手県の八幡平北麓に湧き続ける2つの野湯を取り上げます。

 
先日、拙ブログでは秋田焼山の野湯「湯の沢(硫黄取りの湯)」を取り上げましたが、その達成感に気を良くした私は、翌日県境を超えて岩手県側に入り、安比高原の道を西へと走って「草の湯」へ向かうことにしました。道中ではキツネが車の前を横切りながらこちらを一瞥しています。



安比高原スキー場から約8キロで視界が開け、兄川牧場の中を気持ち良く通り抜けます。でも牧場なのに、家畜の姿は1頭も見られない…。どこへ行っちゃったの?


 
牧場を通り抜けて再び山林へ戻ろうとする辺りで、左へ林道が分岐しています。この丁字路角には「八幡平登山道草の湯コース入口」と記された杭が立っていますから、これを確かめつつ、林道へ入ります。


 
林道は未舗装で、部分的にデコボコがきついものの、要所要所を気をつけて運転すれば、乗用車でも走れる程度には整備されていました。後述するように、この先では工事が行われており、重機も入っていますので、それなりにメンテナンスされているのでしょう。


 
でも沢に直接突っ込んでゆく洗い越しの箇所もありましたから、雪解け時には水嵩が増して、通りにくくなるかもしれません。
砂利道でひたすら山を登ってゆきます。


 
何度か赤いゲートを通過。
見通しの悪いS字カーブにはミラーが設けられており、それぞれには番号が付されていました。


 
林道入口から20分ほど車を走らせると、私の車のカーナビに「草の湯」が表示されました。画面の縮尺200mですから、ナビの表示が正しければ、車の位置から現地まであと2キロ弱といったところでしょうか。ナビに載っているからといって、車では到達することができるわけじゃなく、ここから先は登山道をトレッキングします。
ちょうどこのポイントでは大きなクレーンが聳えており、その下で地熱調査の工事が行われていました。そこで、工事現場の方に駐車許可をいただいてから、敷地内に車を止めました。

この場所には元々、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が当地の地熱資源量を調べるために掘った調査坑があったそうですが、電力自由化によってコストが重要視されるようになると、地熱発電はコスト面の課題を技術面でカバーすることが難しいため(技術的に限界があるため)、NEDOは地熱事業から手を引いてしまいます。しかし東日本大震災を機に地熱発電が再注目されるようになると、経産省が旗振り役となり、大手非鉄金属企業Mがその坑を活用して、改めて地熱発電事業化の可能性を探ってみようじゃないかという話になったようです。
参考:「地熱発電拡大へ調査本腰 経産省、八幡平市2カ所も」(『岩手日報』2011年11月6日)

私が入手できた経産省の資料によりますと、ザックリ言えば、安比には発電に十分な地熱があるのですが、期待通りに発電できたとしても、東北電力の送電網のキャパの問題で、系統連系ができません。つまり、作った電気を送れません。そのあたりを発電事業者が自前でクリアしようとすると、送電線の整備に莫大な費用を要し、とてもじゃないがソロバンが合わなくなっちゃうんだとか。たしかに東北電力の連系制約マッピングを確認しますと、安比を含む岩手県内陸北部の送電網は、地図で赤く示されている通り、悉く連系制約を受けていることがわかります。安比に関する試算を弾き出したのはNEDOですから、採算合わない場所をこれ以上ほじくっても仕方ないじゃん、ということで撤退したのでしょう。地熱に限らず太陽光や風力等でも、電気を生み出すには十分なエネルギーがあるのに、肝心の送電網が脆弱なため、連系制約を受けて発電が事業化できないというケースが全国的に見られます。それなら単純に送電線を増強すれば問題は解決するはずですが、既存の電力会社が他の事業者のために、わざわざ多額のコストを払って道を切り開いてあげるようなことをするかどうか…。
一方で、送電網が脆弱なことが明らかでありながら、FIT(固定価格買取制度)で一山当ててやろうと鼻息荒いベンチャー企業なら、勇み足の一つや二つは踏んでもおかしくありませんが、Mのような古参の大手企業が何の手を打たないまま発電事業に唾を付けようとするのはちょっと考えにくい。下衆の勘繰りですが、国から何かしらの担保が提示されているのか、はたまた、表向きは連系のキャパが一杯と言いながら実際には余裕があるのか…。いずれにせよ、岩手県の中央を南北に貫く送電線は、北海道・東北・関東の間で電力を融通させるには必須であり、それゆえ増強が欠かせません。いずれ送電網が補強されたら、晴れてこの地に地熱発電所が誕生するかもしれませんね。この安比の地熱が日の目を見る時は、果たしてやってくるのでしょうか。


 
閑話休題。車で簡単な山支度を整えてから、「草の湯」に向かってトレッキング開始です。この一帯はクマの巣窟ですから、熊除け鈴を忘れずに装着。また「草の湯」までの道のりにはぬかるんでいる箇所もあるそうですから、足元はトレッキングシューズではなく、ゴム長靴に履き替えました。


 
ザクッザクッと音を響かせ、落ち葉の絨毯を踏みしめながら、黄色く染まったブナ林の中を気持ちよくトレッキング。地理院地図で確認すると、現地までは等高線をほぼトラバースするような感じ。むしろ若干下ってゆくような形ですので、息が切れるような坂道はありません。


 
部分的に視界が開け、梢の向こうに八幡平の稜線が広がります。コースの中盤までは比較的道幅が広く、ぬかるみもほとんど無いので、足取りは実に軽快。陽気もまずまずでしたから、思わず口笛吹いちゃいました。


 
以前拙ブログでご近所の野湯「安比温泉」を取り上げた際、現地へ向かう登山道には一定間隔ごとに距離を示すプレートが掲示されていることを紹介しましたが、同じ山域にあるこの道でも同様であり、ルート上には森林管理署による同書式の距離プレートが掲示されていました。慣れない初見の山道は距離感が摑めませんから、こうした設備はありがたいですね。



歩き始めて15分で、小さな沢を渡ります。この前後、特に対岸はかなりぬかるんでおり、沢から上がる箇所では、足首まで潜っちゃうほどのひどい泥濘でした。先ほどまでの快適な道から一転し、この沢から先は、ぬかるみの多い区間になります。でも、ゴム長靴を履いていたので、ズブズブに潜ろうともヘッチャラ。ビバ!ゴム長靴!


 
歩き始めて22分で視界が開け、登山道は小さな湿地を横切ります。小さいといえども水はしっかり溜まっており、部分的には沼のようにグジュグジュです。一応足元には足場代わりに縦向きの丸太が並べられているのですが、その丸太の一部が浮き橋状態になっているため、丸太の上を歩いていると、たまに不安定なところを踏んで、踝までズブリと水に潜ってしまいます。どこが不安定なのか見ただけでは判然としないので、一か八かで進みました。懐かしのテレビ番組「風雲たけし城」の「竜神池」と同じ状態であり、違いは谷隊長の「行けっ!!」という掛け声があるかないか。



湿地を通りすぎてからも、ブナに日差しを遮られて薄暗くドロドロな区間が続きます。私はゴム長靴を履いていたので、スリップさえ気をつければ良かったのですが、もしトレッキングシューズだったら、たとえ防水靴であっても靴下まで湿っていたでしょう。
歩き始めてから28分、2回目の沢渡りです。



沢を渡って2分もしないうちに、辺りにイオウの匂いが漂いはじめ、俄然視界が開けて、下を流れる沢の畔が白く染まっている光景が目に飛び込んできました。歩き始めてちょうど30分で「草の湯」に到着です。



沢の下流側から「草の湯」を捉えてみました。硫黄の白さと周囲の紅葉が、秋ならではのコントラストを生み出しており、美しい光景が広がっています。なかなか良いロケーションじゃないですか。



後述する湯溜まりの脇を流れる沢は、河床こそ白く染まっていますが、沢水を手で触ったところ、完全に水の冷たさでした。上流側でもお湯は湧いているものの、沢水の方が圧倒的に多いのでしょう。


 
入浴できるサイズの湯溜まりは、大小ひとつずつ。お湯はほぼ無色で透明度は高く、湯溜まりの底には湯の華がたくさん沈殿しており、湯の華の影響でお湯は灰白色を呈しているように見えます。湯溜まりのお湯の大部分は、巨大な岩の裏にある源泉から流れてきているのですが、底の至るところからプクプクと気泡が上がっていますので、底からも湧出しているようです。



この日は麗らかな陽気でしたが、さすがに紅葉の季節ですから山の空気は冷え込んでおり、表面積が広い大きな湯だまりは32.3℃とかなりぬるめでした。でもここまで来て入らないのは勿体無い。多少の肌寒さを怺えながら、その場で服を脱いで、いざ入浴。私が足を踏み入れると、沈殿していた湯の華は一気に舞い上がって撹拌され、お湯は急激に灰白色に濁りはじめました。上画像では良い具合に湯浴みしているように見えますが、実際には少々浅く、寝そべらないと肩まで浸かることはできません。全身湯の華にまみれます。




その隣にある小さな湯だまりは、1人しかは入れないミニサイズですが、肩まで浸かれる深さがあり、しかも巨大な岩の裏で湧いたばかりのお湯が直接注がれていて、その小ささと源泉傍というポジションのおかげで、33.5℃と若干温かい湯加減になっていました。わずか1℃の違いですが、こちらの方が断然温かく、深さのおかげでしっかり浸かれましたので、私としては、この小さな湯だまりの方が気に入りました。



湯溜まりに注がれること無く沢へ流れ落ちるだけの源泉もいくつかあり、その中で最も勢い良く噴き上げていた箇所の数値を測ると、34.4℃およびpH4.0という数値が得られました。温度としてはこの源泉のお湯に浸かりたいものですが、そうもいかないのが自然の難しいところ。なおこのお湯をテイスティングしてみますと、マイルドな酸味、石膏的な甘味、そして苦味が感じられました。硫化水素臭はかなり強めです。

紅葉の季節の「草の湯」は、温度としてはかなりぬるめですが、虫に全く襲われることなく、そこそこ快適に湯浴みすることができました。


岩手県八幡平市八幡平山国有林  地図
(地理院地図での表示はこちら

私の好み:★★+0.5
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見立の湯 2014年10月再訪

2014年12月26日 | 岩手県
 
和賀山塊の奥地で密やかにお湯を湛える露天風呂「見立の湯」。拙ブログでは4年前に一度取り上げておりますが(その記事はこちら)、その際にはお湯が完全に抜かれており、せっかく現地まで辿り着いておきながら、入浴を果たせずに悔しい思いをしました。是非今回は4年前の雪辱を果たすべく、満を持しての再訪です。
道程は以前と全く変っていないので、特に地図を確認することなく、記憶のまま車を走らせました。具体的には、錦秋湖畔の集落から伸びる一本道を南下し、途中の分岐を鷲合森方面へそれて、林道夏油湯田線へと入ります。なお林道名に「夏油」とありますが、道は途中の鉱山跡で途切れているため、夏油方面へ抜けることはできません。


 
アスファルト舗装された道を快適に走行してゆくと、やがて舗装が終わる箇所に行き着きます。私の訪問時、この舗装終了地点には工事関係者用のプレハブ小屋が建てられており、バリケードが道路を塞いで、この先は車両通行止となっていました。前回訪問時はこんな小屋はありませんので、最近この先で何らかの工事が始まったのでしょう。なおバリケードの脇には車ですり抜けられそうな余裕がありましたが、念の為に私は道の幅員に余裕がある場所で車を止め、ここからは徒歩で向かうことにしました。


 
国有林の中を貫く砂利の林道は、工事に伴いよく整備されており、FFの乗用車でも楽に走行できそうな感じです。明らかに前回訪問時より路面コンディションは良好です。



前回訪問時には見られなかったもののひとつが、沿道の山林に築かれた蛇籠の排水路です(上画像)。砂利が真新しいので、つい最近設けられたのでしょう。この奥の山間では、三菱の鷲合森鉱山が昭和47年まで操業されており、黄銅鉱などを採掘していたそうです。鉱山というものは閉山後もズリや廃水の処理、掘削後の斜面や地盤対策など、長年にわたって諸々の後処理が必要になりますから、先程の工事小屋はそうした鉱山の対策工事を行っているのでしょう。閉山から40年以上が経っているのに、いまだに後処理をしなくちゃいけないのですから、鉱業って後代に負債を残す面倒くさいお仕事ですね。

この鷲合森だけでなく、現在の西和賀町域にはかつて多くの鉱山が操業されており、地中のグリーンタフに存在する黒鉱(黄銅鉱など)を採掘していたため、鉱山開発に伴ってオマケのような感じで温泉も発見され、現在の温泉郷が形作られていったようです。そういえば、湯田湯川温泉へ向かう手前の斜面には、40年ほど前に閉山した土畑鉱山の跡地が、当時の形のまま廃墟になっていますね。グリーンタフの黒鉱を掘っていたら硫酸塩の温泉も湧き出てきたエリアといえば、秋田県の大館周辺がその典型例であり、この湯田温泉エリアと同じく無色透明の硫酸塩泉であることも共通しています。
東北の温泉と鉱山開発は、切っても切れない関係がありますね。


 
さて歩き始めてからちょうど20分で、「見立の湯」への杣道入口までやってきました。前回訪問時は綺麗な状態だった看板も、4年の間に雪で潰されちゃったのか、一部のシールは剥がれ、上部を中心にしてかなり曲がっています。看板の下には4WDの黒い軽自動車がとまっていますが、もしかしたら「見立の湯」に先客でもいるのかな。


 
踏み跡がはっきり残っている杣道で、沢に沿う形で山の斜面を進んでゆきます。ところどころ滑りやすいところがあったので、慎重に歩みを進めたのですが、この道ってこんなに歩きにくかったっけ?。


 
コンクリ躯体の謎の物体「ニセ見立」を過ぎ、杣道を更に奥へ。


 
杣道に入ってから約6~7分で、お目当ての「見立の湯」が下方に見えてきました。
今回こそはお湯が溜まっていてほしい! そう願いつつ、湯船へと近づいて行きますと…


 
2つある浴槽のうち、一方にお湯が張られていることを確認。「見立の湯」はいつも片方しかお湯が溜められていませんから、これでいつも通りの姿です。
「あぁ、よかった…」
ほっと胸をなでおろします。4年越しで念願が果たせそうです。



川側から見たお風呂の様子。
当地を訪れた他の温泉ブロガーさんが仰られているように、鷲合森鉱山の操業時、ここには鉱山関係者の施設があり、上屋は解体撤去されたのですが、湯船だけが残って現在に至っております。大人数を収容する建物があった場所ですから、今でもこのまわりはちょっとした広場になっているのですが、その一角には火を焚いた跡があり、ゴミも少々散らかっていました。誰かしらがここで野営したのかな。
そういえばこの時は人影を全く見ませんでした。先程入口に止まっていた黒い車の持ち主は、温泉ではなくキノコ狩りでもしているのかな。


 
いきなり裸になって湯船に飛び込んだところで、張られているのがお湯じゃなくて水だったら意味がありません。はやる気持ちを鎮ませながら、トポトポとささやか音を立てている湯口へ、持参した計器類を当ててみますと、温度は41.3℃、pH=6.8と表示されました。なかなか良い湯加減ではありませんか。


 
この湯船は有志の方が定期的にお手入れしてくださっているらしく、山の中に晒しっぱなしにしては、さほど汚れておらず、衛生的に野湯が苦手な方でも入れそうな感じ。
一切の濁りが無い、美しく透き通ったお湯です。湯船では38.6℃でした。


 
温度も問題ないことを確かめて、無事入浴です。クリアに澄んだお湯は、無色透明でほぼ無味無臭ですが、微かに芒硝や石膏らしい感覚を帯びていました。優しくマイルドな肌触りが実に心地よく、とってもエアリーで軽やかです。優しい浴感もさることながら、入浴中の泡付きもなかなか。浴感や泡付き、そして不感温度帯に近い湯加減であることが相乗効果を生み、肩まで浸かると微睡んでしまい、あまりの気持ちよさゆえ、1時間近くも入り続けてしまいました。
このお風呂をお手入れしてくださっている方に感謝を申し上げます。


泉質不明

岩手県和賀郡西和賀町

私の好み:★★★
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