今日は二俣川から大池公園を経由して、
緑園都市駅までウォーキングした。
途中、すれ違う人たちは多くは
においからして、花見でお酒を飲んだようで、
一部の人は千鳥足で、かなり酔たようだ。
なんとも、のどかではある。
天気は昼まで晴れていたのに、
夕方には曇り始め、
私が歩く頃には小雨がぱらついた。
そのため早々引き上げる人たちが多かった。
桜の花はどうかというと、どこも満開で、
ピークは過ぎたとさえ思わせる咲き具合である。
今日はメジャーな作曲家ではあるが、
ドヴォルザークの交響曲第6番を聴きながら歩いた。
第三楽章が彼らしさが出ており、好きな楽章である。
話は変わるが春と言えば、カルミナ・ブラーナの世界である。
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」でも有名なように、
バイエルンのベネディクトボイレン修道院から
20世紀に入って発見された中世の詩には、
春に関係する詩も多く含まれている。
Veris leta faciesというタイトルの詩では、
(呉茂一氏はこれを「春の愉しい面ざしが」と訳している)
冬になって失われた色の世界が、
春になると花の女神が統治し、
色鮮やかな世界に変わっていく様子が述べられている。
まさに、このシーズンになると、桜の色も含め、
樹木が様々な色を見せ、自己主張し始めるのである。
春が来たなと思わせるのは、
まさにこのようなことに気づくときなのかもしれない。
緑園都市駅までウォーキングした。
途中、すれ違う人たちは多くは
においからして、花見でお酒を飲んだようで、
一部の人は千鳥足で、かなり酔たようだ。
なんとも、のどかではある。
天気は昼まで晴れていたのに、
夕方には曇り始め、
私が歩く頃には小雨がぱらついた。
そのため早々引き上げる人たちが多かった。
桜の花はどうかというと、どこも満開で、
ピークは過ぎたとさえ思わせる咲き具合である。
今日はメジャーな作曲家ではあるが、
ドヴォルザークの交響曲第6番を聴きながら歩いた。
第三楽章が彼らしさが出ており、好きな楽章である。
話は変わるが春と言えば、カルミナ・ブラーナの世界である。
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」でも有名なように、
バイエルンのベネディクトボイレン修道院から
20世紀に入って発見された中世の詩には、
春に関係する詩も多く含まれている。
Veris leta faciesというタイトルの詩では、
(呉茂一氏はこれを「春の愉しい面ざしが」と訳している)
冬になって失われた色の世界が、
春になると花の女神が統治し、
色鮮やかな世界に変わっていく様子が述べられている。
まさに、このシーズンになると、桜の色も含め、
樹木が様々な色を見せ、自己主張し始めるのである。
春が来たなと思わせるのは、
まさにこのようなことに気づくときなのかもしれない。
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