脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

勉強せい

2011-02-04 | Weblog
だいぶ昔の話であろうか。某バラエティー番組で大阪のかわった人たちを紹介する番組があったのだが、その番組でアジア○○という古い喫茶店が紹介されていた。
そこは大阪の人間なら誰でも知っていると言うあまりいい場所ではなく、当時そこには日本人の私のばさんの家があって、子供頃その近くに住んでいたのだ。
で実際その番組でその喫茶店が紹介されたのであるが、何やらかわったばあさんが出て来て、お笑いの人間とやりとりをしていた。どういうことを言っていたのかいちいちおぼえてはいないが、このばあさんなかなかのつわもので、わけのわからないことを言って攪乱させていたのだが、このばあさん見覚えがある。
さらに番組ではわけのわからないジュースを取り上げて盛り上がっていたが、実はそのジュースにも見おぼえがあって、後にこのジュースが話題になった時に、客がこのジュースを求めてくるようになって、1本1000円で売ると言うえげつないことをしていたそうだが、この喫茶店はうちのばあさんがよく行っていた店で、そのばあさんとうちのばあさんは友達と言うか顔見知りなのである。

実は以前この店に子供の頃連れていかれたことがある。
うさんくささがだたよう店で子供心に「ぼろいへんな店やな」と思っていたのだが、このような危険でうさんくさくディープなにおいのするところに住んでいた。
この店の他にも通○閣の近くに喫茶店があって、あそこもやくざ風の男がいて、かなりうさんくさかった、確かあれはモヒカンのおやじがたたき売りをしていた近くだが、私はこういう胡散臭い場所を見て育ってきているので、何が正しくて何がよくないかということは分かっているつもりであるし、また胡散臭い人間はよくわかる。
ここでは書けない本当の話もたくさんあって、まわりがとんでもない奴ばかりで、そういう人間を反面教師にして来て生きて来たので、私は正しく生きようとする気持ちが強く、またおやじが外国人であったので、平等とか公平を求めようとする気持ちは人一番強い。

以前そういう経歴をかわれて不良少年や問題児の教育を頼まれたことがある。
不良や問題児というのは、少年院を出て来た人間、家庭に問題というか、その家庭すらない子供たちである。
この問題児たちに、ボクシングを教えてほしいと言うことで、実際学校や施設をかりて教えてあげたのだが、今考えればこういう人間たちにボクシングなど教えることは、あまり意味がなかったように思える。
ボクシングをやったら自信がつくと言うが、しかしはたして本当にそうだろうか。
よく格闘技をやっているような人がこわそうな服をきたり、こわそうな頭をしたり、そして威嚇するような言葉を使ったり、偉そうな持論を語るが、しかしこういう自分を大きく見せようとすること自体、自信のなさのあらわれで、正直ゴリラのように力をつけたぐらいでは、本当に世の中で生きていくための自信にはならないと思っている。

おそらく彼らに必要なのは学問である。
教育をきちんと受けていないと言うことは、今の社会においては大きなディスアドヴァンテージである。
暴走族や不良と言うのは必ず仲間をつくるが、この仲間が問題である。
言葉や事柄を知らないから情や本能で集まり、傷口をなめあい威嚇だけで生きる。
言葉がわるいが、格闘技で強くなってもチンピラのようなかっこうで威嚇するのも五十歩百歩で、たとえボクシングで強くなっても、教育をしっかりとうけなくては、それはただの威嚇であって、情や仲間意識でつながっている以上は、本当の意味で自律していないのだと思っている。
必要なのは字を書いたり読んだり、外国語を話せる能力、また生きていく上での知恵のようなものではなく、学んで得ることができる知識、そういう力が必要で、そういうものが本当に彼ら彼女らを高め生きていく上での自信につながると信じている。

結局いろいろなトラブルがあり、どえらい迷惑をこうむったが、しかし今考えれば有意義な時であった。
私自身彼らに「君たちの気持ちは分かった」というようなことは言ってはいない、むしろ君たちの気持ちがわからないという立場で物事を見ていたのだが、しかしその気持ちと言うか理屈がわからなかったからこそ、真剣に悩み、対話し、取り組んでいけたのだと思っている。
ある時、子供に「先生は根性が偉い」みたいなことを言われたことがある。
たぶんずけずけものを言い、それでもあまりものおじしなかったので、そう思っていったのだろうが、しかし教えてやっている自分が、なぜおまえらのようなガキに遠慮しなくてはならないのかというのが私の本音である。
その時「バカなこと言ってんじゃないよ。根性なんかなくても字を覚えろ」みたいなことを言ったが、正直私はこういう子供たちがボクサーになるよりも、自分の足りなさに気づいて何かを学んでくれるほうが、うれしいし、それが社会に出ても本当の力になると思っている。
何人か見て来た人間には学校に行けと言っているが、しかし彼らは学校は嫌いである。当時勉強もろくにしなかった人間に「ボクシングや格闘技もいいけど、学ばなかったらゴリラと同じだ」と言ってけむたがれてたが、けれども彼らが年をとったら必ず学問をしっかり学んでおけばよかったと言う時が来る。その時相談に来たら必ず力になってやろうと思っている。














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