脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ボクシングを考える 2

2008-03-27 | Weblog
この前ゲームは人間の感性や思考を単純化させると書いた。
ゲームの安易な達成感や敗北感が倫理観をまげ、ものごとを単純かさせると。
MOBもどちらかというと、もともとハードルの高い競技であるボクシングをテニスをやるかのような感覚で競技させるのであるから、当然ボクシングを軽く見ているんじゃないかという批判の声もあがると思う。
しかし自分はボクシングを軽く見ているわけではない、自分も競技者であり、試合にも数多く出場しているので、ボクシングの厳しさというものは誰よりも知っているつもりである。
しかしボクシングという競技は、あまりにも一般化されていないがために、ボクシングそのものの芸術性や競技性自体が伝わりにくく、一般にボクシングを支持し見に来てくれるのは、競技者か、生の殴り合いを見たいという感覚で来る人たちであり、これでは競技に於いて全体の進歩はありえない。
時々TVの試合などで評論家のコメントを聞くことがあるか、野球などのスポーツに比べたら専門的ではなく抽象的で、いにしえの太古の時代から続いてきたスポーツという威厳にかけるのではないだろうか。
確かにボクシングの起源はBCの時代から続き、もともとそういう大衆の欲求に答えるための競技で、そういう血なまぐさい歴史があるのであるが、しかしもしボクシングの進歩というものを考えるのであるならば、ボクシングの持つ芸術性や競技性というものを十分に伝えて行かなくてはならない。
そのためにはボクシングが一般化され、観る側の影響も考えなくてはならないのではないだろうか。
最近わかったことであるが、ダイエット目的であれ、健康維持であれ、この競技に参加している人は、意外にもボクシングに興味を持ってくれ、試合などを見ていてもただ殴り合いを楽しむのではなく、また別のかたちで競技を観て楽しんでくれているということがわかった。
また県体などの試合があれば喜んで見に来てくれる。
競技というのは競技者だけでなりたっているのではない、もちろんそれを見てくれる人たちがいるからなりたつのである。
最近昔にくらべてだいぶましになったが、しかしまだまだボクシングの試合会場は独特の雰囲気があるように思える。
ボクシングの競技の内容を決めるのは、競技者だけではない、観客も然り、そういう意味で、我々は多くの人に、この競技の芸術性と競技哲学を理解してもらうべく、いろいろなやり方でボクシングを教えたいと思っている。

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