脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

NO 儒教

2010-11-15 | Weblog
苫米地という脳学者がいる。
以前ここの会員に私が彼と言っていることがよく似ていると言われて、読んでみたのだが、おそらく私の言っていることがにているのではなく、考え方はよく似ているが、彼のほうがより的確に、かつ具体的にわかりやすく、私の言いたいことを説明しているだけのことだ。
さてこの苫米地であるが、日本が封建的であるのは儒教によるものだと断言し、今の教育制度と言うか社会のシステムは封建的で、われわれが古来から持っている儒教の精神を捨てて、精神の自由化をはからなければならないととく。

私が読んだのは「脱洗脳教育論」と言う本であるが、おおむねここで取り上げられている儒教は、家を中心にした社会を守るためのもので、そこにははっきりした上下関係ができ、それは差別を生みだす封建的なシステムであるとしてとりあげられている。
特に儒教の仁と言う言葉であるが、これは儒教の中でも中心に置かれる言葉で、これは仁愛と言うように言いかえることができるのだが、この仁愛は他者との関係を築き上げる時に大事な心構えで、人とは人を愛することとしている学者もいるが、すなわちこの仁愛をもって他者との関係を築いていくのが儒教の教えである。

しかしこの仁と言う言葉がかなりくせものである。実は儒教で言う他者と言うのは、その性質から言って身内のことで、仁愛というのはおおまかに言って身内を大事にしろと言っているのだが、仁愛と言うのは非常に限られた範囲の行為であって、西洋人の言う隣人を愛せと言うような博愛主義のようなものでもない(これに関しては15世紀ぐらいにバチカンで?キリスト教徒以外は人間ではないということが宣言されたが、しかしこの博愛は今日においては人類愛のことである)。
さらに仁と言う言葉が限定的であると言うのは、やくざの世界をみればわかるが、彼らの仁義が通るのはその世界の中であって、それ以外は関係がない。
ここまで来るとなぜ儒教において孝が徳の高い行為かおわかりいただけるであろうが、ここに日本、中国、韓国の人たちが家を大事にする理由がある。

私はよく仲間をつくる人間はうさんくさいというようなことを言っているが、おそらく日本人と言うか東洋人にはそういうDNAが先天的に存在しているのだろうか、それにしてもここには軍団やグループが多く、そういう軍団がべたべたと集まって仲間意識で盛り上がるのだから始末におけない。
こういう集団は、よく自分たちは家族的だとか言うが、では家族になれなければどうなのか、この家族的と言うのは、むしろ自分たちは閉鎖的だと言うことを表しているにすぎず、この多様化された時代においては、こういう言葉を使うべきではない、むしろ差別的な言葉であるとさえ思っている。
グループ化や仲間と言うのは非常に警戒すべきことである。
私のところには時々そういう子供や親が相談に来るのだが、いじめなどは、人とは違うと言うことで疎外されたり、グループなどによるものである。
手前みそだが、うちのクラブがそう言う子供たちを受け入れやすいのは、特定な仲間やグループがないからである。
いじめられたり、居場所がないと感じる子供はそういう仲間に入ることができない、共通意識を持つことができないからではないだろうか。
おそらくそういう子供たちがここに来て、ある特定の人間たちがグループ化し、わきあいあいとあだ名やちゃんづけで呼び合って練習している姿を見れば「ああ自分の居場所はここにはないんだ」と感じてしまうのではないか、仲良くなるのは自由だが、しかしグループのような存在をあえて認めることはしない、それが私のやり方である。
しかしそうだからと言って、オリーヴの会員はそれでもさめているかと言うとそうではない。
むしろそういう価値観を持てば、立派な社会人が集まり、そういう人間がボランティア精神でいろいろと働いてくれるのであるが、それがここの誇れるところだと思っている。
ある人間は自分がひきこもりぎみだったが、忙しい中一生懸命働きながら練習する人たちを見て勇気づけられたと言うが、ここの社会人はそういう人たちの刺激になっていることは事実だ。
私はよくブログで仲間やグループ化はだめだというようなことを言っているが、この仲間やグループと言うものは、儒教との関係にも表れているように、人間の潜在的な問題であって、その潜在的な問題を理解しなければならないことであって、特に先輩後輩や師弟関係から生まれる封建的な仲間やグループというのは、弊害が多く、問題である。
私自身社会以外にいじめられたことはないが、しかし生まれながらに人との違いを感じて来た人間で、この日本社会で人が持つ疎外感はどこから来るのかということは、よくわかっているつもりである。
最後に私が求めていることは、ここの会員をやたら増やすことではない、オリーヴは結構会員が在籍しているが、しかしひとりびとりの権利を守ることであり、そのためグループや仲間の存在は認めない、基本的に私はその人個人を尊重したいと思っている。なぜなら、私はその人個人と契約しているからである。








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