脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

おっさんの英語勉強法

2011-02-25 | Weblog
かなり前から爆発的に売れている英会話の教材がある。
有名なプロスポーツ選手がCMにも出ていて、聞くだけで覚えると言う英会話の教材であるが、昨日本屋である雑誌を立ち読みしていたら、その教材はプロの英語講師たちが選ぶワースト1の教材として挙げられていた。
実際私は聞いたことがないのだが、しかし聞くだけで覚えられると言うのは、いささか誇大広告ではないだろうか。
まあ幼児期から小学生の子供についてはそういうことが可能かもしれないが、しかし完全に成人化した人間の脳というのは、今までインプットされていない情報は処理できないので雑音として受け取ってしまうので、聞き流すだけで、しかも日本語とは全く構造のちがう英語をおぼえられると言うことはかなり難しいことだと思う。
おそらくあの状況に応じた場面であるならば、まったくあの通り会話すれば、問題ないので海外旅行に行く人たちにはいい教材となるのだろうが、しかしTofulやToeicなどを受けようとする人たちにはあまり必要のない教材かもしれない。

今日は冒頭から英会話の話をしたが、おっさんからおぼえる英会話ということで、私が考えたこと聞いたことなどを紹介したいのだが、ここ近年英語の需要性が高まりつつある。特に企業などは英語を率先的に仕事につかい、友人の会社ではメールなどもたとえ日本人同士でうつ時でも英語でうたなくてはならないという規則があるそうだが、このにわかに導入されたと言うか、グローバル化がすすみ外国人との取引などが当たり前のようになってきた今、コミュニケーションや情報を受け取りためにはこの英語というのは欠かせない道具である。

しかし英語は日本語とはまったく構造が違うので、日本人にはたいへん難しい言葉である。実際これをマスターするには相当な時間が必要で、特に我々のような頭がかたくなった中年には、さらに一から覚えるとなると聞き流すだけでは絶対おぼえられない、新たな学習法が必要である。

そして我流であるが私がおっさんにすすめる勉強法は「とにかく文をつくる」という勉強法である。
実際にそういう状況に自分をあてはめて自分の言いたいことを文章化して、それを実際に言ってみると言う勉強法であるが、おそらく30代後半よりも上の年代は、もうすでに脳ができあがっているので、聞き流しておぼえると言うことは幼児でもあるまいし、不可能である。
しかし文をつくると言うことはある意味、頭の切り替えである。
もう頭が出来上がってしまっていれば、幼児のようなかたちで、半ば自然的におぼえることはできないが、しかし頭を切り替えると言うことは訓練によって可能である。
文をつくると言うのは、日本語のスイッチを英語に切り替えてやっているのだから、この作業をすることによって今まで日本語でしか物事を考えられなかった、頭が徐々に英語頭に切り替わってくる。
そしてこの訓練を繰り返すことで英語を習得するという方法であるが、おそらくもう頭が固くなってきて、記憶するのがむずかしい我々にはこの方法がベストではないかと思っている。

でこの「とにかく文をつくる」勉強法であるが、方法としてはまず自分の言いたいことを捜すのに、思いついたことをメモしたり、日記をつけることでもいいし、英検の面接を参考にするなんて言うのもいい、とにかく何かを話すと言うか説明する機会を持ち書いてみる。まあ少し次元は違うが「とりあえずビール」なんて言うのも、そんな発想は欧米にはないので、そういうことを日本語でどういうのだろうかということを考えるだけでも、頭が徐々に切り替わってくるのである。

そしてここで必要なのは翻訳機、翻訳機は必ずしも正確とは言えないのでなるべく精度のいいものを選び、自分が実際いいたいことをそこにうちこんで、それが正しいか正しくないかと言うことを確認しながら文をつくる。
翻訳機の制度が高ければ、自分の書いた英語が間違っていればちんぷんかんぷんな日本語になる。そうやって自分の言いたいことを翻訳機にうちこみ、繰り返していくと、かなり発想が英語的になるのではないかと思っている。

また英英辞書をひくと言うことは、かなり英語のイマジネーション能力が広がる。
英英辞書と言ってもだいたい3000語ぐらいの語彙があれば読める。「Time」という雑誌を読むのに訳6500語必要であるそうだが、だいたいその半分ぐらいであるから、そう考えると読むのにそう難しくはないだろう。
一つの単語を英語で理解すると言うことは、かなり英語的発想の切り替えになるので、辞書をひく時は徹底してそれをやってみればいいと思う。

おっさんは人の話を聞かないと言うのが通説である。聞くと言うことも大事であるが、しかしおっさんはその専売特許であるいいたいことを言うということができれば、英会話教室でもおっさんは水を得た魚のようになり、会話が広がるのではないだろうか。

オリーヴには貿易を仕事にしたり、語学関係の仕事の人が何人か来ているが、彼ら彼女らを見ていたら地方だからと言って、英語が必要がないということは絶対ないということがわかる。ここ高知にも外国人が増えて来て英語教育も盛んになってきた。
特に私の住んでいる地域はかなりの欧米人をみかけるが、学校にもハーフの子や外国から来たこどもなども在籍しているらしい。

現にこういうスポーツクラブでも海外から情報をひろっていけなくては、最新のベターな情報を集めることができない現実である。

これは私の意見であるが、スポーツ選手でも語学ができたり、それを習得している人間の言葉と言うかインタヴューは深いと言うか先のことを見据えているように思える。サッカーの三浦選手なんかは「へーっそうなのか」と思わされることはしばしばある
彼は単身でブラジルに渡ったそうであるが、その時ポルトガル語をおぼえたそうである。
しかしこれにたいしてあまりそういうことが得意でないというか、興味のない人間のインタヴューはあまりインパクトがない。
偉そうに「世界とか俺がかえる」なんていうのがいるが、聞いていてもその場限りで、その先が見えないのである。
あるボクサーはスペイン語をメキシコ語と言っていたが、笑ったとんでもない間違いだ。ここまでくれば無知も甚だしい。
確かにメキシコ語らしき言葉があるが、ここで公用語として使われているのは「Spanish」なので、正確に言えば「Mexican spanish」で彼の言うメキシコ語とは違う。まあ彼はメキシコだからメキシコ語だと言うような発想で言ったと思うが、これを見ている人はかなり増えて来ているので、勘違いがあってはいけないので書いておくが、言葉というものを意識しないと理解できないことが多いし、実際見えてこないものはある。
世界に出ていく人間だからこそ、そういう広がりをもった考えができるように語学習得は必要だと思っている。












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