鳩山政権は全てのダム建設の見直しを公約に当選した。困難なことであっても、これまでの自民党政権が利権を軸に、政治決断をやってきたことの尻拭いである。今、目の前にあることだけで判断しては従前の手法と同じになる。
4ツ場ダムに住民として前原大臣に陳情に行き、発言していたのはダム推進派の長野原町町議であることもばれている。北海道で見直しの対象になっているダム関係者の発言も、工事による何らかの受益者である。千歳川放水路問題でも同じであった。そしてその仲介者でもあり推進者でもある北海道知事の推薦団体が、いまだにダムに象徴される公共事業に依存しようとしているのである。
公共事業は必要である。空港もダムも港湾も民間がやる事業ではない。更に、公共事業は景気回復のきっかけになるかもしれない。あるいは、景気の下支えをする効果は誰も否定はしない。しかし、恒久的な産業の育成にはならないし、新たな産業の出現を促す効果はあっても育成させるわけではない。公共事業は恒常的に行われるものではないのである。
日本が他国と大きく異なるのは、公共事業そのものを産業としている企業が存在することである。公共事業そのものがなければ存在すらできない企業は、生き残るために政治家と官僚を動かさなければならない。政治家には地位と票を、官僚には天下り事業団の受け皿を用意してやることになる。
その結果、公共事業を永久に探し続けることになるのである。なければ作り、作るためには政治家と官僚の合同作業が必要になる。その犠牲になったのが、ダムであり道路である。更に、この狭い国土に、100近い空港を作ってきたのである。計画がいかに杜撰化は、ほとんどの空港が計画に対して、ひどいところでは10%程度しかない現状である。
農業も同じである。農業に対して画期的な事業はこの半世紀ないが、道路だけは整備され続けている。農家がほんの少ししかないのに、信じられないほどの道路を“基盤整備”として作り続けている。門外漢であるが教育も同じである。教育者の育成は単に右傾化教育である一方、校舎はとにかく立派になってゆく。食や人に公共事業が使われるのではなく、やけに立派な構造物の建築に熱心なだけである。民主党の、「コンクリートから人へ」を、監視しながら支持したい。
諸外国には公共事業そのものを産業としている企業が存在しないなんて初めて聞くところである 。びっくりする。まさかそんなことはあり得ないと思う。
道路も整備され、漁港は大工事中で素晴らしい港になっていました。
その後、若者は町から去り漁船は隣町の港に入り、立派に完成した漁港に残った船は磯舟だけになりました。
・・・日本が他国と大きく異なるのは、公共事業そのものを産業としている企業が存在すること・・・生き残るために政治家と官僚を動かさなければならない・・・その結果、公共事業を永久に探し続けることになる・・・
これは自民党の基本戦略だったと思います。これから、「荒城の月」のような風景があちこちで出現することは十分考えられることです。