脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Encouragement

2016-09-12 | Weblog

アドラー心理学は原因ではなく目的をとらえて人を成長させる心理学である。フロイトやユングは人間の行動を過去の原因と結びつけたが、しかし人間の行動をすべて過去にむすびつけたら人間は決してかわることはない。アドラーは原因ではなく目的があるからこそ人間は行動をおこすのだと言う視点を持って人間の行動をとらえる。フロイトやユングが人間回復と言うことにとどまるならばアドラーは未来志向の心理学と言ってもいいだろう。さらにアドラーはEncouragement(勇気づけ)と言う言葉を用いているが、勇気づけとは過去にとらわれずにその目的に導く手段であり、そこに向かって行くための支援である。だいぶ前からほめて伸ばすと言われているが、まさにほめるという行為も勇気づけである。しかし勇気づけはその人を正しい目的に導く手段であるから、何も考えもなしにすごいとほめることではない、4,5歳ぐらいの子供ならばそれはそれで有効なのだろうが、何の考えもなしにただすごいとかお前は素晴らしいなどと言うのはいささか子供だましで、少し賢い人間には響かないだろう。スポーツ指導者にはそういう単純なほめかたをする人間がいるが、サルのように芸ができたからと言ってすごいとかほめるのではなく、ほめるほうもしっかりと言葉を選んでほめることが大事、そのため言葉のボキャブラリーが必要だ。さらに心理学や哲学、宗教学などに熟知する必要はある。ほめ上手と言うのは太鼓持ちのようにすごいとか大げさな言葉をならべたてておだてることではない。自分の目的や未来が見えるような気持にさせるのがアドラー的に言うと本当のほめ上手であり、それを勇気づけと言うのだと思う。だいぶ前からほめると言うことが言われだしてきているが、しかし私は何も考えていない、教養がない指導者がただすごいとかいっておだてるのはいささか無責任でそういうほめ方はいいたいことだけを主張する奴、根拠のない自信を持つ奴、自分の言葉に責任をとらないような奴がでてくる。ほめるという行為は自分はそうならなければとある程度考えさせられる何かである。ただ競技のためのモティベーションをあげるためのものとは質は違う。どう違うのかと言うと難しいが、しかしこれらのことはほめるがわの教養と知識、じっくりと練られた言葉で勇気づけが行われたかと言うことではないかと思う。

本当にバカそうな指導者は頭をたたけばポーンとからっぽの大きな音が出るんじゃないかと言うぐらいバカそうな顔をしている。こういう指導者が競技者に芸をしこみ何とかサル軍団が誕生する。人に考えろと言うのだったらもっと勉強しろ、引き出しがなければそれはただの思い込みか勘ぐり、いい年をした大人よりも中高生のほうが言葉を知っていたり、教養があるなんて言うのは恥ずかしい話だ。人間の群れは言葉がしっかりと機能していなければならない。責任者は常にその言葉が正しくつかわれ機能しているかと言うことを考える必要がある。

 

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