12月24日の朝、大学の時の研究室の教授(現在は名誉教授)「K先生」が亡くなったことを知らせるメールが届いていた。
すらっとスマートで常に背筋をしゃんと伸ばし、スーツを着ている姿しか思い出せない。「身だしなみに一切気を遣わずに白衣を着て誤魔化す」といった、理系研究者のステレオタイプの対極にいるような先生だった。顔には常に穏やかなほほえみをたたえ、声を荒げているような場面も全く思い浮かばない。
教授、助教授(当時)、学生やOBも含めて、とても仲のいい研究室で、3日と空けずに皆で飲みに行っていたような気がする。そして、体育会の学生も何人かいたような中で、K先生が一番お酒に強かった。しかも、どんなに飲んでも表情一つ変わらず、常に穏やかなほほえみをたたえながら和やかに会話を楽しみ、最後はしゃきっと帰って行かれていた。
私たちの代が卒業する時、もちろんK先生も含めて研究室の皆で泊まりがけの旅行に行った。当然(?)、メインイベントは帰りを心配せずに思う存分飲める宴会だ。ここで、私も含めた酒豪自慢(?)の学生たちが、なんとかしてK先生を酔わせようと計画を練り、一人ずつ順番にK先生と乾杯(干杯、いわゆる「一気」。グラスを合わせたら一気に飲み干す)することにした。ところが、K先生は何度も学生の「一気」に付き合っているのに全く様子が変わらない。そのうち、学生のほうが一人、また一人と玉砕していく・・・。
翌朝、宿からの朝食を知らせる電話に出ることすらできないような状態で撃沈して、そこここで雑魚寝している学生たちを尻目に、K先生は朝から涼しい顔で缶ビールを飲んでいた・・・そうである。それを目撃した、「乾杯作戦」に参加しなかった同期によると、「先生、朝からビールですか?!」と驚きながら尋ねたところ、「自動販売機のボタンを押し間違えてしまってね」とにこやかに答えてくれたそうだ。彼は「そもそもジュースとビールは値段が違うんだから、間違えて買うハズがないんだよね」と、ブツブツ言っていた。確かに・・・。
しつこいようだが、K先生は20代前半飲み盛りの学生たちを一人ずつ相手にして全員をつぶすほど飲んでも全く様子が変わらず、翌朝もしゃきっと背筋を伸ばして涼しい顔でビールを飲んでいた。
卒業後もちょくちょく研究室のイベントには顔を出していたが、93年に渡米した後はさすがに疎遠になった。でも、年末の挨拶状のやりとりだけは毎年欠かさずに続けていた。
最後にK先生にお目にかかったのは、2006年2月。K先生の古希のお祝いパーティーに、たまたま日本にいて参加することができた。相変わらず背筋がピンと伸びてスマートで、ほとんど変わっていないように見えた。ご本人は「以前の10分の1ぐらいしか飲めなくなって」と笑っていたが、教え子から「10分の1で人並みですよね」と突っ込まれていた。
今年も12月上旬にカードを送った。
先生が亡くなられたのは23日。前の週に急に体調を崩されて、そのまま亡くなられたそうだ。私が送ったカードは、読んで頂けただろうか。
葬儀は、K先生の格からすると一昔前ならかなり大きな規模で行ったところなのだろうが、今風に(?)通夜と告別式を兼ねた一日葬(一日葬という言葉を初めて知りました)。これまた今風にZOOMでも参列できるとのことで、そうさせてもらった。普段、ZOOMを必要とするような生活をしていないので、実にZOOM初体験。参加者が多かったせいか固まったり音が聞こえなかったりしたが、葬儀の映像を見ることでK先生が本当に亡くなってしまったのだと、思い知った。
享年85歳、長患いではなかったようだし、どちらかといえば長生きだ。人間は誰でもいつかは死ぬのだし、悲しむことではないのかもしれない。それでもやはり、悲しいものは悲しいし、何よりも寂しい。なんというか、時代が変わっていってしまうのが、寂しい。自分たちの時代がどんどん終わっていくのが、寂しい。
そして、猪木さんが心配である。私が心配しても何も変わらないし、私にできることなど何もないけれど、それでも心配せずにはいられない。
すらっとスマートで常に背筋をしゃんと伸ばし、スーツを着ている姿しか思い出せない。「身だしなみに一切気を遣わずに白衣を着て誤魔化す」といった、理系研究者のステレオタイプの対極にいるような先生だった。顔には常に穏やかなほほえみをたたえ、声を荒げているような場面も全く思い浮かばない。
教授、助教授(当時)、学生やOBも含めて、とても仲のいい研究室で、3日と空けずに皆で飲みに行っていたような気がする。そして、体育会の学生も何人かいたような中で、K先生が一番お酒に強かった。しかも、どんなに飲んでも表情一つ変わらず、常に穏やかなほほえみをたたえながら和やかに会話を楽しみ、最後はしゃきっと帰って行かれていた。
私たちの代が卒業する時、もちろんK先生も含めて研究室の皆で泊まりがけの旅行に行った。当然(?)、メインイベントは帰りを心配せずに思う存分飲める宴会だ。ここで、私も含めた酒豪自慢(?)の学生たちが、なんとかしてK先生を酔わせようと計画を練り、一人ずつ順番にK先生と乾杯(干杯、いわゆる「一気」。グラスを合わせたら一気に飲み干す)することにした。ところが、K先生は何度も学生の「一気」に付き合っているのに全く様子が変わらない。そのうち、学生のほうが一人、また一人と玉砕していく・・・。
翌朝、宿からの朝食を知らせる電話に出ることすらできないような状態で撃沈して、そこここで雑魚寝している学生たちを尻目に、K先生は朝から涼しい顔で缶ビールを飲んでいた・・・そうである。それを目撃した、「乾杯作戦」に参加しなかった同期によると、「先生、朝からビールですか?!」と驚きながら尋ねたところ、「自動販売機のボタンを押し間違えてしまってね」とにこやかに答えてくれたそうだ。彼は「そもそもジュースとビールは値段が違うんだから、間違えて買うハズがないんだよね」と、ブツブツ言っていた。確かに・・・。
しつこいようだが、K先生は20代前半飲み盛りの学生たちを一人ずつ相手にして全員をつぶすほど飲んでも全く様子が変わらず、翌朝もしゃきっと背筋を伸ばして涼しい顔でビールを飲んでいた。
卒業後もちょくちょく研究室のイベントには顔を出していたが、93年に渡米した後はさすがに疎遠になった。でも、年末の挨拶状のやりとりだけは毎年欠かさずに続けていた。
最後にK先生にお目にかかったのは、2006年2月。K先生の古希のお祝いパーティーに、たまたま日本にいて参加することができた。相変わらず背筋がピンと伸びてスマートで、ほとんど変わっていないように見えた。ご本人は「以前の10分の1ぐらいしか飲めなくなって」と笑っていたが、教え子から「10分の1で人並みですよね」と突っ込まれていた。
今年も12月上旬にカードを送った。
先生が亡くなられたのは23日。前の週に急に体調を崩されて、そのまま亡くなられたそうだ。私が送ったカードは、読んで頂けただろうか。
葬儀は、K先生の格からすると一昔前ならかなり大きな規模で行ったところなのだろうが、今風に(?)通夜と告別式を兼ねた一日葬(一日葬という言葉を初めて知りました)。これまた今風にZOOMでも参列できるとのことで、そうさせてもらった。普段、ZOOMを必要とするような生活をしていないので、実にZOOM初体験。参加者が多かったせいか固まったり音が聞こえなかったりしたが、葬儀の映像を見ることでK先生が本当に亡くなってしまったのだと、思い知った。
享年85歳、長患いではなかったようだし、どちらかといえば長生きだ。人間は誰でもいつかは死ぬのだし、悲しむことではないのかもしれない。それでもやはり、悲しいものは悲しいし、何よりも寂しい。なんというか、時代が変わっていってしまうのが、寂しい。自分たちの時代がどんどん終わっていくのが、寂しい。
そして、猪木さんが心配である。私が心配しても何も変わらないし、私にできることなど何もないけれど、それでも心配せずにはいられない。