脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

言葉の力

2011-12-28 | Weblog
最近電子辞書辞書がこわれてしまったので、新しい電子辞書を購入した。
約3万円ぐらいで購入したのだが、最近の電子辞書は便利でいろいろな辞書が入っているので、この価格ではかなりお得な買い物であった。
私は常に電子辞書を持ち歩いていて、最低でも1日に3回は分からない単語の意味を調べるのであるが、人に何か説明したり教えたりする仕事は、言葉をしっかり学んで知ると言うことが大事だと思うからだ。
言葉を知ると言うことは何か物事を説明したり、教えたりする人間にとって必要である。
特に日本語と言う言葉は言葉の構成がしっかりしていて、ボキャブラリーが豊富にあるので言葉自体をを学び言葉を知ると言うことは教えたり、説明したりすることはもちろんのこと議論する上でも大きなアドヴァンテージになると信じている。
子供を持っている親なら分かるが、子供はいろいろなことに興味を持ち、そして分からない言葉があればそれはどういう意味かと聞いてくる。
そう言う時国語辞書を引き慣れていると、それがどういうことかということを割合うまく説明できるものであるが、我々は日ごろ使い慣れている言葉にしても、その本質を理解していないことが多く、この言葉の本質を知るか知らないかと言うことは我々のような言葉を扱う仕事においてのいわゆるプロ意識のひとつのようなものであると思っている。
我々は言葉の中で生きていると言っても過言ではない。
だから我々がどういう言葉を語り理解しているかということは日常生活においても重要であり、言葉を知り理解すると言うことは、物事を説明する上でも非常に役に立ち、意外と口下手だと言っていても、そういう訓練を日ごろから行い、言葉を理解できると人前で自信を持って話すことができるようになることもあるのだが、言葉を学ぶと言うことは、人間のコミニケーションの本質知り、おおげさに言えば支配することで、ボクシングや格闘技なんかをやってかりそめの自信をつけるよりも、将来の本当の自分の持つべき自信につながるのではないだろうか。

また言葉と言うのは、そのことによって人間の質が問われる。
最近格付けと言う言葉がよく聞かれるが、人間は無意識のうちに人に対して格付けをおこなっている。
ちょっと前にあった公演デビューなんてそうであり。特にそれはビューロクラシーの傾向が強い都会に見られるのだが、まさにそれは格付けである。
我々が語る言葉も言葉もそうだ、英国なんかでは使われる英語に「上層」「中流」「下層」というランクがあるのだが、言葉と言うのも相手がどういうレヴェルの人間かと言うことを格付けする手段であり、こういういろいろな人間が集まる場においては、自分たちがどういう言葉を持っていて、どういう言葉をつかうかということは非常に興味深いことで、それは集団の質を問うということにもつながってくるのではないだろうか。
私はここで決して格付けすることが当たり前だとかいいということを言っているのではない。
格付けは人間自身半ば本能的に行う区分けのようなもので、それがひどいかたちになると差別につながるのだが、しかしそういうことを実際に構造的にとらえ、自分たちは一体どの位置に立っているのかと言うことを確認していくことは自分たちの質を問う意味では大事なことだと理解しているが、ボクシングのイメージがわるいのは一般的に格付け的に下のランクだからと見ている。

私自身観察していても実際わるい言葉や間違った言葉、差別用語、不適切な言葉を使う人間が結構いることに気づく。
話す内容も自慢話か程度のひくい持論、日ごろ本など読むこともなく、見る番組も漫画、バラエティー、スポーツと言うような程度で、そう言う奴は「NHKは見てません」と言いきれるのではないかと思うのだが、そういう奴に限って「俺はボクシングに関しては真剣だ」と持論を語るが、しかし半ば本能的に自分の好きなことしかしない人間の話しはためになるわけでもなく、聞くだけ時間の無駄である。
差別用語にしてもそうだ、わかっているのかいないのか、それがグレーゾーンであればつかわないというのが常識であるが、しかし実際わかっているのかいないのかそういう言葉や人権を無視した態度や暴言などを時々耳にする。
子供にとってどういう言葉をつかうかということは非常に大事なことで、子供と言うのは言葉による影響が大きいからで、豊富な語彙力と陳腐な語彙力とではその影響に大きな差が出ると思っている。
日本語と言うのは世界的にも完成されたむずかしい言葉であるのだから、それを理解して使うことが必要であると思う。
使う言葉がしっかりしていれば、まわりを取り囲む環境もかわってくるというのが、私の持論であるが、実際言葉に気をつけて運営していくとしっかりした人間が集まり、教育的なレヴェルも高くなったと思っている。
同じような人間が集まってジムという狭い社会の中で使われる言葉であれば、少々言葉が不適切で乱暴でもいいのだろうが、しかしほとんどが社会と言う場に出て生きていくのであるから、われわれも言葉の質を問うことも大事ではないかと思う。




 

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