脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

高知のボクシングジムMTオリーヴボクシングクラブの日記 11月22日

2010-11-22 | Weblog
今日は休み前とあって かなり忙しかったです。女性が多く今日も女王様を何組かすることができました。
一般的に脂肪を燃焼させるには20分ぐらいの運動が必要だと言われていますが、これには個人差と運動の仕方が問題で、なわとびが効果的だと思っています。
これは目安ですが、基礎代謝が高い人は運動をしはじめると比較的体がすぐにあつくなり、汗をかきはじめますが、これは脂肪が燃焼してきたということです。
これと同じようになわとびをとぶと、すぐに体があつくなってくるので、その脂肪を燃焼させるウオーミングアップとしては最適だと思っています。
なわとびは最初かなりしんどいですが、こつをつかめば楽になり、ウオーミングアップ程度の練習で汗をかき始めるには言い運動になりますので、それまで多少しんどいけどペースをつかむためがんばってください。

ダイエットの効果がすぐにあらわれない人は、実際運動が十分にできていないからです。
これはどういうことを言うかというと簡単に言えば力の出し方がわからない、ということでこれは運動経験のない人に多いです。
オリーヴには運動経験がない人が多く在籍しているので見ていてよくわかるのですが、運動経験のまったくないという人は実際力を使うことができないので、練習をしていてもつかれることがないです。
本人はなまけているつもりはないのですが、しかしもともとそういう運動をしてきてない状態をを長く続けているので、力の出し方がわからないのです。
改善策としては筋トレを時間刻みでやってもらっています。時間刻みでやるとはやくやらなくてはいけないので、ペースがはやくなり力が入るようになります。
ここでは何人かの人が最近そういうかたちでレッスンしていますが、練習のかいあってかかなり汗をかきはじめ、ペースがつかめた人もいます。最初のうちはなかなか効果は出ませんが、徐々に練習してペースをつかめば効果が表れてくるでしょう。

ダイエットの相談はいつでもどうぞ。興味がある人はメールか電話でお願いします。







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オリーヴは一歩派

2010-11-22 | Weblog
オリーヴは社会人中心のクラブであるが、しかし高校生未満の子供も多く在籍している。
特に何か働きかけをしているわけではないのだが、意外とそう言う子供たちが大人に混ざって練習しているが、中には今は立ち直って見えないが、もといじめられっ子や不登校、そして現在いじめられている子供や、不登校の子供も在籍している。
私はいじめられた経験はないのだが、しかしその子供たちがここに来た時、傷つきぼろぼろになった顔を見ているので、正直いじめにたいしては怒りさえも覚えるものである。
私がなぜ運動部の体質を嫌っているかというのは、独特の価値観を持ち、集団性が強いからで、その集団性がいじめや疎外感を生み出すひとつの原因だと思っているからである。
「あいさつしろ」とか「練習しなかったら他のものに迷惑だ、相手に対して失礼だ」こういう言葉は、おそらくよく耳にする言葉であるが、当然この言葉は死にものぐるいで練習しろと言うことで、特にあいさつしろというのは、だれが決めたのか彼ら彼女らでは人生の基本になっている。
しかし私はここであいさつすることがいけないとか、練習するなといっているのではない、例えば彼ら彼女らの言うあいさつとは独特のルールであって、あいさつしたからと言って、あいさつしない人間をきつく裁く体質が問題で、それらは単に勢いでいっているのだろうが、しかしここでもし監督が練習しない人間やあいさつできない人間をダメだ、邪魔な奴とみなすとみんながそういう目で見てしまう、そこが集団の恐ろしいところで、たしかにあいさつするのはいいことであるが、しかし問題はこういうある人間の価値観や、狭い軍団の価値観で物事のよし悪しが判断されることが問題だと言っているのだ。

スポーツと言うのはフラットな関係を築くことができる唯一の交流の場である。
そこには何ら拘束されるものはなく、自由に競技をエンジョイすることができる。そういう権利を競技者は持っていることをまず第一に考えなくてはならない。
まだここではスポーツが十分に一般化できていないが、しかしスポーツはそういう命懸けでやるものだけのものでもないし、そういう人間に遠慮しながら競技すべきものでもないのだが、しかし強いかどうかわからないが、一部の人間が独特の雰囲気をもって幅をきかせている姿は、昔みんなが遊びたいのに、砂場を占領して牛耳るガキ大将の軍団のように思えて仕方がない。
これはよく言うことだが、前にある軍団が試合に勝ったのに、堂々とうちの選手の前で監督にすみませんとあやまっていたが、ああいうパフォーマンスができるのは、自分たちは特別だと考えるからで、もしこっちがその態度に何か言うと、お前らは真剣にやっていないとでもいうのだろうが、とにかくここでは命懸けで競技すると言うパフォーマンスを見せればいいのである。

今やスポーツは年齢や性別、そして目的を越えて様々な人が競技している時代だ、そういう中で競技者はこうだと決めつけて指導していくことには、かなり無理があると思っている。
ある人間が、なぜここオリーヴがいごこちがいいかということを言っていたが、彼が言うにはここは、多様性を認めるからで「個」という存在を認めてくれるからであると言っていたが、スポーツと言うのはもともと集団性をやしなうものではなく「個」を養う場ではないのか。
基本的にいろいろな考え方や目的の者がお互いを尊重し合うわけであって、そこで親分子分のヒエラルキーやグループや派閥ができるということ自体ちゃんちゃらおかしいことなのである。
個を養うと言っても何も難しいことではない、ここで考えているのは、先輩後輩のヒエラルキーは存在しない、仲間やグループの存在を認めない、個人の目的を尊重し、言葉に気をつけるということである。
特に言葉に気をつけると言うのは、持論を語らず、公共性を考え、勢いだけで発言しないと言うことであるが、ここにはいじめられたりしている子供がいるので「にげるな」とか「むかっていけ」と言う、スポーツクラブにありがちなこういう言葉はご法度で、へたをしたらその子をつぶしかねないのである。
確かに鍛えて強い精神を養うと言う考えもあるのだろうが、しかしボクシングをやって力をつけたら自信がつくというのは、根拠がなく曖昧なもので、私は相手を変えていく力よりも多様性を認める力のほうが、むしろここでは必要だと思っている。
へたれでも弱虫でもいいじゃないか。ただそれなりに楽しんで、まわりに左右されず、自分なりに一生懸命競技していたら何かが変わってくることは確かなことだ。
私はここを癒しの場としているのだが、スポーツのは元来人を癒す力があるとそう信じているからである。
オリーヴにはいじめられっ子たちに、なぜボクシングなんてはじめる気持ちになったのだと聞くと、よくかえってくるのがはじめの一歩を見てという答えである。
私自身はじめの一歩は何年か前に20巻ぐらい見たが、この漫画がいじめられっこの指示を受けるのは、おそらく主人公がそのままのかたちで強くなっていくからで、そういう姿に彼らは深い共感をおぼえるのだろう。
この漫画には強くなってみかえしてやるとか、しかえしするというような殺伐とした要素はない、おそらく彼らが求めているのは根本的に強くなってかわることよりも、むしろそういう自分たちの存在価値を求めてこのスポーツの門をたたいているわけで、彼らは、弱虫だが自分の存在意義を見つけてがんばって堂々と生きる一歩の姿に、自分たちの姿をオーバーラップさせているように思えるのだ。
私は思う、いじめられていても不登校で学校に存在意義がないように思えても、彼ら彼女らには存在意義はある、むしろ個性があるからいじめられるということもあるのだが、そういう子供たちがこのスポーツにかかわり癒されていくことを望んでいる。

ちなみに私はボクシングする人のタイプを「はじめの一歩派」と「明日のジョー派」にわけているが、ここは圧倒的にはじめの一歩派が多いことは確かだ。













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