脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

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2011-12-26 | Weblog
以前ここに来ていたフランス人の留学生とはほとんど家族のように付き合っているのだが、今年も我が家にクリスマスプレゼントが届いた。彼女とはよくSKYPEで話しをしているが、おもしろいことに私のSKYPEには彼女のお姉さん、お母さん、お父さん、そしておばあさんなど、ほぼシュナイダー一族のSKYPEアドレスが登録されている。
彼女は去年から今年にかけてここに滞在していたのだが、特にうちのせがれとは本当の姉弟のような間柄で、彼女の「facebook」には私のせがれの名前が弟として登場しているらしい。
おねえちゃんもそうだが、彼女は末っ子で家族でもかなり成績がいいようで、所謂向こうではエリートコース、今年17歳で大学1年になるそうである。
欧米の人間と日本人を比べて言えることは、向こうは無駄な勉強をしない、専門性を十分に磨くことができる教育システムを持っていると思うのだが、無駄な勉強と言うのはただおぼえるだけの丸暗記方式で、これが教育システムにおける弊害だと思っている。
確かに低学年などは暗記させると言うことは、脳に活力を与え発達させる意味では必要なことだが、しかしそれだけでは本当の学力と言うものが育つはずはなく、その本当の学力をつけるというところが少し不十分ではないかと理解している。
私などは前から思っていたのだが、県庁所在地や特産などおぼえて何になるのか?あれこそ無駄な学習で、ああいうものは興味があれば自然と覚えるものであると思うのだが、日本はその手の学習が多く、これだと学習することに興味など持てない。暗記をさせてそれを答えさせることが学力をつけることだと思っているが、それは少し違うのではないだろうか。

以前ブログで米国の大卒の人間に世界の首都を答えさせたところ、意外と答えられなかったということを書いたが、しかしそうだからと言って彼らの学力がひくいわけではない。
むしろ自分たちの専門とは全く関係のことがないので興味がないだけで、そんなものは必要があればおぼえることができる。
彼ら彼女らはその専門性については十分な学習をし、そして十分な知識を蓄えていると言ってもいいと思う。
アメリカでもそうだが、フランスの大学には日本のような試験がない、しかしだからと言って大学があまいということではなく、これからが本当の勉強がはじまるわけであって、学生はしにものぐるいで勉強させられるのだが、所謂ここからが本当に自分のためにしなくてはいけない勉強がはじまり、本当の学力、その専門性が身につくのであるが、大学の勉強は非常に厳しく、100人入学しても卒業できるのは15人ぐらいだそうだ。
正直私は暗記中心の教育システムでは、本当に将来に学ぶための備えができていないと思っているが、本当の勉強と言うのは自分の専門を選択した時からはじまる。それが大学などの勉強である。
確かにフランスの教育プログラムを見ていると、のんびりしすぎて日本人だったら若干不安になると思うが、しかし私の経験も踏まえて言うと本当の勉強と言うのは、自分が何をしたいのかということを選択した時からはじまり、そのことがわかってこそ専門の知識と言うものが身につき、一生懸命勉強をしなくてはならないという立場においやられる、そこで学習し学んだことが本当の知識になると信じている。
実際私自身宗教学や哲学と言うものを学んだが、かなり専門性が身についた。学校を卒業するまでに少し時間がかかったが、それでも十分に思想や語学なども学べたし、そのことは何をする上でも役に立っている。
小中学校の学力すべてが必要ではない。必要なのは学ぶことにたいする興味と楽しさ、この興味と楽しさは自分が本当にこれがしたいと思わなければ決してもつことはできないが、そのため彼ら彼女らの視野を広げ、小中学時代にいろいろと将来について、考える余裕と言うものをもたせるべきではないか。
日本、中国、韓国と言う国は科挙システムが根深くのこっているせいか、試験と言うものに対してかなり厳格に重要視してとらえているが、しかし小中学校でまる暗記したことというのは、生涯学ばなければならないことの一部で、必要以上に暗記したり、学習することをやめて、もう少し将来について考えることのできる余裕と言うものを、子供たちに与える必要があるのではないだろうか。こういうシステムだと本当にに勉強しなくてはいけない時に勉強ができない先細りだ。
正直私は日本人のような優秀な民族がどうして外国に行ってまで教育をうけなくてはいけないのかと思っているのだが、やはりそれは自分たちの教育システムに問題があるからだろう。

オリーヴには子供が結構来ているが、彼ら彼女らはボクシング予備軍ではない。
所謂ここで育てて将来中学高校と競技をさせるというような非常識な考え方はしないのが自分たちのやり方である。
そもそも同じ競技をずっとさせるということは異常である。ましてやボクシングのような特殊で危険なスポーツを10年近くに渡ってさせるということは非常に問題であり、小中学生にはむしろ純粋にスポーツを楽しむいうかたちで競技させることがふさわしいことであると思うが、ここではボクシングがすべてだというような教え方をしないし、そういう雰囲気にももっていかない。
なぜなら小中学生と言うのは非常に影響されやすい時期であるから、彼ら彼女らに減量などさせてボクサーのように扱い、ここでボクシングがすべて見たいなことを言ってしまえば、そうなってしまうからで、彼ら彼女らにはこれだけではなく他にもたくさん可能性があるのだから、そのことにも目を向けなくてはならず、もし予備軍にしてしまってしまったならば、子供の興味の範囲をせばめているからだ。
ただ予備軍にしてしまうのもそれはそれで意味があるのだろうし、大真面目にやっているのだろうが、しかし危険で脳のダメージがあるので、あくまで子供の時期は戦うこととか節制などというようなアホな御託をならべるよりも、むしろスポーツのひとつだということで、スポーツすることの楽しさや充実感を教えることがふさわしいやりかたで、そういうことを無視して勢いでやってしまうのは、いささか教育のレヴェルに問題があると言っても仕方がないだろう。
こういう競技は常に客観視して見ていかなくてはならず、最近ではCTスキャンなどの導入により、さらにアマチュアの安全性と言うものが求められてきたが、小中学生に長きにわたって競技させると言うことは危険であり、それは子供の意志の問題ではなく大人の問題である。
私などは子供の脳の問題や心理的に働く影響などをいろいろと調べたが、思いこみと勢いだけで行く人間はそういうことを学習できないのだろうかと思うが、大事なのはひとつにとらわれず、将来どうであってもスポーツを楽しみ趣味としてできるということを伝えていくことが大事だと思う。













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