脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

いさぎよすぎるんじゃない

2011-07-04 | Weblog
何年か前に試合があった時に採点法がボタンになっていた。
これはあるオリンピックの疑惑の採点をめぐって導入されたものであるが、しかしこの採点法には少々採点する側にも技術が必要ではないだろうか。
そのスパーリング大会は、実際そのパンチのヒットポイントがスクリーン上の画面に現れるのであるが、しかしあまりにもヒットポイントの数が少なく、何分間もうちあって「2」とか「3」いっても「8」ぐらいで、おそらくジャッジする側もこの採点法にいささかとまどっているのではないかというのが私の意見である。
その時もポイント的に1ポイント差でリングを降りた選手に、対戦相手がいかにも自分の勝ちだというような感じであいさつにきたのだが、しかし私に言わせて見れば、その試合は採点法の不慣れという点を考えて、ポイントがひとつ多いぐらいでは勝ちとは言い難いもので、終わってからその選手にあれだけうちあって、とにかくあたったら1ポイントとみなされるアマチュアにおいて、ヒットとみなされるパンチの数が「1」とか「2」って言うことありえんやろと言ったが、この結果は人間の感覚の限界を物語っているようなもので、オリンピックであれだけスピードの速い選手のパンチを、専門家でもあるまいし、人間の肉眼でどこまでとらえることができるかあやしいものである。
それにしても日本人は負けをあっさり認めすぎである。
終わってからも負けた選手に堂々とあいさつに行くのであるから、驚いたのだが、こういう行為は向こうではあまり見られない。プロの試合などでは、終わった後にハグし合ったり、たたえ合うが、しかしそれはおわってリングの上での話しで、勝った相手にありがとうとわざわざ言いに行くのも何であるが、もし向こうなら勝った相手に「Thank you」などと手を差し伸べれば「What(何が)」と驚かれるであろうが、むこうはいくらアマチュアであっても勝負は勝負、こういう時はシビアなのだ。


その試合はずっと前から、審判たちも公平で高圧的ではないので、気持ちよく参加できるのだが、その大会が雰囲気がよく気持ちよく参加できるのは、偉そうな体育会系の軍団が牛耳っていないからだと理解しているが、封建的な連中がその大会や試合を牛耳るとその大会自体が一部の人間たちのものになってしまいがちであるが、しかしそこはできるだけたくさんの人たちを競技に参加させようと言う心づかいが見られる。
現に会場は真面目そうな人間からヤンキーっぽいのなど様々で、一目見てどこの軍団に属しているか分かるような輩たちとは大違いである。
前のブログで「人権」と言うのはたいへん重要な事柄で、人権教育を十分理解していないと組織と言うのは封建的になり、人の権利をおろそかにしてしまいがちであると言うことを述べたが、物事を反対側から言えば封建的であること自体人権が守られることがないと思っているのだが、封建的な社会にどっぷりつかった人間は、ただ言われたことをやってきただけなので、人間の権利や自由と言うことに関して少々というかかなり疎いと考えている。

正直そのスパーリング大会には、髪の毛が茶色というような感じのヤンキーもいたが、いろいろな人間がいるので、ボクシングと言う競技をする上では気になることはないと思う、たぶん気になるとしたらそういう軍団がヤンキーとか怖いお兄さんと同列だからこそ、うざいわけであって、こういう軍団の親玉は、礼儀とかその他のことにおいても自分たちと同じでなければ気にいらない、認めないからやっかいであるのだが、しかしもし礼儀と同じように、アマチュアの選手は競技理解のために、国際試合にToeic何点以上でないと出場できないという規定を設けらたらどうするつもりなのか見ものであるが、もしそうなったら言葉も理解できないので、言い返すこともできないと思うが、親玉も含め国内で自分たちの後ろ盾が多いからいばれるというのは非常にみじめである。
正直こういう封建的と言うか、いかにも体育会系の軍団が多いと、会場などはある種の威圧感と閉塞感を感じるので、不快でうっとうしいので行きたくないと思っているのであるが、さらに彼らがうっとうしいのは、その威圧感が全体を通して軍団ででていることである。













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