温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

西根温泉 おらほの温泉

2016年07月30日 | 岩手県
 
今回は岩手県八幡平市の旧西根町エリアにある「おらほの温泉」を取り上げます。尖塔のようなトンガリ屋根が目立つこの大きな建物は、かつて「ゲンデルランド」と称する健康ランド兼宿泊施設でしたが、一旦閉鎖された後、現在の名前で日帰り温泉入浴施設として再スタートすることになり、以前の洋風な名前から一変して「おらほ」という東北方言を名乗るようになりました。施設のほとんどは「ゲンデルランド」時代のものをそのまま流用しているらしく、当時のままの無駄に広い駐車場に車をとめて館内へとお邪魔します。


 
券売機で料金を支払い、チケットを受付に提示すると、スタッフの方はチケットにスタンプが捺して私の手元に戻してくれました。旧「ゲンデルランド」の名称から想像できるように、館内はひと昔前のメルヘンチックな造作になっており、なぜかフランス国旗が掲げられていたり、不思議な絵画が飾られている一方で、地場産の農産物が販売されていたり、昭和のグッズを陳列したコーナーがあったりと、田舎臭さを意図的に演出しており、統一性に欠けるプチカオスな館内は、自らすすんでB級感を纏っているようです。


 
リゾートホテルのスパを彷彿とさせる浴室入口の奥には、浴場内にある各浴槽の温度が掲示されていました。温度はこまめにチェックされており、私は入室する際には上画像の温度だったのですが、退出する時には両浴槽とも44℃に貼り替えられていました。


 

脱衣室に足を踏み入れてびっくり。あまりに広くてスペースを持て余しているではありませんか。脱衣室というより会議室のようでもあり、奥の余剰空間には卓球台やバランスボールなどスポーツグッズや各種健康器具が置かれていましたが、この部分って以前は何か別の用途に使われていたのでしょうか。とはいえ、室内が綺麗に保たれていたり、洗面台付近に飲用水が用意されていたりと、入浴施設としてのサービスにぬかりありません。


 
浴場内も大変広々しており、大きな窓のおかげもあって開放的ですらあります。以前の「ゲンデルランド」時代の湯使いは存じ上げませんが、「おらほの温泉」として再起するに当たっては源泉掛け流しを目指したため、以前の浴場をそのまま流用しつつも、一部の浴槽は使用せず空っぽのままになっていました(右or下画像)。全部の浴槽にお湯を張ろうとすると、限られた源泉のお湯を循環させたり加水したりしなくてはいけないのでしょうね。


 
窓の外には岩手山が聳えていました。何度見てもこの山は壮観ですね。一方、窓とは逆方向の壁を見ますと、そこに取り付けられている照明には某キャラクターのネットが被せられており、旧施設時代のメルヘンチックな感じが中途半端に残っていました。


 
窓外に聳える岩手山を少しでも間近に屋外で眺めたいものですが、以前は露天風呂があったスペースも現在は閉鎖されており、空っぽの岩風呂の残骸が残っているばかりで屋外に出ることはできません。でも、後述するように、使用する浴槽を2つに絞った英断が湯使いの良さを実現させているので、お湯の質を重視する温泉ファンの御仁にとって、この露天風呂の閉鎖はむしろ歓迎すべきことなのかもしれません。


 
 
主浴槽「大沼の湯」には柱に括り付けられた投入口からお湯がドバドバと落とされており、専用の排水口(目皿)や隣接する空っぽの未使用浴槽へお湯が排出されていました。浴槽内で循環されているような様子は見られなかったので、純然たる掛け流しの湯使いで間違いないものと思われます。また、浴槽のサイズは失念しましたが、かなり大きく、20人近くは余裕で同時入浴できるかと推測されます。浴槽の容量が大きいにもかかわらず、お湯の投入量が多いためか、投入されたお湯は冷めにくい状態が維持され、源泉54℃の対して湯船の温度は44℃とちょっと熱い湯加減となっていました。
なおこの「大沼の湯」の隣(窓に向かって左側)には打たせ湯が3本あるのですが、こちらも現在は使用停止です。


 
檜風呂「吉乃の湯」は八角形の浴槽。濾材が巻かれた湯口から「大沼の湯」と同じ源泉が注がれているのですが、こちらは投入量がやや少ないためか、大きな浴槽よりも若干入りやすい温度に落ち着いていました。

さてこちらで用いられているお湯に関してですが、見た目は無色透明で、ゆで卵の卵黄のような匂いと味がはっきりと感じられ、薄い塩味や弱い芒硝感も伴っています。食塩・重曹・炭酸イオンという諸要素の影響なのか、ツルツルスベスベの滑らかな浴感がとても気持ちよく、この3要素が浴感の主役として表に現れてるのですが、その裏では硫酸塩も存在感を主張しており、じっくり湯浴みしていると肌に少々の引っ掛かりも得られました。一浴するだけでいろんな泉質の特徴を味わえる面白いお湯です。また、とてもよく温まるお湯でもあり、湯上がりには汗が引かず、いつまでもホコホコし続けました。

現在の「おらほの温泉」として再出発するに際し、露天風呂を含む旧施設時代のお風呂の半分以上を使用停止にして、男女両浴室とも使用浴槽を内湯の大小1つずつに絞ったわけですが、温泉というものは湧出する量が限られているのですから、お湯のクオリティを重視しようとすれば、このような措置は致し方ないことであり、むしろ温泉を大切にする施設側の英断ではないかと思われます。


 
再出発後の「おらほの温泉」では宿泊営業を取りやめ、日帰り入浴をメインに営業していますが、同時に食堂やパークゴルフ場なども運営しており、パークゴルフ場では岩手山を望みながらのプレーができます。私は湯上がりにスタッフの方へ声をかけて、ゴルフ場内を軽く散策させていただきました。


 
敷地内には「ゲンデルランド」時代の建物がまだ残っており、その側面に掲示されている錆びた看板は、かつてここでみちのくプロレスの興行が開催されていたことを物語っていました。この廃墟のような建物の前には人の気配が全くないバス停があり、その中に並ぶ2番乗り場には東京行の文字が記されていたのですが、てっきりこのバス停も廃墟で使われていないものと思いきや、スマホで調べてみたら、今でも東京〜久慈間の高速バスが停車するバス停として現役なんだそうです。
旧「ゲンデルランド」は、当時の親会社である岩手県北バスが西根営業所内で温泉を掘り当てたことによって開業した温泉レジャー施設であり、ドイツかオランダあたりの言葉を連想させる「ゲンデル」という名前も、実は「元気が出る温泉」という日本語を縮めて命名したんだとか。ネーミングセンスのダサさには戦慄を覚えますが、しかし岩手県北バスが会社更生法を申請したことに伴って「ゲンデルランド」は閉鎖に追い込まれ、その数年後に従業員だった方々によって、現在の形で再出発したんだそうです。つまり、この施設の前に立派なバス停が残っているのは、かつての資本関係の名残と言えそうです。

期待ハズレを予感させる外観やB級感の強い館内とは裏腹に、浴場の温泉はいろんな泉質の特徴を一度に味わえ、しかもその温泉が掛け流されているのですから、良質で実力派の温泉施設と言えるでしょう。正直なところ、あまり期待しないで訪れたのですが、良い意味で想像を裏切られ、わざわざ訪れて良かったと満足しました。


宝の湯
含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩温泉 54.2℃ pH8.4 溶存物質1.566g/kg 成分総計1.566g/kg
Na+:489.4mg(93.58mval%),
Cl-:384.3mg(48.46mval%), Br-:1.0mg, I-:0.9mg, HS-:3.9mg, S2O3--:8.4mg, SO4--:253.0mg(23.56mval%), HCO3-:303.3mg(22.22mval%), CO3--:24.3mg,
H2SiO3:36.8mg, HBO2:22.2mg, H2S:0.2mg,
(平成22年10月12日)
加水加温循環消毒なし

盛岡駅より岩手県北バスの大更・八幡平温泉郷・松川温泉方面行で「おらほの温泉」下車すぐ
岩手県八幡平市大更18-88-208  地図
0195-75-1515
ホームページ

10:00〜22:00(入場21:00まで)
500円
ロッカー・シャンプー類・ドライヤーあり

私の好み:★★★


コメント (3)
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台温泉 中嶋旅館

2016年07月29日 | 岩手県
 
前回記事に引き続き台温泉を巡ります。今度は「中嶋旅館」を訪ねて日帰り入浴してまいりました。
木造4階建は大正期に宮大工によって建てられたんだとか。趣ある姿はとってもフォトジェニック。つい足を止めて軒を見上げたくなリます。


 
外観のみならず、上品で落ち着いた館内も伝統的な風格たっぷりです。
玄関で声をかけて日帰り入浴をお願いしますと、快く受け入れてくださいました。


 
館内には男女別の内湯と宿泊者専用の貸切風呂があり、日帰り入浴では前者の内湯を利用することになります。内湯には岩盤を手掘りしたお宿名物の「瑞岩の湯」と、湯船を大理石でつくった大理石風呂があるのですが、私が訪問した時、お宿自慢の「瑞岩の湯」には男湯の暖簾がかかっていました。


 
棚とカゴしかない質素な脱衣室を抜けて浴場へ出ると、そこにはまるで洞窟のホールを思わせる不思議な空間が広がっていました。和の趣きと現代的な設備をうまくマッチさせており、高い天井をコンクリの太い柱が支えているのですが、その無機質な構造を少しでも打ち消すべく、随所に飾りの岩や竹があしらわられています。また、天井に近い位置に明かり採りの窓が設けられていて、この窓側に洗い場が2段に分かれて配置されていました(シャワー付きカランが3基設けられています)。


 
洞窟ホールの中央部で湯を湛えている湯船は、岩盤を手で丸く穿ったもので、深いところは90cmほどあり、6人ほど入れそうな容量があります。その一方で浅い部分もあって、そこに腰掛けるとちょうど肩まで浸かってよい塩梅で湯浴みすることができ、浅い部分も含めれば10人は同時に入れそうなキャパがあるかと思われます。


 
浴場の最も奥には古そうな石灯籠が置かれ、上からライトが照らされていました。
館内表示によれば湯船のお湯は循環されているそうですが、溢れ出しも見られましたので、循環と放流式を併用しているものと思われます。
なお、もう一つの内湯である「大理石風呂」には循環されている旨の記載がありませんでした。名物のお風呂じゃない代わりに良い状態のお湯を提供するよ、というバーター取引のような配慮がなされているのかもしれませんね。


 
石積みの湯口から注がれるお湯は激熱。あまりに熱いので直に触れると火傷するかもしれません。この湯口は白木の庇や笹で装飾されており、まるで神様が宿っているかのようです。この神々しい激熱湯は循環湯ではなく源泉から引いているお湯なのでしょう。こちらで引いている源泉は2号泉。湯船のお湯は適温であるものの、あまり個性が感じられません。一方、湯口から出てくる熱い2号泉は弱い軟式テニスボールのようなイオウ感を有し、石膏感も少々含まれていました。薄暗かったので、湯の花の存在は視認できなかったのですが、シットリとしたフィーリングとツルスベの浴感は全身に伝わり、ちょうど良い塩梅に調整されていた湯加減や洞窟に抱かれたような雰囲気も相俟って、気持ち良く湯浴みすることができました。


2号泉
単純硫黄泉 93.5℃ pH8.3 溶存物質0.8538g/kg 成分総計0.8546g/kg
Na+:225.3mg(85.66mval%), Ca++:30.5mg(13.29mval%),
Cl-:98.1mg(25.04mval%), HS-:2.0mg, SO4--:316.1mg(59.49mval%), HCO3-:70.0mg(10.40mval%),
H2SiO3:86.5mg, H2S:0.1mg,
(平成14年11月28日)
加水あり(源泉温度が高いため)
循環ろ過あり(温泉資源の保護と衛生管理のため。この表記は「瑞岩の湯」のみ。大理石風呂には循環の表記なし)
消毒処理あり(県公衆浴場条例の基準を満たすため)

JR東北本線・花巻駅(4番のりば)より岩手県交通バス・台温泉行で終点下車(所要25分)、徒歩7分(500m)
岩手県花巻市台1-190  地図
0198-27-2021
ホームページ

日帰り入浴時間は要問い合わせ
500円
シャンプー類・ドライヤーあり

私の好み:★★
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台温泉 そめや旅館

2016年07月27日 | 岩手県
今回記事から国内の温泉ネタに戻ります。まずは岩手県花巻市の台温泉から。
昨年11月に訪問した際のちょっと古い記録ですが、何卒ご容赦のほどを。いつも即時性の無い記事ばかりで申し訳ございません。


 
ループ状の道路に沿って温泉旅館が軒を連ねる台温泉。その中でも温泉街の入口付近にある「そめや旅館」で日帰り入浴してまいりました。玄関の札には「自炊」と記されており、渋くて慎ましい外観は自炊の湯治宿そのものですが、一般的な旅館同様に食事付きの宿泊も可能であり、公式サイトの宿泊プランを拝見しますと、2食付きでもかなりリーズナブルに利用できるようです。


●男女別内湯
 
館内には男女別内湯と貸切風呂という2種類のお風呂があるのですが、まずは男女別内湯から利用させていただくことにしました。玄関から右へ折れて廊下をどんどん進んだ突き当たりにあり、「精華の湯」へ上がる温泉街の坂を歩いていても、浴場部分は明らかにそれとわかる外観をしています。


 
浴室はまるで共同浴場のように質素でシンプルな造りです。私が入室すると、湯気と一緒に漂う芒硝臭がほんのりと香ってきました。室内の右側に洗い場が配置されており、シャワー1基、そして水&湯のカランペアが3組並んでいます。


 
浴槽は1.5m×3mでおおよそ5〜6人サイズ。全面タイルですが縁には黒御影石が用いられています。湯船には無色透明のお湯が張られ、底面まで達した外光によってタイルがキラキラと輝いていました。


 
浴槽には専用の水栓が3つ並んでいたのですが、コックを開けて出たのは水だけで、なぜかお湯は出て来ず、その代わり、水栓直下の浴槽底面付近にある目皿から熱いお湯が投入されていました。その目皿から吐出されたばかりのお湯は熱いのですが、投入量の調整により湯船は適温がキープされています。このお風呂では滝の湯源泉を引いており、石膏の味と匂いがふんわりと感じられる他は目立った知覚的特徴が無く、湯中では柔らかくて弱いツルスベを有する浴感が得られました。イオウ感が前面に出てくる台温泉の源泉の中では、比較的おとなしくてマイルドなフィーリングではないでしょうか。この滝の湯源泉の分析書によれば、溶存物質1.003g/kgとギリギリのところでナトリウム-塩化物・硫酸塩泉を名乗れているのですが(1gを下回ると単純泉になります)、総硫黄に関しては1.9mg(硫化水素イオン1.7mg+遊離硫化水素0.2mg)であり、温泉法の規定である2.0mgにあと0.1mg足りないため、硫黄泉を名乗れない惜しい状態です。尤も、日によってお湯のコンディションは異なりますから、時には硫黄泉の規定をクリアする場合があるのかもしれません。


●貸切風呂

つづいてもう一つのお風呂である貸切風呂にも入らせていただきました。


 
細長い脱衣室には棚と腰掛けが用意されているばかりで、余計な飾りなどはありません。この脱衣室内に設けられた3段のステップを下って浴室へと向かいます。あくまで私個人の経験に基づく判断ですが、アプローチを下って行く温泉には良泉が多い傾向にありますので、このステップを目にした時には条件反射のように期待に胸が膨らみました。そして・・・


 
その先には私が期待した通りの展開が待っていました。浴室のドアを開けた瞬間、はっきりとしたタマゴ臭がプンと香ってきたのです。芳醇かつ濃厚な香りに私は思わず興奮し、鼻を鳴らしてクンクンと嗅ぎつづけてしまいました。浴室自体は男女別内湯同様にタイルを多用した実用本位のシンプルな造りであり、やや狭くて窓も小さいため、より一層渋さを増しているのですが、室内に充満する香りは私の脳裏に強烈な印象を残しており、硫黄系のお湯が好きな温泉ファンなら誰しもがその香りに恍惚とすることでしょう。
なお室内の洗い場にはシャワー1基と水&湯のカランペアが2組並んでいました。


 
 
硫化して青黒く変色した水栓よりお湯がチョロチョロと注がれています。加水をせず湯量調整だけで湯加減をコントロールしているのですが、それでも日によって源泉温度が上下するらしく、ネット上の情報によれば「熱くて入れなかった」という声も散見されます。実際に私が訪れた時もかなり熱かったのですが、しっかり湯もみをすることによって数分は浸かっていられるほどの温度まで落ち着いてくれました。
このお湯は独自源泉の松の湯。見た目は無色透明ですが、湯中では薄い褐色を帯びた湯の花がチラホラと舞っており、結構大きいので上画像のように洗面器で掬うこともできました。湯使いは完全掛け流しで、浴槽縁の切り欠けよりお湯が絶えずオーバーフローしており、私が湯船に入るとザバーッと音を轟かせながら勢いよく溢れ出ていきました。室内に濃く満ちるほど強いタマゴ臭を放つお湯を口に含むと、明瞭なタマゴ味のほか、ほんのりとした芒硝感や石膏感も得られ、お湯の個性がはっきりと伝わってきます。味や匂いのみならず、ツルスベの浴感も良好。上述のように熱いためピリッと刺激が走るのですが、その熱さに心身をシャキッとさせてくれる気持ち良さがあるため、ツルスベと熱さという二つの感覚、そして芳醇なタマゴ感によって、私はこのお湯の虜になってしまいました。
ちなみにこの松の湯源泉の分析書によれば、泉質名は含硫黄-ナトリウム-硫酸塩温泉なのですが、総硫黄は1.2mgであるため(硫化水素イオン1.0mg+遊離硫化水素0.2mg)、硫黄泉を名乗れる数値に達していません。しかしながら上述したように芳醇なタマゴ感を有しており、体感的には硫黄泉を名乗っても不思議ではない濃さがありました。ということは、表に誤記や記入漏れがあるのか、日によって総硫黄量の上下幅が大きいのか、あるいは掲示されている分析書に切り貼りしたような形跡があるので別にデータがあるのか・・・。
ま、そんな細かな屁理屈はどうでも良いのですが、とにかくこの貸切風呂の松の湯源泉は、お世辞抜きで素晴らしいお湯。東北を主戦場にしている温泉ファンの皆さんが挙ってこのお湯を賞賛なさっているのも十分頷けます。本当に感激しちゃいました。


滝の湯
ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉 76.0℃ pH8.0 溶存物質1.003g/kg 成分総計1.004g/kg
Na+:280.0mg(90.22mval%), Ca++:23.6mg(8.74mval%),
Cl-:143.1mg(29.66mval%), HS-:1.7mg, SO4--:390.7mg(59.69mval%), HCO3-:59.4mg(7.12mval%), CO3--:10.5mg,
H2SiO3:89.9mg, H2S:0.2mg,
(平成4年9月22日)
加水加温循環消毒なし

松の湯
含硫黄-ナトリウム-硫酸塩温泉 73℃ pH7.9 成分総計1.020g/kg
Na+:280.0mg(89.30mval%), Ca++:26.0mg(9.53mval%),
Cl-:147.6mg(30.77mval%), HS-:1.0mg, SO4--:360.0mg(55.40mval%), HCO3-:91.8mg(11.09mval%),
H2SiO3:89.7mg, H2S:0.2mg,
(昭和54年12月13日)
加温加水循環消毒なし

JR東北本線・花巻駅より岩手県交通バスの台温泉行で終点下車、徒歩1分
岩手県花巻市台2-62  地図
0198-27-2809
ホームページ

日帰り入浴時間不明
400円
シャンプー類・ドライヤーあり(男女別内湯)

私の好み:★★★
コメント (2)
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台鉄・旧山線の遺構を巡る その2 勝興駅跡

2016年07月25日 | 台湾
今回も温泉とは無関係です。次回記事で温泉ネタに戻ります。
前回記事の続編です。

 
前回記事で取り上げた「龍騰断橋」から線路に沿って北上すると、旧山線屈指の観光名所である勝興駅跡にたどり着きました。ここは1998年に廃止された旧山線の駅のひとつであり、台鉄で最も標高が高い駅だったそうですが、現在では山間に取り残された古い木造駅舎と秘境のような雰囲気が人気を呼び、定期列車が走らなくなった今でも、週末になれば多くの観光客で賑わう苗栗県屈指の観光地として名を馳せています。



 
人気観光地とはいえ駅前の通りは1.5車線、狭いところでは車1台しか通れないほど狭く、にもかかわらず公共交通機関のアクセスが不便であるため、週末には山奥とは思えないほどマイカーの大渋滞が発生するんだとか。細い通りなのに沿道にはお土産店や飲食店が櫛比しており、訪問客や店舗の数に対して駐車場が圧倒的に足らず、他に逃げる道も無いため、これらの要因が渋滞に拍車をかけているようです。幸か不幸か、私が訪れた日は南国台湾にしては珍しく10℃近くまで冷え込んだ雨の日だったため、人気観光地なのにひと気が少なく、渋滞にはまることもなくスムーズに行動でき、駅から近い場所で駐車することもできたのですが、そんな悪天候にもかかわらず駐車場の切符捥ぎのおじさんは、我慢強く雨合羽を着て外で立っており、たまにしか来ない客から律儀に集金していました。



後述する駅舎の向かいに古い木造建築を発見。どうやら駅長宿舎だった建物のようです。


 
駅舎の右隣には観光案内所が設けられ・・・


 
硬券を模した記念グッズが販売されていました。往時の券を再現したものではなく、縁起が良い語句や駅名を並べて切符のようにしたものばかり。
鉄道の切符を集めるのも私の趣味のひとつですが、本物しか興味がないので、こうした観光客向けのイミテーションは購入しませんでした。


 
現役時代の面影を残す駅舎内部に入ってみましょう。1912年(明治45年)に建造された木造駅舎は苗栗県の史跡に指定されています。窓口の上には時刻表が掲示されていました。


 
駅舎を抜けて線路やホームが残る構内跡へ。繰り返しますが旧山線は既に廃止されており、もう列車は運転されていないため、構内へ自由に立ち入ることができます。この区間は廃止されるまで電化されていたため、架線こそ撤去されていますが、架線柱などはそのまま残されており、線路の真ん中に立つと、いまにも電車が走ってきそうな雰囲気です。駅舎前には「台湾鉄路最高点 海抜402.326m」の記念碑が建てられており、傘をさしながら記念写真を撮る人の姿も見られました。



ここは元々「十六份信號場」という信号所として開設され、その後に駅として昇格したのですが、当時は十六份信號場、もしくは十六份駅と呼ばれており、
現在の勝興という名前に改称されたのは1958年なんだとか。線路の脇には旧称が大きく表示されていました。


 
勝興駅を含む旧山線は単線区間だったので、線路は駅から離れるとすぐに1本へ収斂します。
台中側はすぐトンネルになっており、このトンネルをくぐった向こう側に「龍騰断橋」が続いているのですが、ここでトンネルのポータル上部に注目。



トンネルのポータルに彫られた「開天」の文字は、このトンネルが開鑿された1904年(明治37年)に台湾総督府の総務長官だった後藤新平が揮毫したものです。よく見ると「開天」の文字の右側に「明治三十七年九月」、左側に「後藤新平書」と彫られていますね。後藤新平は台湾統治や関東大震災後の東京復興で辣腕をふるった英傑ですが、その一方で金権政治の典型例としても知られており、毀誉褒貶が非常に激しい人物でもあります。後藤新平が進めた事業は結果的に後世で大いに役立っているわけですが、氏の業績はトドのつまり、政治や行政は綺麗ごとじゃ進まないってことを示しているのかもしれませんね。


 
2面3線のホームには現役時代の駅名標も残されており、架線柱にはステンシルの駅名標も括り付けられていました。あくまで個人的な見解ですが、台湾は世界で最もステンシルを多用する地域ではないかと思います。


 
駅構内に隣接して水辺の公園も整備されており、駅をちょっと離れた場所から眺めることもできます。晴れていれば長閑な風景を楽しめたのでしょうけど、天気ばかりは致し方ありません。


 
北へ伸びる線路は下り勾配で次の駅である三義、そして新竹・台北方向へと続いています。この旧山線は1998年に廃止されたものの、観光資源としての価値が見直されて2010年に観光鉄道として復活を遂げ、期間限定ですが、蒸気機関車牽引の客車列車が三義〜勝興〜龍騰〜泰安を走行したんだそうです。廃線跡とはいえ、妙に線路がしっかりとしていたのですが、それもそのはず、つい数年前まで人間を乗せた列車が走っていたのですから当然ですね。この観光列車は翌年の2011年にも運転されたそうですが、その後の運転状況については情報が得られず、どうやら最近は運転されていない模様です。でも、苗栗県では再度の運転復活を検討しており、2018年を目処に、2010年の復活期間である三義〜泰安間に加えて泰安〜后里間を延長させたいんだとか。この延長が実現すれば起点と終点が現行の山線に接続されますので、観光鉄道の利用客にとっては(特に台中方面からの)利便性が格段に向上します。延長を伴う復活の可能性はどの程度なのかわかりませんが、是非復活運転を実現させていただきたいものです。
(出典:フォーカス台湾 2015年8月7日 「日本時代開通の台湾鉄道・旧山線、観光列車の運行区間拡大へ」


 

さて、駅をひと通り見学し終えた私は、レンタカーに戻って三義の街へ向かい、市街地からちょっと離れた幹線道路沿いに位置する小洒落た客家料理屋さんへ立ち寄って、ランチセットをいただきました。塩気が強めで味も濃い客家料理は、日本人、特に関東以北の人間にとっては食べやすい味付けであり、私が好きな料理のひとつです。この界隈は客家の方々が多く住んでいる地域であるため、あちこちにこうした客家料理店があり、私が訪れた店のみならず、勝興駅前にも観光客向けの客家料理店が並んでいました。

余談ですが、この客家料理屋から西へ入った山中では、1981年に遠東航空103便の飛行機が墜落し、乗員乗客110名全員が死亡する大惨事が発生しました。私の尊崇する作家向田邦子もその犠牲者の一人。当時は道が整備されていなかったため、山から集められた遺体は一旦勝興駅まで運び、そこから列車で搬送したんだそうです。勝興駅は単に長い歴史を歩んできたのみならず、台湾史に残る惨劇にも関係していたのでした。


苗栗県三義郷勝興村勝興89号


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台鉄・旧山線の遺構を巡る その1 龍騰断橋

2016年07月24日 | 台湾
※今回の記事にも温泉は登場しません。あしからず。次々回で国内の温泉ネタに戻る予定です。

前回記事までは、台湾を南北に貫く鉄道の西部幹線でも、竹南から彰化の間を台湾海峡に沿って走る海線を取り上げましたが、今回記事からは同区間を山間部に入って走る山線、しかも既に廃止されて列車が走ることのない旧山線を取り上げます。既にネットはもちろん観光ガイドの書籍などでも紹介されているのですが、旧山線はレトロな景色を楽しめる観光地として注目されており、週末になれば多くの観光客で賑わうんだとか。そのわりには公共交通機関でのアクセスがあまり良くないので、私はレンタカーで現地へ向かうことにしました。
まずは歴史ある煉瓦積みアーチ橋の跡が芸術的な美観を生み出している「龍騰断橋」から。



いつも起承転結の順で画像や文章を組み立てている拙ブログにしては珍しく、今回はいきなり結論から紹介しましょう。 
これが龍騰断橋の全容です。龍騰だなんて、とても縁起の良さそうな地名ですが、元々は魚藤坪断橋という田舎っぽい名称で呼ばれていたんだとか。ご覧のように煉瓦を積んで造られた連続アーチ橋ですが、いまは橋脚部分が残っているばかりで、橋としては全く機能していません。断橋という名の通り、崩れ落ちて寸断されてしまった橋なのですが、なぜ崩れ落ちたのかといえば、大きな地震に遭ったからです。

この橋は台湾総督府の手によって1905年(明治38年)に着工され、翌1906年に竣工しました。全長200mで、川から50mの高さがあり、橋の両端は煉瓦積みのアーチ橋ですが、谷を跨ぐ中央部はデッキトラス鉄橋が架けられていたんだそうです。建設された時期は、日本史的にはちょうど日露戦争の時期に当たりますが、本国では戦費調達に窮して巨額の国債を発行し、戦争に勝っても賠償を受け取れなかったというお寒い台所事情だったにもかかわらず、たった1年という短期間でこの煉瓦橋を竣工させたのですから、当時の台湾にとってこの架橋は非常に重要な事業だったことが窺えます。竣工の2年後にあたる1908年にこの橋梁区間を含めた三義〜豊原間の鉄道が開通し、これによって台湾を南北に縦貫する鉄道が完成したわけですが、1935年(昭和10年)に発生した新竹台中地震により、この橋は無残にも崩壊しちゃいます。当時の台湾物流の大動脈ですから早急な復旧が求められたのですが、被害が甚大であるため同じ橋での復旧は難しいと判断され、この橋は崩れ落ちたまま放置され、西側60mに新たな鉄橋が架けられました。
険しい地形を走るこの区間は開通から長年にわたって単線でしたが、それで輸送量が全然足らないために、まず1922年に竹南〜彰化間を海岸に沿ってバイパスする海線が開通します。そして1998年にはこの区間をトンネルでクリアする新しい山線が建設され、これによって縦貫線が完全複線化されて、用済みになった旧山線は廃止されることになりました。



 
断橋をいろんな角度から見上げてみました。傍に立っている案内板によればこの橋は「荷蘭式」つまりオランダ式という工法が採用されたんだとか。雨に濡れて黒ずんだ煉瓦は、橋が経てきた100年以上の歴史を物語っているようです。地面から拳を突き上げているような姿は、台湾北海岸の野柳(女王頭)を連想させます。橋がまだ崩れる前は、さぞ美しいアーチを描いていたのでしょうね。



煉瓦積みの鉄道用連続アーチ橋といえば、日本の群馬県にある旧信越本線の碓氷第三橋梁(↑画像)を思い浮かべる方も多いでしょうけど、たしかにこの龍騰断橋と碓氷第三橋梁はなんとなく似ているような気がします。



台北側の橋詰に登ることができます。実際に断橋の端に立って、かつて架橋されていた谷(台中方向)を展望した景色が上の画像です。
この日はあいにくの天気でしたが、左右の煉瓦塀を辿って谷の上空に線を描けば、かつての線路が景色の中で浮かび上がってくるようでした。


 
橋詰の展望台から視線を右(西)の方へ移すと、谷の上に一本の鉄橋が架かっていますが、これは1998年に廃止された単線時代の山線の線路です。
鉄橋の下には駐車場が用意されており、一帯は公園として整備されています。台湾としてはこの龍騰断橋を世界遺産に登録しようと目指しているんだそうですが、皆様ご存知のように台湾はユネスコに加盟できていませんから、その目標達成にはまだ相当の年月を要しそうです。でもユネスコなんかに認められなくても、橋の美しさは台湾中の人を惹きつけ、週末などには屋台のような店舗も出るほど賑わうようです。尤も、冷たい雨が降っていた平日のこの日は、どの店も完全閉店状態で、観光客の姿も見当たりませんでした。
そういえば旧信越本線の「碓氷第三橋梁」も世界遺産登録を目指しているんでしたっけ。それならば姉妹提携でもしたら良いのになぁ。


 
川を渡って反対側にも行ってみることにしました。1998年まで列車が走っていたガーダー橋が頭上高く谷を跨いでいます。橋脚のスタイルといい、ガーダーの形状といい、日本の国鉄路線そっくりですね。


 
対岸にも煉瓦積みの橋脚跡が残っているのですが、美しい姿を保っている台北側と違ってこちら側は山の緑に覆われつつあり、まるでタイのアユタヤ遺跡群にある木に呑み込まれた仏像のような状態になっていました。この橋跡の上にも登ってみたのですが、南方(台中側)の線路敷はなんとなく築堤だとわかるものの、かつてここに列車が走っていたとは思えないほど深い藪と化していました。


 
今度は1998年に廃止された鉄橋の上へ登ってみます。さすがに鉄橋の真上は立入禁止ですが、その手前までなら入ることができます。ゲートの近くには「魚藤坪」と書かれた小さなプレートが建植されていました。



ゲートの隙間にカメラを突っ込んで、鉄橋上の線路を撮ってみました。とても廃線とは思えないほど線路が立派なまま保たれており、いまにも列車が走ってきそうです。実際に廃止された後の2010年には観光鉄道として一時的に復活しており、この線路をSL牽引の客車列車が走行したんだそうです。上述した「魚藤坪」には、観光鉄道として復活したときに仮設の駅(ホーム)が設けられたんだそうです。


 
鉄橋から映画「スタンド・バイ・ミー」の少年になった気分で、北のほうへ向かって線路を歩きました。途中で左から行き止まりの側線が合流してくるのですが、ここは「167キロ信号所」(167公里號誌站)。この信号所から数百メートルだけ複線になっており、南北へ進む列車がここで行き違っていました。


 
ポイントマシーンは日本の京三製作所製。


 
周囲は山間部に水田が広がる田園地帯。晴れていれば散歩したくなるような長閑な景色です。
廃止された線路の脇には飲食店が営業していました。旧山線は既に役目を終えた交通インフラですが、観光地として立派に第二の道を歩んでいます。

次回記事では同じ旧山線の廃止区間でも本格的な観光地として変貌を遂げた勝興駅を取り上げます。

苗栗県三義郷龍騰村



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